藤子不二雄A×ちばてつや対談イベント

 昨日8月19日(金)、さいたま市大宮ソニックシティ・小ホールで開催された藤子不二雄A先生とちばてつや先生の対談イベント「マンガ☆BIG2」へ行ってきた。



 藤子ファン仲間や最近某サイトで知り合った方と待ち合わせをし、午後1時に大宮ソニックシティ・小ホール入口前に到着。受付は2時から、イベントは3時からだったので、それまで入口前のスペースで待つことにした。そのあいだに知り合いの藤子ファンが何人かやってきて、我々と合流。藤子話などで盛り上がり、退屈はしなかった。
 まだ客のいない小ホールには、井上陽水の『少年時代』が繰り返し流れていた。


 2時になって受付開始。私は会場に一番乗りをした。席の位置は、例によって最前列の真ん中を確保。イベントが始まるまで、皆で藤子話を楽しんだ。
 入口で整理券をもぎってもらうとき手提げ袋を手渡されたので、席について中を覗くと、藤子A・ちば両先生のプロフィールを書いた紙や、バッジ・うちわ・絵はがきといったちばグッズ、このイベントの主催者である文星芸術大学のパンフレットなどが入っていた。


 ついにイベントがスタート。まず係の人の前説と文星芸術大学理事長の挨拶があった。このイベントは、今年4月、同大学にマンガ専攻が開設されたのを記念したもので、ちば先生はマンガ専攻の教授職に就いているという。
 そして、いよいよ藤子不二雄A先生とちばてつや先生が舞台に姿をあらわした。観客席から拍手がわきおこる。観客から見て左側の席に藤子A先生、右側にちば先生が座った。舞台の上に巨匠マンガ家2人の神々しい姿が並んだのだ。
 藤子A先生は、観客席の最前列に座る私の存在に気づき、舞台の上から私に向かってにっこりと会釈をしてくださった。私にとって、この日最も幸せな瞬間だった。


 トークを切り盛りする役割の司会者はなく、主にちば先生が藤子A先生に話をふったり質問をしたりするかたちで対談が進んでいった。全体の8割くらいは藤子A先生が喋っていたような気がする。


 藤子A先生のお話に関しては、これまでにインタビュー記事やエッセイ、講演会などで聞いたことのあるものが大半だったので、新しい情報や知識を得られるということはなかったが、生身の藤子A先生の姿を見ながらその肉声を聞けるライブ感が、たまらなく楽しい。講演慣れした藤子A先生は、続々とおもしろトークを繰り出し、会場がどっとわく瞬間が何度もあった。藤子A先生の話に反応して大勢の人たちと一緒に笑うことができるのも、こうしたライブならではの醍醐味である。



 両先生のお話で印象に残ったもの、おもしろかったものを、思いっきり要約して紹介したい。


・ちば「安孫子さんとは昔から知り合いだったが、とくに親しくなったのは手治虫先生が亡くなったときだった。手塚先生のお通夜かお葬式のとき、同世代のマンガ家で自分らの健康の話になり、積極的に体を動かしたほうがよいということでイージー会を結成。皆で集まってゴルフをするようになった」


・ちば「安孫子さんは酒が強い。イージー会のゴルフが終わって、午後3時ごろから地下の店で飲み始め、次の日外へ出てみたら午前11時になっていた、なんてこともあった」


・藤子A「マンガ家になって50ン年になる。これだけ長いあいだマンガ家をやっていられるなんて、ぼくはよほど才能があるんだと思う(笑)」


・藤子A「ぼくは、自慢じゃないけれど、『ドラえもん』には一切タッチしていなかった。「藤子不二雄Aです」と名乗ると、「ドラえもんの作者ですね」と今でも言われることがあるが、いちいち否定するのも大変なので「そうです」と答えたりするときもある(笑) でも内心忸怩たるものがある」


・藤子A「藤本くんは、大人になっても童心をもち続け、『ドラえもん』で子どもの夢を描き続けることができたが、ぼくは大人になるにつれ、子どもの夢を描くのがそらぞらしくなり、大人の欲望に目が向くようになった。そんな大人の欲望を描いた最初の作品が『黒ィせぇるすまん』。子どもの頃、お宮さんで憎い相手の人形をつくり五寸釘でうったりしたが(笑)、この作品でそのような人形を登場させた」


・藤子A「『魔太郎がくる!!』はいじめられっ子の気持ちに立って描き、大きな人気を獲得した。人の内面にある悩み、心を描くことで、それが読者の代弁となり、共感を得られた。子どもの心の暗い部分をついた作品だ」「ちばさんの息子さんは魔太郎に似ている。(そのとき、ちば先生の息子さんが舞台にちらりと登場)」


・藤子A「(『劇画毛沢東伝』の単行本を開いて見せて)それまで『忍者ハットリくん』や『怪物くん』といったギャグマンガを描いてきたぼくは、『劇画毛沢東伝』でがらりと画風を変えた。絵がまっくろけ。劇画以上にリアルに描きたかった」「伝記物の『劇画毛沢東伝』のなかで、ぼくは、どんな資料にもない日付けを創作して描いたことがある。のちにその日付けを寺山修司さんが史実として引用していまい、困った」


・藤子A「ぼくは、プレッシャーのかかる場面での力の抜き方がうまい。ちばさんは、生真面目な性格なので力が抜けない。どちらかというと藤本くんの性格に近い」
・ちば「ぼくは、プレッシャーがかかりすぎると、倒れてしまう。B型の安孫子さんのように力が抜けなかったので、ぼくの髪の毛は真っ白に燃え尽きてしまった(笑)」



 対談は、午後4時半頃終了。観客からの質問を受けつけるコーナーとなった。


・自分の作品がアニメ化されることについて、
ちば「最初は、声のイメージが違うとか、絵が違うとか、このキャラクターはこんなことをしないとか不満を感じたが、あまりアニメに手をかけていると本業のマンガに差し支えるので、アニメはアニメと割り切るようになった。今のアニメの技術は大変進んでいて感心する」
・藤子A「ぼくは自作のアニメ化にはこだわるタイプ。アニメのスタッフに嫌われる原作者かもしれない。ハットリくんでも怪物くんでも、アニメーターは自分の個性を絵に出したがる。それを見てぼくが、原作のイメージに描き直したりすると、またアニメーターが自分の個性を出した絵柄に戻したりする、なんてこともあった」


ちばあきお先生のアニメが現在再放送されていることについて、
ちば「あきおはぼくの弟で、20年前に亡くなった。自分の弟の作品のことを誉めるのも何だが、いい作品ばかりを残していった、と思う」


・自分が描くマンガのテーマについて、
ちば「今の人間が失ったもの、今の社会を見て心配なことをマンガに描いている」
藤子A「自分が読みたいと思うもので、まだ誰にも描かれていないマンガを描いている」



 イベントの最後に、文星芸術大学学長のお礼の挨拶と、両先生への花束贈呈が行なわれた。



 イベント終了後は、この日集まった仲間12人で居酒屋へ足を運んだ。居酒屋へ行きがてら、私を含めた4人は、大宮ソニックシティの周囲を一周してみた。対談を終えて会場を出る藤子A先生に会えるかもしれない、という淡い期待を抱いての行動だった。
 すると、偶然にも、藤子A先生がハイヤーに乗り込もうとしているところに遭遇。我々が藤子A先生を呼び止めると、先生はすぐに振り向き、「やあ」と言って近づいてきて、我々ひとりひとりに握手をしてくだった。そして、藤子A先生と我々4人が並んだところを藤子スタジオの方が写真に撮ってくださった。


 改めてハイヤーに乗り込んだ藤子A先生を、我々は、関係者の方々にまじってお見送りした。
 その場に残った関係者の中にちば先生がいらしたので、少しお話をさせていただいた。聾唖者のTさんが、筆談で「しでんかいのマンガが好きでした」と書いて渡すと、ちば先生は「紫電改のタカは重い作品ですが、ぼくのなかではとても重要な作品です」と返事を書いてくださった。


 居酒屋での飲み会は、とても盛り上がった。私は久しぶりにたくさんビールを飲んでしまい、その場では平気だったものの、帰りの夜行バスで揺られているうちに気分が悪くなり、ずっと嘔吐感と戦っていた。



 昨日放送の『わさドラ』は、ビデオに録画したものの、まだ観ていない。