藤子・F・不二雄ミュージアム「SF短編原画展」へ

 10月31日(月)、東京虎ノ門のオークラ東京で行なわれた「藤子不二雄Ⓐ先生お別れの会」に参列しました。

 参列のため上京するにあたり、虎ノ門に着く前に川崎市藤子・F・不二雄ミュージアムに立ち寄りました。

 9月3日のドラえもん誕生日以来のFミュージアム来訪となりました。

 

 

 Fミュージアムでは10月22日(土)より2階の「展示室Ⅱ」で「藤子・F・不二雄のSF短編原画展 ―Sukoshi・Fushigiワールドへの招待―」を開催中です。

 この企画展の情報を初めて知ったときは、ついに、ついにSF短編が特集されるのか!と驚嘆し、胸が高鳴ったものです。

 

 SF短編三昧の原画展だなんて、その展示空間に一歩足を踏み入れただけでゾクゾクとして、ただならぬ気持ちになります。

 『ミノタウロスの皿』『じじぬき』『ドジ田ドジ郎の幸運』『超兵器ガ壱號』『イヤなイヤなイヤな奴』など数々の原画に見入りました。1つの作品につき、12ページ分の原画を展示するパターンが多かったです。

 扉の原画だけを展示するコーナーでは、『アン子 大いに怒る』『ポストの中の明日』『神様ごっこ』『昨日のオレは今日の敵』『あのバカは荒野をめざす』などの作品が。

 

 F先生が『ミノタウロスの皿』を単行本に収録するさい大幅加筆したことを紹介する展示や、『換身』のSFマガジン掲載ページと原画の1ページを並べた展示などは、原画展全体を観ていく過程で挟み込まれる解説コラム的な面白さがありました。

 

 展示室の最後のスペースでは、SF短編と似たアイデアやタイトルをもつ『ドラえもん』のお話を紹介していました。『ドラえもん』をSF短編と関連付けることで、これまでSF短編を知らなかった来館者に興味を持ってもらいやすくしよう、という趣向でしょうか。

 

 SF短編のもつ“すこしふしぎ”な味わいを直筆原画でたっぷりと感じられるなんて、それ自体がすこしふしぎ体験であるかのようでした。

 それぞれの作品を初めて読んだときの驚きや衝撃や感動がムクムクと頭をもたげてくるような感覚にもなれました。

 

 

 ミュージアムカフェでは、SF短編にちなんだメニューばかりを注文!

・『ミノタウロスの皿』~うんと食べなきゃいやよケーキ

 

・『流血鬼』~紅いカシスフロート~

 

 

 どちらのメニューもアイデアに結構なまがまがしさが漂っていて、なんだか嬉しくなるくらい攻めてるな~と感じました。

 だって、『ミノタウロスの皿』で「うんと食べなきゃいやよ」と言ってるのは食べられる側のミノアですからね。今から自分が食べようとしている食物に「うんと食べなきゃいやよ」とお願いされる……というシュールなおそろしさ(汗)

 

 『流血鬼』~紅いカシスフロート~は、こうやってストローをグイッと突き刺すことで、作中で描かれた「胸に杭を突き刺す行為」に見立ててるんですよね……。やっぱり攻めてます。

 

 そして、ミュージアムショップでお買い物したのもSF短編グッズでした♪

・『ミノタウロスの皿』の皿

 

・アクリルペンスタンド[SF短編]

 

 『ミノタウロスの皿』の皿は、アイテムが「皿」であるところ、そして「美濃焼」ってところで二重にシャレてますね。

 

 「SF短編原画展」は、会期中に展示替えが何度かあるようなので、また足を運びたいです。

藤子不二雄Ⓐ先生お別れの会

 10月31日(月)、東京虎ノ門のオークラ東京で藤子不二雄Ⓐ先生お別れの会が開かれました。

 Ⓐ先生にお別れを言うのはつらいけれど、これまでの感謝の気持ちをしっかりお伝えしたいと思い、参列しました。

 午後6時ごろ会場に入場すると、広々とした空間にⒶ先生の作品世界を楽しめる展示が並び、そこで参列者が写真を撮ったり会話をしたりして自由にすごせるようになっていました。

 訪れた人々を楽しませよう、もてなそうというサービス精神。藤子不二雄Ⓐスピリットが息づいています。

 

 2018年から六本木や富山などを巡回した「藤子不二雄Ⓐ展 ーⒶの変コレクションー」で展示されていた等身大のリアルⒶ先生人形やⒶ作品の世界観をモチーフにしたフォトスポットが並んでいて、ふたたび「藤子不二雄Ⓐ展」を訪れたような感覚に。

 「藤子不二雄Ⓐ展」になかったものとしては、Ⓐ先生が愛用された服やゴルフクラブなどの展示がありました。

 この展示空間で、そうした展示品を思い思いに眺めながら、たくさんの藤子ファン仲間や藤子スタジオ関係者、知人たちと挨拶したり会話したりしてⒶ先生を偲んだのでした。

 ほんとうに久しぶりにお会いする方も多く、再会の喜びにもひたれました。

 

 その場所にかなり長居してしまいました。寂しさや悲しみを忘れさせてくれる楽しい場所から離れがたかったのです。

 でも、いつまでもそこにいるわけにはいきません。

 

 大きな祭壇の置かれた隣の空間へ移ると、それまでの楽しい雰囲気から一転してしめやかな空気に包まれました。

 一輪の白いカーネーションを受け取って、祭壇の前へ歩きます。

 

 そして献花……。

 このとき、Ⓐ先生の大きなお写真を前にして思わず涙が……。

 こらえきれませんでした。

 感謝の言葉を頭の中でうまくまとめられないまま、でも精一杯の気持ちをこめて手をあわせました。

 

 

 会場を出るところで参拝者に配られたポストカード。

 

 

 祭壇の部屋を出たところに立っておられた松野いづみさんにご挨拶させていただきました。稲垣くん久しぶりね、などと言葉をかけてくださいました。

 いづみさん、大役お疲れ様でした。

 

 お別れの会会場を出てから新橋の居酒屋へ移動。

 藤子ファン仲間12人で献杯し、みんなで藤子先生について熱く濃く楽しく語り合いました。

 いい夜でした。

 

 安孫子先生、安らかに。

 

 

 ●追記

藤子スタジオOBのヨシダ忠先生、高峰至先生と写真を撮っていただきました。

 ヨシダ忠先生は、藤子スタジオ最初期の専属アシスタントのお一人でコロコロコミックで連載された『藤子不二雄物語 ハムサラダくん』の作者としても知られています。Ⓐ先生のマンガにヨシダ先生をモデルとした登場人物が(主にチョイ役で)よく出てきます。会場ではヨシダ先生からあふれんばかりの藤子先生愛をうかがうことができました。

 高峰至(アシスタント時代は本名の青木則幸)先生は、『ノスタル爺』の土蔵や『みどりの守り神』のジャングル化した新宿の風景(初出版)など、細密な背景画を手がけられた方として特に印象に刻まれています。

 

 

 

・会場に、コスプレーヤーの声さんがまんが道ニットを着ていらっしゃったので、お声かけして少しお話させていただきました。このまんが道ニットは、家庭用編み機を駆使して個性的なニットを製作する「編み物☆堀ノ内」という方に声さんがオーダーして作ってもらった一点モノ。

 おそるおそる?声をおかけしたら、声さんが私の存在を認識してくださっていて嬉しかったです。次はもっとじっくりお話したいですね。

 

 

・会場でお会いしたいろいろな方々からいろいろな品々をいただきました。皆様ありがとうございました。

 

ドラえもん いっしょにおでかけ!ダブルアクリルチャーム

 10月第4週から発売されているガシャポンドラえもん いっしょにおでかけ!ダブルアクリルチャーム」(全6種/バンダイ)。

 

 回してみたところ……

 3回連続でどこでもドアでした😆

 6種もあるのに3回続けて同じものが出るって……。

永田竹丸先生ご逝去

 永田竹丸先生の訃報が…。

永田竹丸先生の訃報にあたり豊島区長よりコメントを発表します 令和4年10月27日

漫画家の永田竹丸先生(齢88歳)が19日に亡くなられたと、ご遺族より訃報の連絡を受け、高野之夫豊島区長より下記の通りコメントします。

 

区長コメント

突然の悲報に接し、心より哀悼の意を表します。

永田先生には、トキワ荘マンガミュージアムの開館企画展「漫画少年トキワ荘」に多大なご協力を賜りました。さらに、トキワ荘の文化継承にあたり、資料収集や地域の取り組みにもお力添えをいただき、深く感謝しております。

ご生前のご功績を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。

 

https://www.city.toshima.lg.jp/013/kuse/koho/hodo/r0410/2210271356.html

 

 「中日新聞」で連載された『キャラとメル』などの漫画で幼少の頃から楽しませていただきました。

 トキワ荘通い組のおひとりで第一次新漫画党メンバーだった永田先生…。『まんが道』の登場人物としての永田先生のお姿も印象深いです。それまで雑誌などで先生の漫画を目にしていたのですが、永田竹丸という存在を初めてくっきりと認識したのは『まんが道』においでだったと思います。

 藤子ファンとしましては、藤子スタジオに在籍されチーフアシスタントを務められたのも重要なご経歴です。

 

 2013年に森下文化センターで開催された永田先生のご講演を聴き、講演後「漫画少年」の展示を一緒に見学できたのは大切な思い出です。

 

 藤子・F・不二雄先生が、永田竹丸先生と森安なおや先生に藤子不二雄Ⓐ先生を加えた三人がトキワ荘の遊び人グループだとおっしゃっていたのも思い出します。

 

 永田竹丸先生のご冥福をお祈りします。

 

 

 ※追記

 永田竹丸先生は、1968年(67年の説もあり)~73年藤子スタジオに在籍。ご自分の仕事もしつつ、藤子スタジオのチーフアシスタントを務められました。

 永田先生の席は藤本先生(藤子・F・不二雄先生)のすぐ脇。『ドラえもん』連載スタート直前の時代にその席でお仕事をなさっていたわけで、藤本先生が当時のことを描いたマンガ『ドラえもん誕生』(初出:1978年)に永田先生のお姿が登場しています。作中では、アイデアがなかなかまとまらない藤本先生が「夜の10時にもなって、まだまとまらない。おれ、もういやだ!!」とわめきだしても、その脇で黙々と作業している端正なお顔の男性が永田先生です。

 永田先生はⒶ作品である『まんが道』『愛…しりそめし頃に…』に登場するとともに、別の時代を描いたF作品『ドラえもん誕生』にも登場するのです。

 

 永田先生のマンガ作品のなかで比較的多くの人に読まれていると思われる『トキワ荘物語 漫画少年合作の記』(初出:「COM」1970年3月号)は、永田先生が藤子スタジオに在籍されていたころに描かれた作品。『トキワ荘物語』は、トキワ荘グループの漫画家さんが「COM」でリレー連載したもので、むろん藤子先生(Ⓐ先生)も執筆陣に加わっています。

 そして、永田先生の『トキワ荘物語』には「漫画少年合作の記」という副題がつけられています。

 藤子スタジオでチーフアシスタントの仕事を担う永田先生は、『トキワ荘物語』をなるべく夜や休日に描き進めようと思っていました。が、それだけでは間に合わなくなり、藤子スタジオでも手隙の時間に描くことに。

 締切が間近に迫ったある日、永田先生は藤子スタジオのアシスタントの一人・Sさんに背景を手伝ってくれるよう頼みます。

 そういうわけで、永田先生の『トキワ荘物語』は、ストーリー構成や人物のペン入れはもちろん永田先生がやったのですが、背景については、永田先生は写真資料などを参考にアタリだけやって、あとはほとんどSさんが描いたのだそうです。

 

 このSさん、こつこつと丹念に緻密な背景を描くアシスタントさんで、『マグリットの石』の陰間鏡二などのモデルとなった人物です。

韓国のお土産

 韓国を旅してきた友人から、こんなお土産をもらいました。ありがとうございます!

 どちらのキャラクターも韓国で人気があり、あちらこちらのお店でグッズをよく見かけるそうです。

 

 このドラえもんカップは、中に綿あめが詰まっています。

 

 

 こちらもいただきものです。

 名古屋市民ギャラリー栄の情報紙。

 昨年12月号の「&Artist」のコーナーで「今月の主人公」として藤子・F・不二雄先生が紹介されています。

光文社新書『会話を哲学する』で『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』が取り上げられる

 光文社新書『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』(三木那由他・著、2022年8月18日発売)を購入しました。

 マンガ、小説、映画などフィクションで見られる興味深い会話を例にとり、それらの会話を、著者が分析哲学の研究で得た視点から解説した一冊です。

 

 帯にあるとおり、高橋留美子先生の『うる星やつら』(『めぞん一刻』なども)が取り上げられています。

 本書のテーマ自体が興味深いわけですが、私の最終的な購入の決め手は、藤子・F・不二雄先生の異色短編『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』の次の会話が分析されていることです。

 

句楽 きみにならあかしてもいいだろう。実は僕の正体は… ジャアン!!  きみの友人句楽兼人その人だったのさ。…………おどろかないの?

 

片山 びっくりした!! あーおどろいた!!

 

句楽 もういい。どうせみんなしってるんだろうけと、ただたて前は守らなくちゃな。しゃべるとただじゃおかない。

 

 この会話は、第二章「わかり切ったことをそれでも言う」で取り上げられています。