『フータくん』パイロット・フィルムの謎を追う

 当ブログ11月17日の記事で、昭和41年にフォノシート*1の形態で発売された「フータくんのうた」がこのたびCDで復刻された、という情報をとりあげた。ソリッドレコード・ライブラリー「黄色い手袋X 〜幻の漫画フォノシート主題歌コレクション」なるアルバムのなかに「フータくんのうた」が収録されたのだ。このアルバムは、1960年代に発売された漫画フォノシート曲を19曲も収録している。それらの曲は、当時“アニメや実写などで映像化される予定のなかった漫画作品”あるいは“映像化の企画が進んでいた漫画作品”のために作られた主題歌である。


「フータくんのうた」は、もちろん『フータくん』の主題歌だ。
『フータくん』は、少年画報社の「週刊少年キング」で昭和39年から42年までのあいだ連載された、藤子不二雄A先生の人気ギャグマンガである。朝日ソノラマより「サンコミックス」のレーベルで単行本化され*2、その後、中央公論社の「藤子不二雄ランド」より『マネー・ハンター フータくん』*3として刊行、さらに「藤子不二雄ランド」のうち藤子A作品のみが復刊されて「藤子不二雄Aランド」*4のレーベルで世に流通している。


 活発で明るく好奇心旺盛な少年フータくんが、百万円の貯金を目標にアルバイトなどに挑戦する「百万円貯金編」、都道府県単位で日本一周の旅をする「日本一周編」、会社を作って奮闘する「ナンデモ会社編」と3つのシリーズに分かれ、毎度毎度元気にドタバタを繰り広げる。番外編として「別冊少年キング」にも掲載されたことがある。(「ナンデモ会社編」(全42話)はすべて単行本未収録、「別冊少年キング」版(全14話)は1話を除いて単行本未収録)


 写真は「週刊少年キング」昭和40年28号と同年50号の表紙である。28号の表紙は“カメラのレンズの内側にすっぽり収まったフータくん”で、50号のほうは“コンサートで気持ちよさげに歌うフータくん”だ。このように、当時はフータくんが「週刊少年キング」の表紙を大々的に飾ることが幾度もあった。
 そうした「週刊少年キング」誌上の盛り上がりを見ればテレビアニメ化されても全然おかしくないと思える『フータくん』だが、残念ながら本作のアニメ化はこれまで実現していない。
 しかし、テレビアニメ化の企画が持ち上がったことはあって、実際にパイロット・フィルムまでは作られている。そして、そのパイロット・フィルムが一部地域で実際にテレビ放映された、との説もあるのだ。
 断片的で数少ない情報があるだけでほとんどが謎に包まれた『フータくん』アニメ化企画であるが、それだけに強く興味をそそられるテーマなので、今日はその謎を追ってみたい。



 まず、『フータくん』のアニメ化企画に関する情報を記した文章を、藤子不二雄ファンサークル「ネオ・ユートピア」会誌第25号(1997年5月10日発行)から引用してみよう。

当時大ブレイクしていた『フータくん』にも、アニメ化の話があった。昭和44か45年頃に持ち上がったものとされ、のちに初代『ドラえもん』を製作することになる日本テレビ動画の前身会社〝東京テレビ動画〟が企画、モノクロの試作フィルムも作られた。企画段階では、カラー作品だったそうである。(徳間書店刊「テレビアニメ25周年史」による) この試作品は、収録時間も不明なら製作本数も1〜数本と、〝幻のアニメ〟としての資格を十二分に満たす伝説で包まれているが、さらに四国地方ではある番組の穴埋めとして放映されたことがあるという〝怪情報〟まで伝わっている。それ以外は全く何もわからない状況だが、今後これらが明らかになることもないだろう。

 この記述だけでも実に興味深いが、もっと以前に『フータくん』アニメ化の情報を伝えていた記事があるので、それもここで引用しよう。「COM」昭和42年1月号の「まんが・ジャーナル」欄に載った記事である。

少年キング』に連載中の「フータくん」は、42年1月にテレビまんがとして、日本テレビより放映される予定。製作は日放映。このほどパイロット・フィルム(見本用フィルム)が完成した。 オールカラーの15分もの2本で、30分間放映されるといわれている。

 はじめに引用した、徳間書店「テレビアニメ25周年史」に依った「ネオ・ユートピア」第25号の記事では、『フータくん』アニメ化の企画は「昭和44か45年頃に持ち上がったもの」と書かれている。それに対し「COM」昭和42年1月号では、「(昭和)42年1月」から放映される予定と記されている。
 この点を検討すれば、やはり「COM」に掲載された情報のほうがリアルタイムのものであるだけに、より確度が高いと考えられる。すなわち、『フータくん』のテレビアニメは昭和42年1月から放映が開始される予定で、アニメ化企画の話はおそらく前年の昭和41年に持ち上がっていた、と推定されるのである。そして、パイロット・フィルムも昭和41年末には完成していた、と見るのが妥当であろう。
「ネオ・ユートピア」第25号では“東京テレビ動画”が企画、「COM」では“日放映”が製作、とあって、担当する動画会社が違っているように見えるが、これについては「東京テレビ動画」の前身が「日放映」らしいので矛盾はないだろう。



 さらにもう一つ、この件に関する情報を紹介したい。大和書房刊『子どもの頃の「大疑問」 こちら、思い出探偵事務所』(2000年7月5日発行)という本に載っているものだ。本書は、思い出探偵と名乗る串間努氏が「日曜研究家」というミニコミ誌で募集した読者からの疑問とそれに対する答えを集めた本である。

【疑問】藤子不二雄の『フータくん』のアニメを一度だけ見たことがあります。25年ぐらい前、午後4時頃、再放送の時間帯で15分番組。1回こっきりで、あとが続きませんでした。その話は「サンコミックス」1巻収録「一円玉をすてると一円玉になくよ」を元にしたものだったのですが、大幅にアレンジされており、マンガでは5巻から登場する悪役のゴンゲンが善玉で出ていました。なぜか人間のような頭髪もはえていました。とにかくひどいアレンジです。
『フータくん』のアニメについてはアニメ研究書の類に言及されているのを寡聞にして見たことがありません。あれはいったい、何だったのでしょう?(昭和37年生 広島県


【答え】『フータくん』のアニメは、昭和44年にパイロットフィルムのみが製作されて、四国・中国地方でのみ放映されたということのようです。(昭和42年生 千葉県船橋市

 この質問者は実際に『フータくん』のアニメをテレビで観た記憶を持っており、非常に貴重な証言である。「一円玉をすてると一円玉になくよ」を元にしたものだったとか、ゴンゲンが出ていたとか、具体的な内容まで憶えていることから、この質問者が『フータくん』のアニメを観ていたことに信憑性を感じる。


 その質問者に対し回答者は「昭和44年にパイロット・フィルムのみが製作されて、四国・中国地方でのみ放映されたということのようです」と書いているが、この件については、前掲した「COM」昭和42年1月号の情報を信用して、パイロット・フィルムの製作は「昭和44年」ではなく「昭和41年末頃」だったと考えたい。ただし、そのパイロット・フィルムが一部地域でテレビ放映された年となると、回答者が言うように「昭和44年頃」であった可能性が高いと思われる。
 徳間書店「テレビアニメ25周年史」が、『フータくん』アニメ化の企画は「昭和44か45年頃」に持ち上がったものとされる、と記述している点についても、ここで言う「昭和44か45年頃」というのが「アニメ化企画が持ち上がった年」ではなく「パイロット・フィルムが実際にテレビで放映された年」であったと考えれば辻褄が合う。


 パイロット・フィルムが放映された地域が中国・四国地方であるというのも、おそらく正しい情報だろう。質問者は「午後4時頃、再放送の時間帯で15分番組」と記憶しているが、「ネオ・ユートピア」25号では「ある番組の穴埋めとして放映されたことがあるという」と書かれ、ネオ・ユートピアが刊行した藤子不二雄A先生漫画家生活50周年記念誌「藤子不二雄A ALL WORKS」(2005年6月4日発行)では「野球が雨で中止になった際に、穴埋め番組として『フータくん』が放映されたという噂もあり」と記述されている。こうした資料から、『フータくん』のパイロット・フィルムは「野球の雨傘番組」として中国・四国地方で放映された、という説が有力だと考えられる。
(追記:広島で放映された『フータくん』のパイロット・フィルムは、プロ野球の雨傘番組などではなくちゃんと新聞のテレビ欄に記されたものだった、という証言を別のルートから得た。この証言の信憑度も高いと感じた)


『フータくん』のアニメ化企画について、これまでの考察からさしあたって推定できる事実を以下に書き出してみよう。

●『フータくん』アニメ化の話は現実にあった。
●少なくともパイロット・フィルムは作られた。作られた時期は、おそらく昭和41年後半だろう。
●30分で2話を放映する番組になる予定だった。
パイロット・フィルムはモノクロだったが、実際のテレビ放映はカラーの予定だったらしい。これが実現すれば、『新オバケのQ太郎』(昭和46年〜)に先駆けて、藤子アニメ初のカラー作品になるはずだった。
パイロット・フィルム(と思われる『フータくん』のアニメ)が、中国・四国地方で野球中継の雨傘番組として放映されたことがある。それは昭和44年か45年頃のことだろう。(広島で放映された『フータくん』に関しては、雨傘番組ではなく、突如として新聞のテレビ欄に載り1回こっきり放映された番組だった。もしかすると、広島以外の中国・四国地方で放映されたものも、広島と同じ日に放映されたのかもしれない。だとしたら、広島版と同様にそれらも雨傘番組ではなかったことになる)
●製作会社は日本テレビ版『ドラえもん』を製作した「日本テレビ動画」の前身「東京テレビ動画」(のさらに前身「日放映」)であった。

『フータくん』のアニメは、藤子アニメの正史にその名を刻むことなく、“幻のアニメ”としてごく少数の人のあいだで都市伝説のように語られるのみの存在で終わってしまった。
 1980年代、テレビ朝日版『ドラえもん』を契機とした藤子アニメブームのなか、過去の藤子マンガが続々とリバイバルされアニメ化されていった。『フータくん』も、昭和57年に『フータくんNOW!』として「少年KING」で復活したのだが、そんな恵まれた時代にあってもアニメ化は実現しなかった。
 その人気、話数、面白さなどから考えても、『フータくん』は他の藤子アニメ作品と比べて遜色ないと思うのだが、それでもアニメ化されなかったのは不運だったとしか言いようがない。


 こうして謎を追えば追うほど『フータくん』のパイロット・フィルムを見たくなるが、はたして私が生きているうちに見られる日が来るだろうか…


 【2022年4月18日追記】
・なんとなんとなんと、マボロシの『フータくん』パイロット・フィルムがついに発見されました!令和の大発見!!と快哉を叫びたいです。
 Tokyo Cine Center(TCC試写室)様の4月16日のTwitter投稿でそのことが判明しました。
 https://t.co/K9Pr3oXJq0
 https://t.co/b70eLghnAv

 発見の事実だけも驚嘆の快挙ですが、こうなってくるとさらなる詳細情報にも期待大です。


・それともう一点。上のブログ記事の中で私は「TVアニメ25年史」(徳間書店、1988年)に依った「ネオ・ユートピア」25号(1997年)の記事を引用しています。
 その引用文の内容と、実際の「TVアニメ25年史」に書かれた記事の内容とが食い違っている…とのご指摘をいただきました。


 ●「ネオ・ユートピア」25号掲載の「TVアニメ25年史」に依った文章(私が上のブログ記事で引用した文章)

当時大ブレイクしていた『フータくん』にも、アニメ化の話があった。昭和44か45年頃に持ち上がったものとされ、のちに初代『ドラえもん』を製作することになる日本テレビ動画の前身会社〝東京テレビ動画〟が企画、モノクロの試作フィルムも作られた。企画段階では、カラー作品だったそうである。(徳間書店刊「テレビアニメ25周年史」による)


●今回ご教示いただいた実際の「TVアニメ25年史」の記事内容

昭和40年代の前半ごろ、テレビ局に売りこむためのパイロット版として数本のエピソードが完成していたという。
そういう事実があるかどうか、原作者側に問いあわせたところ、先生ご自身も憶えがないということだったが、その後16ミリプリントが某フィルム倉庫に保管されているらしいということが判明した。
その倉庫の管理者によれば、たしかにそういう作品はあったという返事。当時、テレビ番組のカラー化が主流だったにもかかわらず、白黒で制作されたためと、内容が地味だったため、長い間買い手がつかなかったという。その後、数年して、中国・四国地方のTV局で他の番組の穴うめとしてオンエアされたらしい。

 なぜこうした食い違いが生じたのか、今の私にそれを調査する余裕がありませんので、そういうご指摘をいただいたということのみここに示させていただきます。
 
 ともあれ、『フータくん』パイロット・フィルム発見はすごいことです。

*1:フォノシート:主に赤色透明で、ペラペラに薄いレコードのこと。「ソノシート」という言い方が普及しているが、これは朝日ソノラマの商標である。

*2:サンコミックス『フータくん』:全5巻/昭和43年〜44年/朝日ソノラマ発行

*3:藤子不二雄ランド『マネー・ハンター フータくん』:全7巻/昭和61年〜62年/中央公論社発行

*4:藤子不二雄Aランド『マネー・ハンター フータくん』:全7巻/平成15年/ブッキング発行