ミヒャエル・エンデ『魔法のカクテル』

 ミヒャエル・エンデの『魔法のカクテル』を読みました。『モモ』『はてしない物語』といった有名作のあと、ほぼ10年ぶりに発表されたファンタジー作品です。
 
 大晦日。午後5時から12時までの7時間の出来事が書かれます。ストーリーは実にシンプル。『モモ』や『はてしない物語』のような、特有の複雑さはありません。


 1年分のノルマがまるで達成できておらず、このままでは地獄の魔王から罰せられてしまう魔術師と魔女。2人は、その年がもう終わろうという大晦日の晩になって、起死回生のノルマ達成のため“魔法のカクテル”をつくりだします。
 魔術師と魔女が達成すべきノルマとは、人間界および自然界に大きな厄災をもたらすこと。たとえば、10種の動物を絶滅させる、5つの河川を汚染させる、新しい疫病を1つ流行らせる、といったことです。
 夏休み最終日になっても宿題がほとんど残っていて焦る子どものように、魔術師と魔女はノルマ達成の最後の手段として、魔法のカクテルをつくることに賭けます。このカクテルを1杯飲むと、願い事が1つ必ずかなうのです。


 この魔法のカクテルの正式名称は「ジゴクアクニンジャネンリキュール」。このネーミングに代表されるように、本作ではエンデの言葉遊びがぜいたくなほど炸裂しています。韻文や語呂合わせなどが頻出するのです。
 ただ、原文のドイツ語ではちゃんと韻文や語呂合わせになっていても、それを日本語に直訳すると韻文や語呂合わせではなくなってしまいます。原文の言葉遊びの面白さを活かしながら翻訳する作業はたいそう骨が折れるものだっただろうなあ、と訳者の苦労と工夫をねぎらいたくなりました(笑)


 この物語には、魔術師と魔女の企みを阻止しようと派遣されたネコとカラスが登場します。登場人物は、ほとんどこの4者だけといってもよいくらい(厳密にいえば、ほかにも登場しますが)。
 魔術師と魔女、そしてネコとカラスのユーモラスで機智に富んだ掛け合いがなかなか面白いです。ストーリーがシンプルなぶん、この掛け合いと、あふれんばかりの言葉遊びが本作の重要な魅力として浮かび上がってきます。


 最後に、藤子ネタを牽強付会に絡めてみます(笑)
 前述のように、魔法のカクテルを1杯飲むと、願い事が1つ必ずかないます。その願いのかない方には、クセがあります。願ったことがすっかり逆になってかなう、というのです。健康を願えば病気になる、平和を願えば戦争が起こる……といった具合に。
 この願いのかない方って、「帰ってきたドラえもん」に登場する「ウソ800」を彷彿とさせるところがあります(笑) ウソ800を飲んで何か喋ると、喋ったことが嘘になります。それは魔法のカクテルの「願い事が逆にかなう」という効果と若干ニュアンスが違うようにも感じられますが、喋ったこと(願ったこと)が逆になって実現するという点で、さほど大きな違いはないとも言えましょう。ウソ800も魔法のカクテルも飲み物である、という点も共通項です。


「帰ってきたドラえもん」はあまりにも有名なエピソードになっていて、ここで紹介するまでもないのですが、良い話は何度紹介しても良い話として揺るぎありません。ですから、ウソ800の効果を説明する意味も込めて、あらためてこの話のラストを紹介してみます。
 ウソ800を飲んだのび太はこの話の終わりごろになって、ドラえもんがいないというつらい現実を自分に言い聞かせるように「ドラえもんは帰ってこないんだから。もう、二度とあえないんだから」とつぶやきます。すると、未来へ帰ってしまってもう会えないはずだったドラえもんのび太のところへ帰ってきました。感動の再会です。そうして最後のコマ、ドラえもんと抱き合ったのび太が「うれしくない。これからまた、ずうっとドラえもんといっしょにくらさない」と、あふれるような喜びを表現します。ウソ800を飲んでいるがために、自分の本心とは反対の言葉を選びながら再会の喜びを表現するという、ユニークな感動場面になったのです。



●現役の小説家の中でも私が特に推している1人、辻村深月さんの書き下ろし小説『島はぼくらと』が5日(水)に発売されました。 
 
 直木賞受賞後1作めの単行本になります。待望の新刊であるだけに、書店で現物を見た瞬間は胸が躍りました。装画を漫画家の五十嵐大介さんが手がけているのも素敵です。
 この『島はぼくらと』というタイトルは、映画ドラえもんのび太の海底鬼岩城』のテーマソング『海はぼくらと』がベースになっているんじゃないか……。そんな話をある藤子ファンの方と交わしました。ドラえもんが大好きな辻村さんのことですし、「海」と「島」もイメージがつながりやすい語ですから、その可能性は低くないと思うのです。