ときわ藍さんのインタビューが中日新聞に!

 4月24日付「中日新聞夕刊」に、ときわ藍さんのインタビューが掲載されました。「あの人に迫る」というコーナーで、一面の半分以上を占める、かなり大きな記事でした。

f:id:koikesan:20200424225920j:plain

 今(4/25現在)なら、そのインタビューをWEBでも読めます。

 https://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/

 

 『ドラえもん』をはじめとする藤子Fマンガとの出会いから、小3のころマンガを描きはじめたこと、良い結果がなかなか出ないながらも投稿を続けて小学館新人コミック大賞の少女・女性部門で大賞を受賞したこと、プロデビューしてからの苦労やプロとしての心構えなど、ときわさんのこれまでの“まんが道”が語られています。

 それとともに、中学時代は学校になじめなかったこと、推薦をもらった高校の面接で落ちて定時制高校へ入学したこと、結果的に定時制へ行って“生きやすさ”を感じられたことなど、学校生活についても触れられています。

 14歳でプロ漫画家としてデビューし「早熟」「天才」と言われることも少なくなかったであろうときわさんの、等身大の内面がうかがえるようです。と同時に、ときわさんが持つマンガへの情熱と才気をあらためて感じさせるインタビューでもあります。

 

 プロになって読者の好みを意識せねばならず、競争の中に置かれるようになったときわさんは、読者に媚びようとして自分を見失った時期があったとか。

 きっと、しんどかったことでしょう。焦りもあったでしょう。

 でも、ときわさんは、そういう時期を過ごすなかで、媚びることは読者に失礼だと気づき、

一番自分らしさを出せて楽しめることと読者が面白いと思うものが一致したときに初めて、いい作品が生まれるんだ

 と思うようになったのです。

 ときわさんのその言葉から、私はさりげなく藤子スピリットを感じました。2人の藤子先生も、まず自分が楽しんで作品を描き、それを読者にも楽しんでもらいたい…という創作姿勢をよく語っておいででした。

 

 たとえば… 

f:id:koikesan:20200424213939j:plain

 藤本(藤子F)「(略)自分のかいたものを、喜んで、おもしろがって読んでもらいたい願いがあるわけで、おもしろがってくれるか否かという判断をどこへ置くかというと、自分がおもしろがれるかどうか、また自分に帰ってくるわけ

 安孫子(藤子Ⓐ)「だから逆に言えば、いくら読者が喜んでもね、これなら絶対読者にウケるだろうと思っても、自分に合わないのはボクらはかけないってことになる。自分が楽しくかいて、読者も喜ぶ。その両方が合致したものしかかけないんです。もちろん、自分がおもしろいと思っても、読者がそう感じるかはべつですけどね

 藤本「それは結果ですね。ボクらのモットーは“われも楽しみ、人も楽しみ”ということですよ

 (「SFコミックス リュウ」Vol.4/1980年/徳間書店

 

 また、藤子F先生は別のインタビューでこんなことをおっしゃっていました。

読者は王様だけど、でも王様に合わせて描こうとしても、できないわけでね。王様の好みが、まんが家の死命を制する。それは事実だけれど、それに合わせようったって、できることじゃないんですよ。自分にとっても面白い、読者にとっても面白い、そんな共通の地盤捜しが、まんが家の永遠のテーマだと思うんですね

 (「オレのまんが道 まんが家インタビュー(Ⅱ)」少年サンデー編集部 編/根岸康雄 取材・文/1990年/小学館

 

 あるトークイベントで、藤子Ⓐ先生からこんなお話も聞きました。

ウケるだろうかと計算して描いてもウケるものではない。結局は、自分が描きたいもの、自分が面白いと思うもので、誰も描いていない作品を描くしかない

 

 そんな藤子スピリットを、ときわさんの発言から感じたわけです。

 

  ときわさんは今回のインタビューで、今後どんな作品を描きたいかという質問にも答えています。

もっと大人になったら、青年誌の「ビッグコミック」に作品を発表できるくらいの作家になりたいです。できるかどうか分かりませんが、F先生の「異色短編集」みたいな作品を描けたらいいですね

 その時が来るまで、私もなんとか生きながらえたいものです。

 

 ときわさんのインタビュー本編がステキだったのはもちろん、インタビューを担当した記者さんが書いた「インタビューを終えて」という後書きもよかったです。

 特に、このくだりにはグッと来ました。

漫画界の若き天才。そんな少女がずっと「生きづらさ」を抱えていたとは。やはり優れた才能は、鉱山でガス漏れの危機をいち早く教えてくれるカナリアのような存在なのかもしれない。その鋭敏な感性は、夢に逃避するのではなく現実に向き合う方を好む

 

 この部分を読んで思い出したのが、何ヵ月か前の「中日新聞」で紹介されていた作家・井上ひさしさんの次のような言葉です。

私たち作家が、通勤ラッシュの電車に乗らなくてもよく、飲もうと思えば昼間からでもビールを飲める生活をしているのは、それは私たちの社会に何か危険が迫ったら、作家は炭鉱のカナリアのようにいち早く知らせる役目を負っているからです

 

 「炭鉱のカナリア」とは、炭鉱労働者が炭鉱へ入っていくさいカナリアを入れた鳥籠をぶらさげていたことに由来する言葉です。炭鉱内には毒ガスが発生している危険があり、知らずに入っていけばその毒ガスを吸って倒れてしまうことになります。

 そこでカナリアの登場です。

 カナリアは人間より先に空気中の毒ガスを察知して騒ぎたてたり気を失ったりするので、炭鉱労働者は自分たちが毒ガスを吸って倒れるリスクを避けられるのです。カナリアが毒ガス警報装置の役割を担うわけです。

 そんな炭鉱のカナリアのように、作家は時代や社会の空気の変化を敏感に察知して巷の人々にその危険性を伝える役割を持っている、と井上ひさしさんは語っていたのです。

 

 「作家(芸術家)は炭鉱のカナリアである」と初めて言いだしたのは、おそらくアメリカの作家、カート・ヴォネガットだと思います。1969年の講演で「坑内カナリア芸術論」を唱えたのだそうです。

 

  ともあれ、ときわさんにインタビューをした記者さんは、相応の時間ときわさんと接し、ときわさんの話をじっくり聞いたことで、彼女の鋭敏な感性と社会への関心の強さを感じとって、炭鉱のカナリアを想起したのでしょう。

 

 将来的には「ビッグコミック」で藤子F先生の異色短編のような作品を描きたいと望み、記者さんから「炭鉱のカナリア」の資質を見いだされたときわさんですが、これからも子ども向けの作品を描いていきたい、という思いも強く持っているようです。

 

 そんなときわ藍さんがこれから生み出していく作品のひとつひとつから、私は目を離せないでしょう。