オバQの毛を3本と決めたのは誰?

講談社現代新書「テレビアニメ魂」(山崎敬之著/2005年5月20日第1刷発行)という本が発売された。
 著者の山崎敬之氏は、1968年、アニメ制作会社「東京ムービー」に入社し、『巨人の星』『ど根性ガエル』『はじめ人間ギャートルズ』『それいけ!アンパンマン』など多数のアニメのシナリオを担当した人物。そんな山崎氏が本書を執筆したのは、巷にあふれるアニメ論で不足している「現場の熱気」を発信したかったから、とのこと。


 山崎氏は、藤子不二雄アニメでは、モノクロ『怪物くん』や『新オバケのQ太郎』の制作に携わっていて、それらの作品の舞台裏エピソードも本書で紹介している。
 モノクロ『怪物くん』最終回の打ち合わせで、安孫子先生がなかなかシナリオにOKを出してくれず、「あとから思えば、これほど手ごわい原作者もいなかった」と述懐するくだりなどは、藤子ファンとしてとても興味深かった。


 本書の第2章は、「人気絶頂で消えた『オバQ』」。その見出しのとおり、モノクロ『オバQ』にまつわる制作舞台裏エピソードが書いてあるのだが、そのなかでとくに関心を惹かれたのがこの部分だ。

オバQの毛が三本であることはいまでこそ「常識」だが、じつは『週刊少年サンデー』に連載されていた藤子不二雄先生のマンガでは、オバQの頭にはふさふさと毛がたくさん生えていたのだ。それをアニメ化するにあたってキャラクター設定の際に「三本のほうがよい」と提言したのが田代さんだった。ふさふさ頭では、絵を動かしにくい、という理由からだった。

僕を呼び出したその家の主こそ、東京ムービー取締役企画部長、オバQの毛を三本に決めた田代さんだったのだ。

 この文に出てくる「田代さん」とは、東京ムービー取締役企画部長だった田代博茂氏のことである。
 ここで著者の山崎氏は、〝オバQの毛を3本に決めたのは田代博茂氏〟といったことを述べているが、この証言は、『オバケのQ太郎』の原作者である藤子不二雄先生のこれまでの証言とかなり食い違っている。藤子両先生は、オバQの毛を3本にしたのは意図的ではなく、連載が進むにつれて自然にそうなった、と様々なところで発言しているのだ。
 たとえば、「まんだらけ」目録に掲載された1995年夏のインタビューで藤子・F・不二雄先生は次のように述べている。

インタビュアー「『オバQ』も連載当時は毛が三本じゃなくてふさふさあったと」
藤子・F「そうそう」
インタビュアー「あれは毛が三本というのは途中から意図して変えたのですか」
藤子・F「なんとなくそうなっちゃったっていうかね。やっぱりキャラクターの一人歩き現象というか落ち着くべきところに落ち着いたという感じで気がついてみると三本に定着してたんですよ。どういうんだろうね。不思議ですね。最初は何本なんて全く考えないで描いたんだけども、ある時期になったら、三本に落ち着いてて最初からやっぱり三本じゃなかったらおかしかったんだということで」

 また、藤子不二雄A先生も、自著『二人で少年漫画ばかり描いてきた』でこう書いている。

この一回目のオバQの頭には毛が三本どころか、モジャモジャと毛が十本も生えていた。身体つきだって、後のオバQからみると大きくてズングリムックリしている。顔つき、態度を見ても、かわいいオバケというより、図々しくてちょっとニクタラシイオバケという感じ。それが五、六回目頃から〝頭のテッペンに毛が三本〟になり、身体つきもかなり減量に成功し、顔つき、態度もカワイークなっちゃったのだ。これは描いてる本人が意識的に操作したのじゃなくて、何となく自然にそうなっていくというところに漫画の不思議さ、不気味さがある。

 オバQの毛が3本になった経緯について、山崎氏は、オバQをアニメ化するにあたり東京ムービーの田代博茂氏が決めた、と書いているが、藤子両先生は、自分らがオバQを描いていくうちに自然にそうなった、と語っていて、山崎氏と藤子両先生の証言に齟齬が生じている。


 たしかに、藤子先生が描いた原作マンガのオバQは、連載当初、頭のてっぺんに毛が10本ほど生えていてふさふさした印象だった。
オバケのQ太郎』連載第1回は、「週刊少年サンデー」1964年2月2日号で発表されているが、この回のオバQの毛を数えてみると、コマによって10本だったり9本だったり、少ないときには6本だったりとまちまちである。やはり10本、9本と生えていれば、頭がふさふさして見える。
オバケのQ太郎』はその後、「週刊少年サンデー」1964年3月29日号に載った第9回でいったん連載を終えていて、その回のオバQの毛の本数は、連載第1回と同じくコマによってまちまちながら、そのときと比べ激減している。そこで、この回の毛の数を1コマずつ数えてみると、以下のような結果となった。(毛かどうか判別しにくい線もあったので、以下の数字は大ざっぱなものととらえていただきたい)

オバケのQ太郎』連載第9回(「週刊少年サンデー」1964年3月29日号)におけるオバQの毛の本数と、その本数で描かれたコマの数


5本  3コマ
4本  24コマ
3本  25コマ

 この結果から、連載スタートからおよそ2ヵ月後の第9回で、オバQの毛はほぼ3〜4本になっていたことがわかる。つまりこの時点で、すでにオバQの頭はふさふさしていなかったのである。


オバケのQ太郎』は、第9回でいったん連載が終了してから2ヶ月あまりのち、「週刊少年サンデー」1964年6月7日号において「新連載ゆかいまんが」と銘打たれ再スタートを切る。その後、連載を重ねるにつれ『オバQ』人気が高まり、翌年にはアニメ化、すさまじいオバQブームが巻き起こることになるのだが、それはさておき、この再スタート第1作でオバQの毛が何本になっているかしつこく数えてみた。

オバケのQ太郎』連載再スタート第1作(「週刊少年サンデー」1964年6月7日号)におけるオバQの毛の本数と、その本数で描かれたコマの数
4本 12コマ
3本 11コマ

 この回では、4本で描かれたコマと3本のコマがほぼ同じ個数存在している。
 その後の連載においては、4本か3本か、あるいはその前後、といった具合に、本数がきっちりと定まらない回がしばらく続くが、「藤子・F・不二雄FAN CLUB」の河井質店氏が行なった調査結果を見ると、この年(1964年)の「週刊少年サンデー」9月20日号で3本に定まり、11月1日号で「毛が3本」という表記が登場することがわかる。
 つまり、オバQの毛が10本近くあってふさふさしていたのは、連載開始当初わずか数回のことで、連載が始まって1〜2ヵ月後には、だいたい3〜4本に減り、1964年のうちに完全に3本で定着しているのである。


 ここで、山崎敬之氏の〝オバQの毛を3本に決めたのは田代博茂氏〟という証言に戻るが、田代氏が「(オバQの毛は)三本のほうがよい」と提言したのは、いったいいつのことだったのだろう。
オバケのQ太郎』のアニメ放送が始まるのは、原作マンガで毛が3本に定まってからおよそ1年後の1965年8月29日からだ。この日よりどのくらい以前に『オバQ』のアニメ化が決まっていたか定かではないが、『二人で少年漫画ばかり描いてきた』によれば、アニメ『オバケのQ太郎』に関する第1回の顔合わせがTBSで行なわれたのは、1965年5月のはじめだったというから、それより前の時期に田代氏が「(オバQの毛は)三本のほうがよい」と提言するような機会があったとは思いがたいのだ。


 やはり私は、藤子先生があちこちで述べているように、描いていくうちにいつのまにか自然に毛が3本に落ち着いていった、というのが正しい経緯であり、原作の毛が3本だからアニメのほうもそれに従って3本に決めた、というのが実状ではないかと思うのだ。
 仮に、1965年5月はじめの第1回打ち合わせのさい、田代氏が「三本のほうがよい」「ふさふさ頭では、絵を動かしにくい」という旨の発言をしたとしても、その時期にはとっくに原作のオバQの毛はふさふさしておらず、ふさふさしていないどころか完全に3本で定着していたのだ。とっくに3本で定着しているものに対して、「三本のほうがよい」と提言するのもおかしな話である。
 たとえば、アニメ『オバケのQ太郎』のスタッフ・関係者が集まってキャラクター設定の会議をしたさい、オバQの毛を原作どおり3本にするかそれ以外にするかで意見が分かれる、というような場面があって、そこで田代氏が「三本のほうがよい」と提言した、というなら話はわかるのだ。だから、アニメ・オバQの毛の数を原作どおり3本にしようと決めたのは、もしかすると田代氏かもしれないが、そもそもオバQの毛が3本なのは、藤子先生が『オバケのQ太郎』というマンガを描いていくうちに自然にそうなった、というのが妥当な見方だろう。


 マンガ『オバケのQ太郎』の連載が始まってすぐにアニメ化の話が持ちあがり、そこで田代氏が、オバQの毛は三本がよい、と提言したのを、藤子先生が原作マンガに取り込んでいった、という見方もできないことはないが…