「魔界大冒険」小研究4(初期手塚漫画からの影響)

 藤子・F・不二雄先生が執筆した大長編ドラえもん17作は、昭和20年代に発表された手塚治虫先生の描き下ろし単行本から得た感動を、『ドラえもん』というフォーマットのなかで創造的に再生する試みだった、という見方がある。


 昭和54年、藤子F先生は映画の原作という大目的のため、通常は1話完結方式の短編マンガである『ドラえもん』を長大な物語として執筆する機会を得た。そして、その執筆の機会は翌年以降も持続した。思うぞんぶん長編マンガを描ける機会を得た藤子F先生は、10代のころ夢中になって読んだ手塚マンガの壮大で波瀾万丈なSF冒険物語を自己流に再現できるときが来た、と目を輝かせたのではなかろうか。
 10代という多感な年ごろの藤子F先生に鮮烈なショックを与え、ワクワクドキドキとした興奮をもたらし、マンガというジャンルが内包する無限の可能性を示した初期手塚単行本の数々… それは、『新宝島』から始まり、『地底国の怪人』で本格的な内容を持ち、『ロストワールド』『メトロポリス』『来るべき世界』のSF3部作へと結実していくのだった。


 そこで今日は、先月からこだわってとりあげている『のび太の魔界大冒険』を例にとり、作中に見られる初期手塚漫画からの影響を具体的に探ってみたい。
 まず、『のび太の魔界大冒険』の世界観を支える“魔法と科学の対比”という視点の源流に、手塚先生の『魔法屋敷』があると思われる。『魔法屋敷』は、1948年不二書房より刊行された作品で、おおよそこんな内容だ。

悪魔大王が100年ばかり地獄を旅行しているあいだに、人間界は科学文明の世の中となり、誰も悪魔や魔法を信じなくなっていた。そんな事態に憤った悪魔大王は、魔物を残らず集めて科学へ宣戦布告する。そうして魔法と科学の戦いが始まるのだった。

 こうした、科学と魔法を対比的にとらえる視点が『のび太の魔界大冒険』に受け継がれていると考えられるのだ。
 科学文明の興隆によって魔法が退潮していった、という歴史認識が語られるくだりも、両作で相通ずるものがあるだろう。



のび太の魔界大冒険』が『魔法屋敷』から影響を受けたと思われる点は他にもある。
 藤子F先生は「SFファンタジア6」(学習研究社/1979年発行)で『魔法屋敷』についてこんなことを書いている。

三騎竜にまたがった大魔王や、半裸の月の女神、愛嬌たっぷりの狐や狸など、和洋化け物勢揃い。ギャグもスリルもふんだんの大作だった。

 ここで言及されている「三騎竜にまたがった大魔王」のイメージが、『のび太の魔界大冒険』の終盤、大魔王デマオンが恐竜のような魔物にまたがって飛ぶ描写に投影されているのではないか、と私は推測する。



『魔法屋敷』だけでなく、別の手塚漫画『月世界紳士』からの影響も見受けられる。
のび太の魔界大冒険』の主要なゲストキャラクターである満月博士とその娘・美夜子。この父娘の名前のルーツが『月世界紳士』にあると思われるのだ。
『月世界紳士』は、1948年描き下ろし単行本として不二書房から刊行され、その3年後の1951年、伝説の雑誌「漫画少年」10月号の別冊付録でリメイクされた。現在、手塚治虫漫画全集などで読める『月世界紳士』は、「漫画少年」版のほうである。


 この『月世界紳士』のなかに、「満月博士」「サヨコ」というキャラクターが登場するのである。『のび太の魔界大冒険』の「満月博士」と「美夜子」の名前は、『月世界紳士』の「満月博士」「サヨコ」から採ったものと考えてよいだろう。満月博士はそのまんまだし、サヨコと美夜子だってかなり語感が近い。
 かつて藤子F先生は『月世界紳士』の「サヨコ」のことを「小夜子」と漢字で表記したことがある。F先生が「サヨコ」の名を「小夜子」と記憶していたとすれば、ますます「美夜子」との近似性が強まるではないか。
(『のび太の魔界大冒険』の満月博士と美夜子は父娘の関係だが、『月世界紳士』の満月博士とサヨコにそうした血縁関係はない)



『月世界紳士』のサヨコは、地球上では人間の少女の姿をしているが、彼女の正体は月世界人である。月世界人は、ウサギみたいな耳を持っていて、地球人とは明らかに異なる姿をしている。サヨコは、月から地球へ送り込まれるさい地球人の姿に変身させられてしまったのだ。一方、『のび太の魔界大冒険』の美夜子は、普段は人間の少女の姿なのに、魔法の力でネコの姿に変えられてしまう。
 サヨコと美夜子が変身する理由や状況などは異なるが、“人間の姿をした美少女がかわいらしい獣のような姿に変身する”というところで共通性が見出せる。


【2024年1月21日追記】
『月世界紳士』が『のび太の魔界大冒険』に与えた影響はほかにもある。

 先述したように、『月世界紳士』には1948年に描き下ろし単行本で発表されたオリジナル版と、それをリメイクした漫画少年版(『新編 月世界紳士』:「漫画少年」1951年10月号付録で発表)があるわけだが、次に指摘する点はオリジナル版にのみ見られる要素である。

 オリジナル版の『月世界紳士』にはフェイクエンディングがある。物語が進んでいき、ついに「おしまい」との文字が表示されてその物語が終わった……と思わせておいて、実はまだ終わっていなくてその後も続いていく、という仕掛けがあるのだ。
 物語がここで終わったと読者に思わせておいて、次のページをめくったら実は終わりというのは作者のウソで、その後もしばらく物語が続いていく……
 藤子F先生はそれと同じことを『のび太の魔界大冒険』でやっている。
 オリジナル版『月世界紳士』が世に出たとき藤子F先生は中学3年生だった。戦後まだ3年しかたっていない時代の中学生がこのフェイクエンディングを読んだとき、その驚きはさぞかし甚だしいものだったことだろう。
 そのとんでもない驚きを、今度は自分の作品の読者たちに味わってもらおうと藤子F先生は『のび太の魔界大冒険』でフェイクエンディングをやってみたのではないだろうか。それはもちろん『月世界紳士』へのオマージュでもあるだろう。




■「魔界大冒険」小研究3(北風のくれたテーブルかけ)
http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20070418

■「魔界大冒険」小研究2(魔界歴程をめぐって)
http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20070320

■「魔界大冒険」小研究1(デカルトニュートンと科学革命)
http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20070317