「ママをとりかえっこ」「のび太が消えちゃう?」放送

 6月16日(金)のアニメ『ドラえもん』は、キャラクター大分析シリーズ第7弾「パパママDAY!」。キャラクター大分析シリーズはこれで終わりだ。



●「ママをとりかえっこ」
【原作】

初出:「小学五年生」昭和49年3月号
単行本:てんとう虫コミックス3巻などに収録

 のび太しずちゃんスネ夫は、それぞれ自分のママについて不満をもらす。3人が3人とも、自分のママが一番ひどいと訴える。そこでドラえもんは、「しばらく、ママをとりかえっこしてみたら」と提案し、「家族合わせケース」というひみつ道具を出す。のび太しずちゃんのママ、しずちゃんスネ夫のママ、スネ夫のび太のママという組み合わせで、実際に生活を送ってみることになった。
 こんなふうにママをとりかえて、他人のママを自分のママにしてしまうなんていう状況は、SF風味の家族交換シュミレーションであり、「もし○○だったら」という仮定を実体化させた人生の実験でもあって、すこし・ふしぎな魅力が存分にあふれている。こういう話を読むと、『ドラえもん』とは、現実では絶対にありえなかったり、通常では実現困難だったり、もしかするとありうるかもしれないが今のところ現実的ではないような仮定や仮説や仮想を、ひょいと、普通の少年たちが暮らす日常的な空間に放り込んで、そこからどんな化学反応が生じるかを想像し考察するという、一種の思考実験マンガであるのだなあと、つくづく思うのだった。



 ママのとりかえっこを終えた3人は、親といっても自分らと同じ人間なんだという真実を体験的に悟る。スネ夫「神さまじゃないんだもんな」、のび太「そういうこと」といったやりとりに見られる子ども達の達観ぶりが妙に印象的だ。



【アニメ】(やさしいママはだれのママ? ママをとりかえっこ)


・原作には登場しないジャイアンが、母ちゃんに追っかけられる役回りで、話の初めと終わりに出演。ママのとりかえっこには参加しなかったが、一番切実に母親をとりかえてほしいと思っているのは間違いなくジャイアンだろう。


・しずかちゃんの部屋ですごすのび太は、「(部屋じゅうが)しずかちゃんの香りで満ちてるぅ〜」と歓喜して、しずかちゃんの枕に顔をうずめブチュ〜とキスをする。その姿は、少し変態チックだった。


・しずかちゃんのママやスネ夫のママが、わが子をひどく叱ってしまったことを反省し謝罪する様子を見ていると、子どもに対して平気で怒っているように思えるママたちも、実は子どもに嫌われることを恐れているんだなあと実感させられる。


・結末部の大胆なアレンジが目についた。しずかちゃんのママがのび太のパンツを野比家に届けにきたところに遭遇したのび太の表情の崩れ方が凄かったし、その直後ドラえもんのび太の半ズボンを降ろしてみると、のび太がしずかちゃんのパンツをはいている、というオチが加わったりして、原作と比べ派手な終わり方となった。




●「のび太が消えちゃう?」
【原作】

初出:「小学六年生」昭和56年2月号
単行本:てんとう虫コミックス43巻などに収録

 Aパートで放送された「ママをとりかえっこ」は、もし自分のママが別の人物だったら、という仮定を実現させる話だったが、この「のび太が消えちゃう?」は、もし過去のパパがお金持ちからの援助話を断っていなかったら、現在の自分らはもっとぜいたくな暮らしができていたはずなのに、という仮定的な願望を充足させるため、のび太ドラえもんがタイムマシンで20年前に戻ってパパの過去を変えようとする話である。しかし、パパの過去を大きく変えてしまったら、パパのその後の人生も大きく変わるわけで、結果としてのび太は生まれてこないことになる。ぜいたくな暮らしができる云々の次元ではなくなってしまうのだ。
 そのような時間SFのおもしろさに満ちた本作だが、その要素以上に本作において大きな魅力となっているのは、若い頃のパパの行動・決断からうかがえるパパの人柄と、パパとママが初めて出会う短いエピソードである。この作品は、詰襟の学生服を着た若き日のパパの、人生の岐路と恋を始まりを描いた青春劇なのだ。



 パパが金満氏からのお金の援助を断ったのは、パパが金満氏に述べたように「金をかければ画家になれるというわけじゃないのです。それに、どんなしごとをしながらでも絵はかけますから…」という、パパの絵描きとしての純朴な信念からだったのだが、それ以上にパパの心に強くわだかまっていたのは、金満氏の援助を受けることは、同時に金満氏の娘・兼子さんと結婚することにもなるという問題だったのではないか。金満氏の援助を断ると早い段階から決めていたパパが、にもかかわらずそれをなかなか金満氏に伝えられなかったのは、「兼子さんががっかりしてきずつくと思うと…」という理由からであった。これは、それこそ、兼子さんを傷つけたくないパパの優しさから出た言い回しであって、正直なところでのパパは、兼子さんのことを本心から愛することができず、愛することができない相手と結婚するわけにはいかない、という気持ちを強靭に働かせていたのではないだろうか。パパのなかでは、絵描きとしての純朴な信念以上に、愛することができない相手とは結婚したくない、という感情のほうが強く脈打っていたのではないか、と私は思うのだ。
 愛することができない女性との結婚話を断った直後に、これから愛をはぐくみ将来的に結婚することになる女性と遭遇するのだから、パパにとってこの日は、最大級の人生の節目であり、〝運命の一日〟と呼ぶにふさわしいものであったにちがいない。



 金満家を出て、「ぼくの人生はぼく自身の力できり開いていくのだ!!」と自分を鼓舞しつつ、半ばやけ気味に走り始めたパパは、路上でセーラー服姿のメガネをかけた少女と衝突する。パパはその少女に謝り、少女は「いえ…」と言って歩き去っていく。そのとき少女が落とした定期券を見ると〝片岡玉子〟とある。パパは玉子さんを追いかけていく……。そんな二人の初めての出会いは、ありがちな恋愛物語の一節のようだが、普段のパパとママの家庭的な印象を思えば、「二人の出会いは、意外にも運命的で劇的なものだったんだなあ」「二人は学生時代の恋愛を見事に成就させたんだなあ」などと、驚きと感嘆のまなざしを向けたくなる。



【アニメ】(パパの人生の分かれ道… のび太が消えちゃう?)


・冒頭で、のび太がせんべいとまんじゅうのどちらを先に食べるか、自分の右手と左手をジャンケンさせて決めている、というおバカな場面が追加された。後の場面で、若き日のパパも同じようなことをやるので、こういうところでものび太は確実にパパの遺伝子を受け継いでいるんだなあ、と感じられた。


・若き日のパパが金満兼子さんと結婚してしまうとのび太が消えてしまうという事態が、原作よりも深刻に危機感たっぷりに描かれた。のび太が、パパの人生を邪魔しちゃかわいそうだと、自分が消える覚悟を決めそうになったとき、ドラえもんが「みんなと会えなくなってもいいのか」などと諭したところで、私の胸はジーンとなってしまった。
 パパが金満氏の援助を断って「ぼくの人生はぼくの手で切り開いていくのだ」と宣言してから片岡玉子さんと出会うくだりでは、さらにジーンときた。
 ラスト、パパは自宅の庭で家族4人を題材に絵を描く。この場面でも、ほのぼのとあたたかい気持ちになれた。


 
 今回は、AパートもBパートも、〝なんだかんだ不平不満を言っても、結局は今の家族が一番!〟という、当たり前だけれど大切な真実に気づかせてくれる内容だった。




アニメ『ドラえもん』放送スケジュールコロコロコミック7月号より)

●6月23日
「未来の町にただ一人」(てんコミ21巻)
「スケジュールどけい」(3巻)


●6月30日
「キャンデーをなめて歌手になろう」(8巻)
「ジ〜ンと感動する話」(9巻)
「おばあちゃんのおもいで」(4巻)


●7月7日
「ソウナルじょう」(3巻)
「世の中うそだらけ」(9巻)


●7月14日
のび太漂流記」(6巻)
「チッポケット二次元カメラ」(20巻)

 7月14日放送分で、いよいよ来年公開のドラ映画の予告編が初披露される模様。これは楽しみだ!