『ドラえもん』の作中で語られるひみつ道具の原理

 前回のエントリで書いたように、雑誌「Pen」の特集「SF絶対主義。」に「日本人が初めて出合うSF、『ドラえもん』の功績。」という記事があります。
 
 

 その記事のなかに、こんな文面が見られました。
■「もともとSF好きだった藤子・F・不二雄は、ドラえもんを未来の世界からやって来たロボットとして描いた。不思議な道具の数々も、未来の世界で科学的根拠に基づいて開発された製品であることを、ことあるごとに刷り込んでいった。
 なぜその道具が開発されたのか、どんな原理で効果を発揮するのか、未来の世界ではどのように使われていたのか。作中でそうした疑問に答える場面も多い。」


 この文章には私も共感するところが多々あります。
 ドラえもんひみつ道具を出したとき、その使い方や使用目的や効果を説明することはよくあります。そのうえで、たまに“そのひみつ道具がなぜ開発されたか、どんな原理なのか、未来世界でどう使われていたか”を説くこともあるのです。
 私もそこのところにちらりとSFマインドを感じたり、ほのかにリアリティをおぼえたりして、昔から『ドラえもん』の魅力・凄さだと思ってきました。子ども心に「作者は知的な人なんだなぁ」と非言語的に感じていました。


 そこでまず、“そのひみつ道具がどんな原理か”をドラえもんが説く事例を見てみましょう。いろいろとありますが、たとえば“きせかえカメラ”を出したときがそうです。
 「なに、かんたんな原理さ。つみ木遊びを思い出せばいい。同じつみ木を組みなおすだけで、いろんな形が作れるだろ。あんなふうに、着物を作ってる分子をばらばらにほぐして、組み立て直すカメラだよ。」
 とても簡潔かつ素朴な説明ですが、「積み木遊び」という比喩を用いながら、分子をいったんバラバラに分解して組成しなおす作用をわかりやすく伝えてくれます。


 そして、なんといっても“わすれとんかち”の原理が説かれる場面が大好きです。
 「ものをおぼえるということをたとえれば……、頭の中の引き出しに、ものをしまいこむのと同じだ。」「それをわすれたということは………、しまったものがなくなったんじゃなくて…、」「引き出しがあかなくなっただけのことさ。」
 と記憶と忘却のからくりを「頭の中の引き出し」という喩えを使って丁寧に説明しています。それを読んだ子どものころの私は「なるほど〜!」と強く得心しました。いまだに、何か言おうとして言葉が出てこないとき「頭の中の引き出しがあかなくなってる…」と思ってしまうくらい得心したのです。
 そうした知的体験の直後に、巨大ハンマーを持った真顔のドラえもんが「これで頭をたたくと、とびだしてくるよ。」と言って粗暴な即物的行為を示すのですから、その落差に愕然としつつ大いに面白さを感じるのです(笑)
 このパターンは、ドラえもんが“物体変換銃”を出したときにも使われています。ドラえもんは言います。「これはある物をほかの物に変える機械だよ。」「たとえば酸素は水素をむすびつけて水に変えることができる。炭素からダイヤを作りだすこともできるんだよ。」と…。そんなきちんとした科学的説明をした直後、ドラえもんは「ダイコンからダイをとってラジをつければラジコンになる。」と、なんとも非科学的というか安直な発想を披露して、物体変換銃でダイコンをラジコンを変えてしまうのです。サイエンスからナンセンスへの急転直下という点で“わすれとんかち”と共通するものを感じます。“物体変換銃”の場合は、ドラえもんが「たとえば酸素は水素を…」と説明するとのび太が「科学的だなあ。」と反応し、ドラが「ダイコンからダイをとって…」と言うとのび太は「科学的でなくなった。」とつぶやきます。そうやってのび太のツッコミ的なセリフが入ることでサイエンスからナンセンスへの急転直下パターンが読者にわかりやすく示されるのです。


 “ひみつ道具がどんな原理か”を説く、そのほかの事例としては…、
 “重力ペンキ”「ものが下へ落ちるのは、重力がはたらいてるせいだから………。この「重力ペンキ」を、ぬれば、ぬったところが下になるよ。」
 “強力うちわ風神”「空気ていこうが大きくて、かすかに動かすだけで……。うちわと同じ風が出る。」
 などが、簡潔でテンポがよいうえ、「重力」とか「空気抵抗」といったサイエンス用語をポンと入れ込んでいて好きです。


 ドラえもんひみつ道具の原理を説く事例といえば、“タヌ機”の「こっちの脳波を相手の脳に送りこんで」とか、“ジーンマイク”の「感動周波音波がでて、きく人ののうみそをゆさぶって」とか、“見たままスコープ”の「脳みその記おくの底からほり出されて」といったふうに、脳への作用に関した原理がよく説かれている印象です。



 次に“ひみつ道具が未来の世界ではどのように使われていたか”を語る事例を見てみましょう。その事例を見ていくと、“スーパーダンのふろしき”“組み立て円盤セット”“階級ワッペン”“お医者さんカバン”などのように、「未来の子どもが遊びで使っている」場合が多い…との印象を受けます。
 “台風のたまご”が「気象台の学者が、実験のためにつくったもの」だったり、“進化退化放射線源”が「生物の祖先をさぐったり、進化のゆくえをさぐるためのもの」だったりと、「本来は学術研究目的の道具である」場合も複数見つかります。
 未来では子どものおもちゃなのに、それが現代に来ると超ハイテクなフシギ道具と化す…。未来では学術研究のために作られたものなのに、のび太の手にかかると俗っぽいこと・ろくでもないことに使われてしまう…。どちらの場合も、未来から現代に持ってくることで生じる落差の面白さがあります(笑)


 『ドラえもん』の作中で“そのひみつ道具がなぜ開発されたか、どんな原理なのか、未来の世界でどう使われていたか”を説くというのは、下手をすると、悪い意味で作品が理屈っぽくなるおそれもあります。ですが藤子F先生は、そういう“理屈”を作中にさらりと簡潔に入れ込んでテンポを損なうことなく楽しく読ませてくれます。その匙加減が絶妙なのです。
 でも時おり“理屈”がやや長めになる場合もあって、たとえば“イキアタリバッタリサイキンメーカー”の説明時は、人間がいかに細菌のお世話になっているかを数個の具体例を出して語ったうえ「新種の細菌をつくるにはいまある菌の染色体の中のDNAをかいぞうし、その遺伝情報を」と詳しめの科学的な説明を続けます。
 そういう、やや詳しめの“理屈”場面はのび太に退屈を与えます。その際ののび太のネガティブな反応(退屈そうだったり、話を理解できなかったり)がギャグの効果を発揮したり、理屈を聞きたくない読者の代弁になったりもします。そのうえで、私のような読者には「F先生が理屈・知識語りに少し熱くなっててウレシイ〜!」となるのです(笑)


 たいていの話では、ドラえもんはひみつ度具に対してそんなに理屈を述べません。ごく簡単な言葉で使い方を説明したり、道具を実際に使って見せたりはしますが、理屈によって話を停滞させることはできるだけ避けられています。でも時どき、F流の“理屈”が挿入されるのです。
 ひみつ道具がなぜ開発されたか、どんな原理なのか、未来の世界でどう使われていたか…。 そういう“理屈”語りが頻繁にあるのではなく、ほどよく入れ込まれているからいい按配なのです。個人的な好みでいえば、もっと“理屈”があっても一向にかまいませんが(笑)