藤子・F・不二雄先生の食生活

 22日の日記で、藤子・F・不二雄先生の短編マンガ『山寺グラフィティ』について書いた。『山寺グラフィティ』が「週刊少年サンデー1979年3月20日増刊号」で発表された作品であることも、そのとき記述した。
 この「週刊少年サンデー1979年3月20日増刊号」は、表紙や背表紙、目次などで「春の増刊号第1弾」と謳われている。それに次ぐ「春の増刊号第2弾」として発売されたのが、「週刊少年サンデー1979年4月25日増刊号」であり、この号には藤子・F先生の短編マンガ*1『恋人製造法』が掲載されている。
 その『恋人製造法』に、宇宙船の故障のため地球に漂着した宇宙人が登場する。飲まず食わずで飢餓状態にあった宇宙人に、主人公の少年・内男がカップラーメンを食べさせると、宇宙人は激しく興奮しながら、「銀河系くまなくうまい物を食べ歩いておるが、このような美味は初めてじゃ!」と、そのおいしさを絶賛した。
『恋人製造法』単行本化のさいには、この、カップラーメンを食べた宇宙人のリアクションが、藤子・F先生の手によって2コマ描き足され、宇宙人の感動ぶりがより入念に描写されている。


 そんな宇宙人の感動ぶりを見ていると、この宇宙人は、インスタントラーメンを初めて食べたときの藤子・F・不二雄先生の感動を代弁しているのではないか、と思えてくる。
 藤子マンガでラーメン好きといえば、『オバケのQ太郎』などに登場する小池さんがすぐに思い当たるが、実は作者の藤子・F先生も、インスタントラーメンには相当な愛着を持っていたのである。
 藤子・F先生はもちろん、インスタントラーメンを食べておいしいと感じたからこそ好きになったのだろう。しかしそこは視点の転換がお得意な藤子・F先生だけあって、インスタントラーメンの「味」以外の側面にも目を向けて、その魅力を見出していたのだ。
 藤子・F先生は、インスタントラーメンのインスタント性、すなわち、お湯をかけるだけで簡単に食べられる、という特徴にまず魅力を感じたうえで、もともと固かった麺がお湯をかけるとぜんぜん違う食べ物のように変身する「魔法」のような側面にも好奇心をそそられた、と述べている。
 お湯をかける前後のラーメンの著しい変貌ぶりを「魔法みたい」と表現する藤子・F先生にとって、インスタントラーメンは「すこし・ふしぎ」な驚きを与えてくれる魅惑的な食品であったのだろう。


 藤子・F先生が「味」以外の要素でその食べ物の好き嫌いを判断していた事例は、ほかにもある。
 藤子・F先生は、大根がひどく嫌いだった。嫌いといっても、大根を口に含んだところで不快になるわけではなかった。大根の味がまずい、という理由で大根を嫌っていたのではないのである。
 では、藤子・F先生はなぜ大根が大嫌いだったのか。それについてご本人はこのように答えている。

まったく理由がないですね。自分で考えても分からないのね。これはもう主義というに近いです。(中略) なにかこう昔から不倶戴天の敵という感じでね。嫌いと決め込んじゃってるみたいです。

このあとの藤子・F先生の発言によると、大根の形が嫌い、というわけでもないそうだ。
 藤子・F先生にとって大根とは、理由もなくとにかく嫌いな食べ物で、この世で一緒にいたくないほど恨めしい敵だったわけである。先生が「主義というに近い」といっているように、これはもう「大根嫌悪主義」とでも名づけるべき、妥協をゆるさぬ完璧なポリシーであったのだろう。
 これが大根を漬物にした「タクアン」になると、「匂い」というはっきりとした嫌悪の理由が生じるので、藤子・F先生は、家族で食事をとるときには、自分の風上にタクアンを置かせなかったそうである。
 藤子・F先生の大根嫌い・タクアン嫌いは、先生の奥様・正子さんも証言している。

・富山では欠かせない漬物は彼は大嫌いでした
大根おろしも匂いが大嫌い

 家族をも巻き込んだ藤子・F先生の大根嫌悪主義は、頑として揺るぎないまでに徹底したものだったのだろう。でも、先生が家族に向かって大根が嫌いと訴えている様子を想像すると、なんだかほほえましい気持ちにもなってくる。


 奥様によれば、藤子・F先生は食べ物にはあまり興味がなく、「何が食べたい」といわない人だったので、先生の好きな物を作るよりは、嫌いな物を食卓に絶対にあげないことに気をつかっていた、ということだ。そんな、気配りの行き届いた優しい奥様とすごした日々は、先生にとってさぞかし幸福なものであったことだろう。

 蛇足だが、奥様が藤子・F先生について語ったインタビューは、プライベートなことをあまり話さなかった藤子・F先生のお人柄や趣味を知ることができて、極めて興味深い*2。たとえば、藤子・F先生が、映画『ソナチネ』を絶賛しており、北野武さんが監督をつとめた映画を全部観ていた、という事実も、奥様が発言しなければ誰も知りえなかったわけである。


  ●参考資料
  ・「vesta」2002年夏号(味の素食の文化センター)
  ・「本の窓」1998年3・4月合併号(小学館
  ・「週刊現代」1992年7月18日号(講談社
  ・「話の特集1984年11月号

*1:初出の扉には「長編SFラブストーリー」と銘打たれている。

*2:同様のことが、藤子・F先生の娘さんのエッセイやインタビューでもいえる。