藤子先生が高一のころ描いた四コママンガ

 16日(日)、「懐かしの漫劇倶楽部」会誌製本の集いに行ってきた。この倶楽部は、昭和30〜40年代の漫画・劇画・特撮を愛好する人たちの集まりで、昭和20年代とその前後に生まれた人が活動の主軸になっている。なので昭和40年代生まれの私は相当な若手にあたるのだ(笑) 
■「懐かしの漫劇倶楽部」ホームページ
http://homepage2.nifty.com/natuman/


 次の会誌に載せるため、四コママンガをテーマにした座談会が開かれた。私は手塚治虫先生も藤子不二雄先生もデビュー作は四コマだったという話をしつつ、デビュー前の藤子先生の四コマ作品が載った「北日本新聞」(コピー)を参加者に見てもらった。昭和25年2月26日付と3月9日付なので、藤子先生が高校1年生のとき描いた作品が載っている。これらの号では藤本先生と安孫子先生の二人が、それぞれ別の作品で同時に入選していて興味深い。
 両先生の作品ともに戦後まもない時代を色濃く反映している。藤本先生の『こんな小供に誰がした』という作品は、煙草を吸う浮浪児を見かけた優等生的な少年が「これも敗戦が生んだ悲劇の一つだ!」と嘆くところから始まる。優等生的な少年は浮浪児に対し“煙草よりも本を持ちなさい”と説教し、浮浪児は泣いて反省するのだが、4コマ目で本を万引きする浮浪児が描かれてオチとなる。
 安孫子先生の『冬来たりなば』は、火事が発生がするところから始まり、近所の住人が鍋やバケツに水を汲んで火事の家へ駆けていくので、皆で火を消しに行ったのかと思いきや、実は火事の熱を利用してお湯を沸かしに行ったのだった、という話だ。
 どちらも、敗戦の影響で物資が少なく民衆が貧しい生活を余儀なくされていた時代を、ユーモラスに、ちょっと毒をきかせて風刺した四コママンガである。


・「北日本新聞」昭和25年2月26日付のコピー



 私は四コママンガの座談会で、リアルタイムで熱中して読んだ作品として、大学時代にハマった相原コージ『コージ苑』と吉田戦車伝染るんです。』を挙げ、最高に好きな四コマ漫画のひとつとして業田良家自虐の詩』を紹介させてもらった。
自虐の詩』は毎回きっちりオチがつく四コマ漫画の連載が集積することで、それが段々と連続性のある大きなドラマと化し、主人公の過去にまで話が及びながら、最後に大きな物語が終わっていくときの深い感動を味わえる作品だ。主人公の幸江は、乱暴でわがままで仕事もしない内縁の夫イサオと暮らしている。イサオは気に食わないことがあるとすぐにちゃぶ台をひっくり返し、幸江を働かせて得たお金をパチンコなどに費やす。幸江はイサオのわがままに逆らうことなく、自虐的にすら見える献身さでイサオに尽くすのだ。
 傍から見ればひたすら不幸でしかない幸江だが、それでもイサオを愛し続け、イサオもたまに幸江への愛情をちらりと見せる。ふだんがひどい男だけに、そんなイサオがちょっと優しさを見せると、ほろりとさせられるのだ。
 連載が進むと、幸江の少女時代も描かれるようになるが、そこでも幸江の日々は薄幸で過酷だ。幸江が自虐的な性格になるのも無理はないなと思えてくる。


 四コママンガの形式で描かれる幸江の物語は、不思議なほど奥行きと広がりを獲得していく。最後に幸江が到達する境地に触れた私は、感銘のあまり胸が苦しくなるほどだった。こんな深みのある人間ドラマを、笑いを基調とした四コママンガの連続で描き上げた業田良家の才気にも驚嘆した。




●藤子情報
・「小学二年生」4月号に『ドラえもん』の別冊付録がついている。全部で4話収録、そのうちの1話「春風うちわ」は単行本未収録作品(初出:「小学一年生」1978年3月号)。


・コンビニ単行本のChukoコミックLiteSpecial『藤子不二雄Aブラックユーモア傑作選 ぶきみな5週間』(中央公論新社/2008年3月13日初版発行)が13日から発売中。


・3月21日(金)『ドラえもん感動の映画3時間スペシャル』(テレビ朝日系/19時〜)で映画『のび太の新魔界大冒険』が放映。