藤子キャラだらけの表紙絵

25日(日)、「懐かしの漫劇倶楽部」の製本の集いに行ってきた。会誌の製本・発送作業をするための会合である。開催場所は愛知県岡崎市


「懐かしの漫劇倶楽部」は、主に昭和30年代から40年代の漫画・劇画・特撮を愛好する人たちが集まったサークルで、3月10日現在の会員数は43人。 昭和30〜40年代の漫画をリアルタイムで読んだ方々が会の多数派を占めているから、私は同会のなかではかなり年齢が低いほうになる。「昭和43年生まれです」と自己紹介すると、「若いね〜!」と驚嘆されるほどだ(笑)


 今回の会誌の表紙絵は、私の担当だった。藤子キャラを描けるだけ描いて、表紙を埋め尽くしてみた。F作品・A作品の垣根を越えた藤子キャラ大集合である。

 製本の集い終了後は、会員のTさんのお宅へうかがい、コレクションを見物させてもらった。Tさんは、昭和22年に発行された手塚治虫先生の『新宝島』をリアルタイムで読んで手塚ファンになり、それ以後ずっと漫画を愛し続けているという、大ベテランの漫画ファン。小松崎茂先生を最も愛好しており、生前の小松崎先生が最後に書いた(と思われる)直筆サインをお持ちだ。小松崎先生のお弟子さんとも親交を続けておられる。


 Tさんは、漫画や少年小説、少年雑誌の熱烈なコレクターでもあり、そのコレクション数はゆうに1万冊を超えている。地元では、書籍研究家・漫画収集家としてテレビや新聞で幾度も取り上げられている。
 今回は主に、大正時代から戦前・戦中の少年・少女雑誌をいろいろ見せてもらった。この時代の少年雑誌は、今から見れば、漫画や写真といった視覚表現が著しく少なくて、とにかく活字がぎっしりと印刷されている。記事内容もけっこう高度そうで、当時こうした少年雑誌を子どもに買い与えることのできた家庭は、かなり裕福で文化的だったんだろうなぁ、と想像させられる。
  戦中のある少年雑誌に、けし畑を耕すことを奨励する記事が数ページにわたって掲載されていたのがとても印象的だった。けしは麻薬の原料になるため、現在は「麻薬および向精神薬取締法」で栽培や所持を禁止されているが、戦時下ではけしを栽培することが積極的に賛美される美徳だったのだ。(前線の兵士に投与するモルヒネの原料として、けしが大量に必要だったようだ)
 時代の移ろいによる価値観の変化を強く感じさせられた。