藤子・F・不二雄先生のご命日に

本日(9/23)は藤子・F・不二雄先生のご命日。

今年のご命日は、この2冊を読んで先生を偲びました。 

f:id:koikesan:20191024105823j:plain

 『みきおとミキオ』は、この作品が発表された時代から100年後の未来世界を描いています。西暦2074年(てんとう虫コミックス版は2078年)。それが本作のメイン舞台です。

 私が『みきおとミキオ』を初めて読んだ頃はほぼ100年後だったその未来世界が、今となっては、だいぶ近い未来になってきたなあ…と少しショックというか感慨深いというか、時の流れというものを感じざるをえません。だいぶ近い未来…といっても、私はその頃にはもうこの世にいないと思いますが(泣)

 ともあれ、2070年代というのは、すぐやってくるほど近い未来でもありませんが、そう遠い未来でもありませんね。

 

 藤子F先生が想像した2070年代の日本は、現在より科学技術が発達してずいぶん便利な社会になっていますが、街路樹がぜんぶ作り物で、昆虫を昆虫園でしか見られず、富士山頂にビルがぎっしり建ち並び、海水浴場に自然の岩がほとんど残っていない……といった自然破壊がとても進んだ世界でもあります。その時代の人々は便利さに依存するあまり、体力や計算力が現代人より衰えています。

 100年後の未来。それは憧れの時代ではあるけれど、憧ればかりを描くのではなく負の要素も示されているのが印象的です。

  1970年代に暮らすみきおにとって100年後の未来世界が憧れの時代であるように、2070年代に暮らすミキオにとってもまた、100年前の世界は失われた自然や文化がまだ残っている憧れの時代である……。そんな相互性も、読んでいて印象深いところです。

 

 『みきおとミキオ』で描かれた未来世界の発展ぶりを見たとき、いろいろとイイなあと思えるものがあるわけですが、地震の被害を防ぐ技術が確立されているのが切実にイイなあと感じます。地震を発生させるエネルギーが地中に溜まってくると、それを安全な場所に誘導し、人工的に地震を引き起こしてエネルギーを発散させてしまえるのですから。人工地震が引き起こされる場所は安全であることがわかっているので、野次馬が集まってきて地面の強い揺れを体験して楽しんでいます。おそろしい地震がこの未来世界では遊び感覚になっているのですから、ほんとうにイイなあと思うのです。

 

 また、本作における未来世界では、ミニコプター、宇宙ヨット、エアカーなどいろいろ乗り物を小学生が自ら運転したり子どもたちだけで乗ったりしており、そのことにも興味を惹かれました。それだけ自動運転や安全性などの技術が進歩したということなのでしょう。子どもの主体性や人格をもっと認める社会になっている、ということも少しはあるのかしら……。

 

 ミキオの暮らす時代に熱狂的人気を博している“メンバン”は、メンコ遊びがプロ競技化したものです。『ドラえもん』に出てくる“プロあや”を思い出します。プロあやは、あやとりがプロ競技化したもの。どちらもプロレスやボクシングみたいに四角いリングの上で戦い、世界タイトルマッチが行なわれます。

 素朴な子どもの遊びだとわれわれが思い込んでいるものが、世界的プロ競技となり熱狂的人気を獲得し、莫大なお金が動いている……。そこには、そんな不思議さとおかしさがあります。

 

 と、『みきおとミキオ』を読みながら、そんなことを思ったF先生のご命日でした。

 

 もう一冊の『ドラえもん物語 ~藤子・F・不二雄先生の背中~』は、F先生が亡くなる頃のことが描かれていて、いつ読んで涙なしでは読めません。今日のようなご命日に読んだりしたら、なおさら痛切に胸の奥にしみてきて心が揺さぶられます。