きのう(7/7)、豊島区立トキワ荘マンガミュージアムがオープンしました。
おめでとうございます!
トキワ荘を描いた作品であるTVアニメ『ぼくらマンガ家 トキワ荘物語』(1981年)のレコードと、映画『トキワ荘の青春』(1996年)のVHSを引っぱりだして、オープンを私なりにお祝いしました😊
どちらも再生する機器がないので、ジャケットを眺めて楽しむだけですが😂
・映画『トキワ荘の青春』のパンフレットと、同映画を特集した雑誌「シネ・フロント」233号。
・パンフレットには、同映画のシナリオが収録されています。
・『ぼくらマンガ家 トキワ荘物語』を紹介する記事(「OUT」1981年11月号)
(『ぼくらマンガ家 トキワ荘物語』は、2008年7月2日に発売された『石ノ森章太郎 生誕70周年 DVD-BOX』(東映ビデオ)のボーナスディスクに収録されましたが、映像ソフト化は今のところその一度のみです)
このように、トキワ荘はTVアニメや映画などで物語化されているわけですが、そうしたトキワ荘の物語化の先駆的な企画が、1969年~70年に「COM」誌上で展開された連作マンガ『トキワ荘物語』です。トキワ荘に住んだ先生方と通った先生方が、トキワ荘時代のエピソードを思い思いに描いています。
・グランドコミックス『トキワ荘物語』(1978年、翠楊社)
“トキワ荘を描いた物語”というわけではありませんが、もうひとつ、トキワ荘関連の資料を紹介します。
・トキワ荘解体を報じる新聞記事(「朝日新聞」1982年12月1日付)です。トキワ荘の解体は、一般紙でも報じられるほどのニュースだったわけです。
そんな具合に、
トキワ荘は、マンガやアニメや映画で物語化されたり
解体されるときにはニュースとして報じられたり
復元されてミュージアムとしてオープンしたり
と、とても有名で重要なアパートになっています。文化的、歴史的、伝説的な建造物といえましょう。
しかし、当然のことながら、トキワ荘が無名だった時代もあるのです。
ここに「週刊朝日」昭和29年4月11日号があります。長者番付“画家の部”で1位を獲得した手塚治虫先生を紹介する記事が載っています。
この記事が、マスメディアでトキワ荘が具体的に描写された最初期の事例になると思います。この時点では、トキワ荘が現在のように有名なアパートであるはずもなく、まだ固有名詞で語られる存在ではありませんでしたから、「東京椎名町の、彼の宿であるアパート」という書き方をされ、「トキワ荘」という名は出てきません。
この記事ではトキワ荘の部屋の広さが「六畳」と書かれていますが、もちろん正しくは「四畳半」です。そして、生前の手塚先生はご自分の年齢をサバ読んでおられたので、生年が「大正15年」と記されています。むろん、手塚先生の本当の生年は昭和3年です。
トキワ荘マンガミュージアムのオープンに合わせて関連のコレクションや資料を取り出してお祝いしてみたのですが、肝心のトキワ荘マンガミュージアムにはまだ当分行けそうにありません(首都圏に住んでいれば事情も違ったでしょうが…)。
そこで、「リアルにトキワ荘の前に立った~!」という疑似体験の感動をだいぶ味わえたときの写真を眺めて、まだ行けないもどかしさを紛らすことにします。
・この写真は、2013年に東京都現代美術館で開催された特別展「手塚治虫×石ノ森章太郎 マンガのちから」の会場内で展示されていた模造トキワ荘を撮ったものです。本物のトキワ荘よりサイズは小さめで、表側だけの再現ではあったものの、この大きくてリアリティのある模造トキワ荘の前に立ったときは感動的でした。
ましてや、実物と同じサイズで復元されたトキワ荘マンガミュージアムの建物の前に立つとなれば、その感動ははるかに絶大なものとなることでしょう。その日が早めに訪れることを願うばかりです。