水田わさびさんトークショー

 20・21日の両日、名古屋のナディアパーク・デザインホールで「ドラタウンinナゴヤ」が開催された。21日には「ドラタウンinナゴヤ」の催し物のひとつとして「水田わさびさんトークショー」が行なわれたので、それを目当てに会場へ足を運んでみた。


 会場入口で「ドラタウンinナゴヤ」のチラシや映画『のび太の恐竜2006』の紙帽子を渡されたのだが、そのさい係の人に、「お連れのお子様は何名でしょうか?」と尋ねられてしまった。
「自分が好きで見に来たんです」と答えると、
「あ、そうですか。では、ごゆっくりご観覧ください」と丁重に対応された。


 会場内は、午前10時の開場まもなくということもあってか、客数はたいして多くなかった。11時から水田わさびさんのトークショーがあるわりに空いているかな、という印象だった。
 展示物はパネル形式のものが多く、ドラえもんの歴史を記した年表や、キャラクター・声優さん紹介、ひみつ道具解説、クイズコーナーなどが並んでいた。歴代の映画ドラのポスターを展示したスペースや、『のび太の恐竜2006』のプロモーション映像を流すコーナーも設けられていた。セガ、タカラ、エポック社アート引越センターショウワノートが現在出しているドラえもんグッズも陳列されていて、アート引越センターで基本料金4万円以上の引越しを頼むともらえる「ドラえもん冷温庫」の実物を初めて見ることができた。
「ゲームドラタウン」なるゲームコーナーもあって、体を使って遊べるドラえもんゲームが3種類用意されていた。子ども向けの東京フレンドパークといった様相だ。



水田わさびさんトークショー」の時間が近づいてくると、ステージ前のフローリング床に座るお客さんが出始めたが、客数はさほど多くなかったので、慌てて場所取りをする必要はなかった。藤子ファン仲間のHさんと私は、余裕で2列め3列めあたりに座ることができた。
 トークショー開始直前になると、場内にスキマスイッチの「ボクノート」がかかり、大いに気分が盛り上がる。



 11時になってまず、ステージに司会者が登場。メ〜テレ名古屋テレビ)の鷲野圭子アナウンサーだった。鷲野アナは、『ドラえもん』が始まって今年で36周年になること、アニメは28年めであること、現在映画『のび太の恐竜2006』が公開中であることなどを簡単に紹介し、 「水田わさびさ〜ん」とトークショーの主役の名を呼んだ。そのタイミングに合わせ、場内に「ハグしちゃお」が流れる。するとステージの右手から、着ぐるみのドラえもんが勢いよく駆け出してきた。てっきりわさびさんが出てくるとばかり思っていた私は、着ぐるみドラの姿を見た瞬間、「やられた〜」と笑ってしまった。


 鷲野アナ「水田わさびさんは、どこにいるの?」
 ドラえもん「名古屋へ来たもんだから、天むすでも食べに行ったんじゃないの〜」
 鷲野アナ「このままじゃトークショーが中止になっちゃいます」


 といったやりとりがあってから、いよいよわさびさんがステージに姿を現した。
 わさびさんは、「よろしくお願いします」と挨拶をしたあと、「実家が三重なので、名古屋にはよく来ます。実家に帰るとき通過する、と言ったほうがいいかな(笑)」「この2月、『のび太の恐竜2006』の試写会で名古屋を訪れたんです。岐阜の羽島から順番に一日で5ヵ所の劇場をまわりました」と名古屋との縁をアピール。『のび太の恐竜2006』の見どころについて「友情です。あったかくなれるんです。のび太くんたちの強いチームワークが見られます」「映画になるとジャイアンがカッコいいんですよね〜」などと語った。



 それから、鷲野アナの質問にわさびさんが即答していく形式のトークとなり、そんな一問一答が終わると、わさびさんの答えを元にさらに話題が膨らんでいった。その辺の内容をまとめてみたい。


●声優さんになったきっかけは?
 小学一年のころから国語の時間に人前で朗読するのが好きでした。親に本を朗読してもらうより、自分で声を出して読むほうが好きでした。紙芝居も、裏に書いてある文章を好んで読みました。国語の先生が「上手に読めたシール」というの作って、私の朗読を誉めてくれたのもよかった。
 苦手な科目は算数でした。


ドラえもんのオーディションを受けたきっかけは?
 ある人に声をかけられました。


ドラえもんに決まった瞬間の気持ちは?
 頭が真っ白になりました。
 今になって、その頃のインタビュー記事を読み返すと、両親のことをよく語っているんです。私が東京へ出て声優になることに反対だった両親のことを思うと、(誰もが知っている)ドラえもんに決まったのは本当に嬉しかったし、反対しながらも東京に送り出してくれた両親に感謝しました。


●いま一番ほしいひみつ道具は?
 どこでもドアです。とくに上京してからは、実家へすぐ帰れるからほしいと思うようになりました。子どものころも、プールがある日に水着を忘れたり、予防接種のとき問診表を忘れたりするようなおっちょこちょいな子で、すぐに家へ取りに帰るため、どこでもドアがほしかったです。


●小さいころはどんな子だった?
 よく寝る子でした。あと、大人になってから父が「お手伝いをよくする子だった」と言ってくれたんです。これは自慢かな(笑)


●好きな食べ物・嫌いな食べ物は?
 ドラ焼きも含めた甘い物全般が好きです。苦手なのは、肉。鶏肉はまだ平気なんですが… (会場の子どもたちに向かって)本当は好き嫌いがあってはダメなんですよ。


●将来声優になりたい子へアドバイスを!
 その職業に就くための訓練をするのはもちろん、興味のあることにはなんでも一生懸命とりくむことが大切。私は学校へ一生懸命通いました。小学四年生のとき水疱瘡で休んだ以外は、高校まで無遅刻・無早退・無欠席で通いました。


●初めてドラえもんに出会ったのは?
 いつだったか覚えていないんです。物心ついてみればドラえもんがやっていて、自然に見ていました。


ドラえもんに実際に会ってみてどうだったか?
 不思議な感じでした。
 ドラえもんの体は丸の形で構成されていて、安心できるんです。(ここで、着ぐるみドラが後ろを向いて、尻尾も丸いことをアピール) 青という色も精神を落ち着かせる効果があって、ドラえもんを見ていると癒されます。


●名古屋は好き?
 当然です。好きに決まっています。




 わさびさんは、ドラえもんの仕事をする前からドラ焼きが好きだったそうだ。三重に住んでいたころは「千なり」をよく食べていたが、上京してからは「千なり」と言っても通じない、というローカルな話も出た。
「千なり」は、ドラ焼きに似た名古屋の銘菓で、贈答によく用いられる。私も子どものころ何度か食べた記憶があるが、最近は食べる機会がなくなった。


 わさびさんはトークショーの途中で、映画『のび太の恐竜2006』のなかで大ウケの「あたたかい目」をやってくれた。あの目の形をつくるのは当然無理なので、声のほうを演じてくれたわけだが、生で「あたたかい目」を聞けたのは貴重だった。


 トークショーのあいだじゅう、わさびさんの隣にいた着ぐるみドラは、終始ちょこまか動いていて、ときには跳ねたり走ったりと、元気いっぱい、弾けまくりだった。





■雑誌記事情報
・アニメ心を取り戻すトリビュートマガジン「アニメーションRE」VOL.3インデックス・コミュニケーションズ)が、映画『のび太の恐竜2006』の総力特集が組んでいる。大原めぐみ×神木隆之介対談や、小西賢一作画監督、渡辺歩監督のインタビューなどを掲載。渡辺監督描き下ろしポスター付き。ポスターのイラストが表紙にも使われている。『のび太の恐竜2006』ファンは読む価値高し。
 http://www.indexcomm.co.jp/mook_01.html


・マンスリー・ミュージック・マガジン「PATi-PATi(パチ-パチ)」4月号ソニー・マガジンズ)にスキマスイッチのインタビューが掲載。『のび太の恐竜2006』の主題歌「ボクノート」について語っている。最初に映画館で観た映画ドラが『パラレル西遊記』だったなど、『ドラえもん』の思い出に触れた部分もある。
 http://www.musicnet.co.jp/patipati/