肝付兼太さんが他界されました。
20日、肺炎のため亡くなったとのこと。80歳でした。
藤子ファンの皆様には今さら言うまでもなく、肝付さんの出演されていない作品を数えたほうが早いくらい数多くの藤子アニメでレギュラーをつとめられた声優さんです。それだけに、私が楽しませてもらった期間も長く、その内容も濃く、肝付さんが亡くなった悲しみと喪失感は大きいです。
藤子アニメ以外も含めた肝付さんの全キャリアのなかでも最大の代表的お仕事といえば、やはりテレビ朝日版『ドラえもん』のスネ夫役でしょう。テレ朝版『ドラえもん』が始まった1979年4月、私は小学5年生でした。そして、声優さんが一斉交替したのを機に肝付さんがスネ夫役を降板されたのが2005年。そんなにも長期にわたりスネ夫の声を続けられたわけですし、テレ朝版『ドラえもん』は国民的大ブームを巻き起こした人気のアニメ作品ですから、非常に多くの国民が成長過程で肝付さんの声に親しんでいることになります。客観的に見てもスネ夫が肝付さんの代表的お仕事といえるでしょうし、私自身もまずはスネ夫役としての肝付さんに思い入れを抱いています。
そして、スネ夫役をされるよりも前の1973年、肝付さんが主役の黒べえを演じたアニメ『ジャングル黒べえ』は、私にとってとても思い出深い幼児体験であり、個人的な肝付体験のなかで最初期にあたる重要な作品です。
黒べえは、バイタリティあふれ、野生的で常識破りで、義理堅くて愚直なキャラクターでした。肝付さんの声が、そんな黒べえを、本格的に生き生きとした魅力的な存在にしてくれました。助詞を省いてテンポよく話す黒べえ節は、幼児期の私の耳に心地よかったです。
『ジャングル黒べえ』と同時期に放映されていた日本テレビ版『ドラえもん』で肝付さんはジャイアンを演じられていましたが、残念なことに私はリアルタイムでこのアニメを観ていないので、幼児体験としての思い出はありません。『新オバケのQ太郎』のゴジラ役は、私が子どものころ何度も再放送されたので親しんでいました♪
さて、1979年に始まったテレ朝版『ドラえもん』が大人気を博し、その勢いに乗って1980年代には藤子アニメブームが到来します。肝付さんは『怪物くん』でドラキュラを、『忍者ハットリくん』でケムマキを演じられました。スネ夫役を皮切りに、キザ・狡猾系のキャラクターを立て続けに担当されたわけです。時には彼らが本気で鼻持ちならないほどでしたが、それでも彼らを憎めなくて、むしろ親しみを抱かずにはいられませんでした。肝付さんの声には、こすっからい成分と、にじみ出る愛嬌が同居していたんですね!
シンエイ動画版より前の藤子アニメでは、肝付さんはゴジラやカバオや番野やジャイアンといったガキ大将的な役をやることが多かったのですが、シンエイ版(=テレ朝版)『ドラえもん』のスネ夫役を契機に、キザ・狡猾系のキャラクターにシフトチェンジしていった感じです。
その後のシンエイ版藤子アニメでは、『パーマン』のパーやん、3代目『オバケのQ太郎』のハカセ、『21エモン』のオナベなどを演じられ、シンエイ版以外の藤子アニメでも『キテレツ大百科』の勉三さん、『パラソルヘンべえ』のトンべえなど、キザ・狡猾系にとどまらない多彩な藤子キャラの声を演じられました。ほかにも肝付さんが演じた藤子キャラはいろいろとありますが、キリがないので止めておきます。
肝付さんは、日本のテレビアニメの黎明期から声優の仕事を続けてこられました。まさに日本アニメ史と重なる存在ですから、藤子アニメ以外にもそれはそれは多くのアニメ作品でさまざまなキャラクターを演じています。だから多くの人が、それぞれに肝付さんの思い出をお持ちだと思います。私の個人史のなかで藤子アニメ以外から肝付さんが演じたキャラクターで思い出深い名前を挙げるなら、『はじめ人間ギャートルズ』の父ちゃん、『ドカベン』の殿馬、『銀河鉄道999』の車掌などがまずは脳裏に蘇ってきます。
私にとって肝付さんがすばらしく大きな存在だったのはもちろん、日本アニメ史のうえでもほんとうに巨大な存在だったんだ!とあらためて実感しています。
肝付さんのご冥福をお祈りいたします。