ゴッホ展

 本日(4月10日)まで名古屋市美術館で開催された「没後120年 ゴッホ展」に行ってきました(行ったのは今日ではありませんが)。
 
 ・ゴッホ展のチケット

 
名古屋市美術館

 
 この展覧会は、ゴッホがどのように絵の技術を習得し、どんな画家の影響を受け、最終的にあのゴッホらしいゴッホの作風を獲得していったのか、その流れをつかめるよう構成されていました。
 技法・技術に着目するという趣旨から、ゴッホが絵を描くとき使っていたパースペクティブ・フレームという道具(レプリカ)も置いてありました。この道具は、描く対象の遠近感や比率などを整えるために用いるのだそうです。
 ゴッホというと、情念のまま力強く絵を描いてそうとか、晩年の狂気や悲劇性などのイメージが先立ってしまいますが、この展覧会では、理論を学び、基礎をコツコツと研究習得し、技術・技法の勉強を重んじたゴッホの真摯な姿が浮かび上がってきました。



 ゴッホは、芸術家になると決意してから、アカデミックな機関で学ぶのではなく、まず独学で素描の習得に力を注ぎました。著名な画家の作品の模写や人物モデルを使った素描などで自らの技術を磨いていったのです。
 農民の生活を描いたミレーの絵を手本とし、よく模写していたそうです。ミレーの絵の「技術」だけでなく「主題」にも影響を受け、掘る人、種まく人、耕す人など、農民の生活風景の素描をたくさん描いています。会場では、そうしたゴッホの素描作品をいくつも見ることができました。 私は、初期のゴッホがミレーから影響を受けていたことを知らなかったので、ゴッホが“農民画家”を模索していたという事実は新鮮でした。



 ここで、例のごとく「藤子不二雄」の話題と強引に関連付けます(笑)
 初期のゴッホが強く影響を受けたミレー。そのミレーの代表作のなかでも最も有名な作品といえば、やはり「落穂拾い」(1857年)でしょう。刈り入れ後の畑に落ちた麦の穂を拾い集める3人の農婦を描いた油彩画です。この「落穂拾い」が、『ドラえもん』の「つづきスプレー」に登場します。絵画に描かれた人物や情景の続きがどうなるかを見られる“つづきスプレー”を「落穂拾い」に噴きかけると、「落穂拾い」の絵のなかで雨が降ってきて3人の農婦があわてて畑から去っていく、という場面があるのです。一枚の静止した絵画が動画化されるという面白さがあります。


 ゴッホは、南フランスのアルルに移り住んだ時代に全盛期を迎えたといわれます。その時代に描かれた「アルルの部屋」という絵が展示してありました。ゴッホがアルル時代に住んだ“黄色い家”のなかのゴッホの部屋を描いた油彩画です。
 会場には、このアルルの部屋を実物大で立体化した空間もありました。
 
 ・この看板に使用されている絵が「アルルの部屋」です。


 ゴッホは、アルルの黄色い家を芸術家たちが共に暮らす場所にしたいと思っていました。結局、黄色い家に移ってきたのはゴーギャン一人だったのですが、ゴッホゴーギャンは激しくぶつかり合う結果となり、ゴッホは口論のすえ発作的に自分の左耳の一部を切り落としてしまいます。
 ここでまた「藤子不二雄」と結び付けますと、ゴッホが芸術家の共同生活の場にしたかった黄色い家は、若き日の藤子先生が漫画家仲間と共に暮らしたトキワ荘のイメージと重ならないこともありません。
 黄色い家とトキワ荘を比べてみた場合、非常に対照的に感じるのは、黄色い家には結局ゴーギャン一人しか入らなかったのに対し、トキワ荘には、続々と漫画家たちが集まったことです。
 また、黄色い家では、二人の創作に対する考え方が激しくぶつかり合いましたが、トキワ荘に集まった漫画家のあいだでは、互いの作品を厳しく批評したり激しく創作論を戦わせたりといったことはなく、もっぱら映画や趣味などの雑談で楽しんで創作上の理念で衝突することはありませんでした。そういう点も対照的な気がします。


 
 ・図録