村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

 村上春樹の最新長編小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)を読みました。
 
 4年ほど前に刊行された春樹の大作『1Q84』もまだ読んでいないというのにこちらを読もうと思った理由は主にふたつ。
 この小説は内容が伏せられたままタイトルだけがまず発表されました。憶えにくく、つかみどころのないタイトルだな、と感じました。その後、タイトルにある「多崎つくる」が主人公の名前だと知ったとき、私は藤子・F・不二雄先生の幼年マンガ『つくるくん』を真っ先に思い浮かべました。主人公の名前が「つくる」というところに、ちょっと心が誘われたのです。
 そんな動機で読み始めた小説なので、これといって藤子不二雄とは関係ない作品なのに、当ブログで取り上げてみることにしました。ここ最近だけでも小説は何作か読んでいるのですが、基本的にそうした読書のことは当ブログで触れていません。にもかかわらずこの作品を取り上げるのは、そういうわけなのです。

 

 そして、『色彩を持たない…』を読もうと思ったもう一つの理由は、作品の舞台の一つに名古屋が選ばれている、ということです。
 春樹は『地球のはぐれ方』(文藝春秋、2004年)という本の中で、名古屋の特殊性を面白がっています。からかっているような言葉が並ぶのですが、ご本人は「決してからかって言っているわけじゃない」と弁明していますから、きっと能動的な意味で面白がっているのでしょう。その本から春樹が名古屋について語っている部分をいくつか引用してみます。

「名古屋という場所の特殊性は、そこが押しも押されもせぬ大都市でありながら、どこかしら異界に直結しているような呪術性を失っていないところ」
「その「異界」とは何かっていうと、結局のところ(中略)僕ら(普遍的日本人)自身の内部にある古典的異界=暗闇なんですね」
「これはもう「魔都」って呼んでもおかしくない」
「名古屋というエリアは、メスの入っていない手つかずの状態で、外界からは忘れられたまま、コナン・ドイルの「失われた世界」的に孤立進化してきたと言えるかもしれない」
「(名古屋を舞台にした小説は)書きにくいというか、だんだんもうカフカの世界になってくる(笑)」

 そんなことを語っていた村上春樹が名古屋を舞台に小説を書いた、というところに興味をおぼえました。おしゃれそうな街でおしゃれそうなものを食べたりおしゃれそうな音楽を聴いたりしている場面が特徴的な春樹の小説が、春樹ワールドとは水と油のような“魔都”名古屋をどう描いているのか? そんな興味もあって『色彩を持たない…』を読んでみたのです。


 春樹が名古屋を小説の舞台にするのは初めてです。『国境の南、太陽の西』に「名古屋」とか「豊橋」といった愛知県の地名が出てきたと記憶していますが、名古屋をちゃんとした舞台にするのは初めてでしょう。

『色彩を持たない…』における春樹の名古屋観は、『地球のはぐれ方』の頃の春樹と基本的には変わっていないようです。春樹は作中人物にこんなことを語らせています。

「とにかく二人とも現在、名古屋市内に職場を持っている。どちらも生まれ落ちてから、基本的に一歩もその街を出ていない。学校もずっと名古屋、職場も名古屋。なんだかコナン・ドイルの『失われた世界』みたい。ねえ、名古屋ってそんなに居心地の良いところなの?」

 名古屋の閉鎖性、自己完結性、内輪の仲間意識の強さ、ガラパゴス的な発展の仕方みたいなものを、コナン・ドイルの『失われた世界』に喩えているところなど、『地球のはぐれ方』と同じです。


 多崎つくるは、現在は東京に住んでいるのですが、高校を卒業するまで名古屋に住んでいました。名古屋時代の彼は4人の友達とともに「乱れなく調和した共同体」を形成していました。5人いることで完璧に均衡が保たれるような、そこから1人欠けても1人増えてもバランスが崩れるような、そんなグループの一員だったのです。そうした自己完結性が高く仲間意識の強固なグループが形成される土地として、名古屋が選ばれているのです。その5人グループは“小さな名古屋”のようなありかたをしていたわけです。
 ですから、5人グループから実際に1人欠けることで調和が乱れます。他の4人は高校を卒業しても地元の大学に進学する道を選んだのですが、多崎つくるだけは自分の夢の実現のため東京の大学へ出ました。やがて多崎つくるは、そのグループから排斥されます。理由もわからないままグループから放り出されてしまうのです。そうなったのは、彼が東京に出たことが直接的な理由ではないのですが、もし東京に出ていなければ、そうした悲劇的な形でのグループの不調和は起こらなかったでしょう。


 本作で書かれた春樹の名古屋観は『地球のはぐれ方』の頃のものと基本的には変わっていないようだ、と前述しましたが、名古屋の街の描写を読むと、さほど名古屋の個性には関心がないような、他の都市とも置き換え可能な情景描写がなされているような気がします。 地元の大学名や自動車ブランド名など名古屋らしい固有名詞が出てくることは出てくるのですが、それは記号的な固有名詞の使い方でして、それを別の街の固有名詞とあっさり交換してしまえるような、交換しても話が自然に成立してしまうような、そんな印象をおぼえました。まあ、それが春樹らしさなのかなとも思いますが…(笑)


 5人グループから追放された多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きてきた…というところからこの小説は始まります。長編ではありますが、大作と大作とのインターバルみたいな作品という感じで、春樹の代表作にはならないでしょうし、ノーベル文学賞を取るのではと目されている作家の新作!という期待値から見れば物足りなくもあるのですが、私は面白く読めました。謎が提示され、その謎を解明していくというミステリーのような物語構造や、各章のラストの文のヒキの強さなどが、読みやすさを後押ししてくれます。



 村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』と藤子・F・不二雄先生の『つくるくん』は、主人公の名が「つくる」つながりである……というそれだけの理由で『色彩を持たない…』を当ブログで取り上げてみたわけですが、記事を書くうちにひとつ春樹作品と藤子F作品の興味深いつながりを思い出したので紹介しておきます。
 村上春樹の代表作に『ねじまき鳥クロニクル』という小説があります。そして、藤子・F・不二雄先生の遺作となったのは大長編ドラえもんのび太のねじ巻き都市(シティー)冒険記』です。
 
 
ねじまき鳥クロニクル』と『ねじ巻き都市冒険記』…、この2作品のタイトルの符合に目がとまります。
 まず「ねじまき」という部分は一目瞭然、(表記が少し違いますが)しっかりと一致しています。
「都市」と「鳥」は、それぞれ「シティー」「どり」と読ませますが、普通に読めば「とし」と「とり」となります。そうすると、ずいぶん語感が近くなった気がします。
 そして、「クロニクル」と「冒険記」。「クロニクル」は直訳すれば「年代記」です。「年代記」と「冒険記」…、これもなかなかの符合です。
 春樹の『ねじまき鳥クロニクル』第1部は、「新潮」1992年10月号から93年8月号にかけて連載されました。(第1部の単行本は1994年、第2部は書き下ろしで同年、第3部は書き下ろしで95年刊行)。F先生の『のび太のねじ巻き都市冒険記』の連載が始まったのは「月刊コロコロコミック」1996年9月号からでした。
 発表の時期から見て、F先生が春樹の小説のタイトルに触発されたと推測できます。『ねじまき鳥クロニクル』というタイトルの独特な語感にF先生は魅力を感じ、そのタイトルを語呂合わせ的に応用して『ねじ巻き都市冒険記』とされたのだろうと私は勝手に思っています。



●17日(金)「ビッグコミック増刊」6月17日号が発売されました。同号で、藤子不二雄A先生と西原理恵子さんのコラボエッセイ『人生ことわざ面白“漫”辞典』の連載が30回を迎えました。
 今回のエッセイのテーマは「健康は病気になるまで尊ばれない」。最近A先生が入院・手術されているだけにこのテーマは心に沁み入るものがあります。