終戦の日

 本日は終戦の日。戦後70年という節目にあたります。
 私は、藤子不二雄A先生が戦後60年企画で描かれたコミックエッセイ『日本とぼくが生まれ変わった日』を読み返しました。富山県氷見市の光禅寺で生まれてから、国民学校、父の死による転校、藤本少年(藤子・F・不二雄先生)との出会い、疎開終戦、そして現代まで、A先生の戦争体験と戦争への思いが綴られています。
 安孫子少年が8月15日の終戦を知ったとき抱いた心情を読んで、手塚治虫先生の自伝的マンガ『紙の砦』が思い浮かびました。この2作品には、主人公が終戦を知ったときの心情に共通性がある、と感じたのです。
 

『紙の砦』の主人公は、手塚治虫先生の分身的キャラクター・大寒鉄郎です。ルックスは手塚先生そのものの大寒はマンガを描くのが大好きな南野中学の学生でしたが、勤労動員で軍需工場へ駆り出されていました。物語のラスト、戦争が終わったことを知った大寒は、「ウワー ウワー 終わった 終わった ウワーハハ」「ぼくは生きのびるぞ 生きのびたんだーっ ウワー ウワー」と全身で喜びをあらわします。


 そして、『日本とぼくが生まれ変わった日』の安孫子少年は、終戦を知ってこう感じます。

「戦争が終わったんだ……」
不思議な虚脱感にぼくは包まれていた。そしてつぎに「もう殺されなくてすむ……」と思った。
なんともいえない安堵感がわきおこった!「戦争が終わった!もう死ななくていい!」

 終戦にさしいて、『紙の砦』の大寒が全身で大きく喜びを表現したのに対し、『日本とぼくが生まれ変わった日』の安孫子少年は不思議な虚脱感にみまわれていて、その反応の仕方には動と静の差がありますが、それぞれ「ぼくは生きのびるぞ 生きのびたんだーっ」「もう殺されなくてすむ……(略)もう死ななくていい!」と、両者とも自分がまだ生きていて今後も生き続けられることに喜びを示しています。命を失う危険から解放されたこと、今後も生きていける未来を得られたことに歓喜しているのです。それほどまでに、戦時中は死が身近に感じられていた、ということでしょう。


 二人の心情の共通点はそれだけではありません。彼らは、まだ生きていられる喜びに続いてこう言います。

 ・大寒鉄郎:「マンガをかくぞっと ぼくは…これからだれにもえんりょせずにマンガをかいてやるぞっ」
 ・安孫子少年:「これからは漫画を好きなだけ描けるぞ!」嬉しさがこみあげてきた!

 二人とも、戦争が終わってこれからは自由にマンガを描けることに、躍動感みなぎるほどの希望を見いだしているのです。マンガが大好きな二人にとって、マンガを自由に描けないことは、命を失うかもしれないことに匹敵するほどつらいことだった…。それが彼らの言葉から表出しています。
 実際、手塚先生も藤子A先生も(もちろんF先生も)戦争が終わって一心不乱にマンガを描き、見事プロデビューを果たし、戦後マンガをリードして、マンガ史に刻まれる大漫画家になっていったのでした。


 本日は、こんなこともありました。『ドラえもん』のなかに短い言葉で戦争の本質をついたセリフがあって、それが普段よりも少しシリアスに脳裏をよぎり胸に響いたのです。

・「どっちも、自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ」(「ご先祖さまがんばれ」)
・「戦争は金ばかりかかって、空しいものだなあ」(「ラジコン大海戦」)