映画『のび太と緑の巨人伝』鑑賞

 9日(日)、藤子ファン仲間12人で、8日から公開の始まった映画ドラえもんのび太と緑の巨人伝』を観に行ってきた。場所は名古屋駅近くのピカデリー。今回は東海地方のほか、関西からも3人が参加して賑やかさを増した。平均年齢30代中盤の男たちが12人でドラえもんの映画を観に行く図は一種異様なものがあるかもしれないが、他者から向けられる奇異の目を気にしていたらマニアなどやっていられないのだ(笑)


のび太と緑の巨人伝』は、「さらばキー坊」をベースにしながら、ドラえもんリニューアル後初めてのリメイクではないオリジナルストーリー映画ということで、現在のドラの力量をはかる試金石となる作品だった。まっさらな気持ちで観たいと思い、事前の情報を極力遮断して当日にのぞんだ
 で、結論から言えば、前半はいつもの映画ドラを観ているような調子で楽しめたのだが、後半がいろいろな意味で残念だった。1980年公開の第1作『のび太の恐竜』からずっと映画ドラえもんを観続けてきたけれど、こんなにも残念で口惜しい気持ちになったのは初めてだ。もちろん制作スタッフは情熱と技術を尽くしてこの映画を作ってくれたのだろう。だが私は、つらい気持ちを抑えることができなかった。
 他の映画ならたとえ否定的な感想を抱いてもスルーすれば済むのだけれど、映画ドラえもんには格別に思い入れとこだわりがあって、なかなか素通りできない。感想を穏やかな物言いや婉曲的な表現で書こうかとか、ノーコメントに徹するかとか、いろいろ迷った。その結果、ここで率直に批判的な感想を述べさせてもらうことにした。
(以下、『のび太と緑の巨人伝』の感想を書いていきますが、批判的・否定的な内容が多くなるので、そういうものが嫌いな方はお気をつけください。作品内容に関する重大なネタバラシはしていません) 



のび太と緑の巨人伝』は、とにかく後半のシークエンスが残念だった。観客を置き去りにする独り善がりな場面転換、大風呂敷を広げすぎで収拾がつかなくなるバタバタ、雑な伏線の張り方、キャラクターの性格づけや役割配分の不徹底、硬直して空回りするメッセージ性… べつに批判的な気持ちで観ているわけじゃないのに、むしろ積極的に楽しもうとしているのに、悪い要素ばかりが目に付いてしんどかった… それひとつなら大したことのない問題点が、負の連鎖でますます肥大化してしまったようにも思う。
 何がどうなって誰が何を思い何をしてその結果どうなったのか、その因果律や意味や背景が容易には理解しにくく、あとになって、これはこういう意味でこれはこういう理由でこれはこういう関係で… などと頭のなかで努力して話を組み立てていかねばならなかった。私の理解力が乏しい面もあろうが、一緒に映画を観た、リテラシー能力や知的レベルの高い仲間たちも「わかりにくかった」と口を揃えていたので、やはり脚本や演出に欠陥があったのだろう。
 私は難解で抽象度の高い映画や文学が嫌いではないのだが、ドラえもんで難解映画をやるべきじゃないし、本作の場合は脚本や演出のお粗末さでわかりにくくなっているだけなので難解映画と言ってしまったら難解映画に失礼だろう。メッセージ性の強い物語だってアリだとは思うのだ。しかし本作は、ストーリーにテーマがうまく溶けこんでなくて説得力がなく、ストーリーから遊離したところで生硬なセリフを用いてテーマを主張しているため、ちっとも心に響いてこない。カルト教団が作った宗教映画を観ているような気分になった…  この映画の製作が発表されてエコロジーをテーマにすると知ったとき「こうなってほしくないな」と最も恐れていたことが、恐れていたよりも良くないかたちで実現してしまったようだ。



 映像や世界観でナウシカラピュタやトトロやもののけ姫などジブリ映画からの表層的な影響が見られ、制作者のジブリ・コンプレックスが感じられた。この映画はあくまでもドラえもんなのだから、そんなにジブリジブリする必要はないだろう。制作者にはこの映画がドラえもんであることに誇りを持ってほしい。ジブリ映画の良い点を謙虚に学びそれを咀嚼し換骨奪胎してドラえもんへ移入するならよいのだが、ジブリに憧れるあまりジブリになりたがってしまっては本末転倒だ。


 私の近くや後ろで観ていた子どもたちからは、「早く終わらないかなあ」「ねえ、これどういう意味?」などと、悲しくなるような声が聞こえてきたし、入場時にもらった玩具で遊びだす子もいたようだ。映画が終わって、「長かったぁ」という声も起こった。子どもも大人も楽しめるはずのドラえもんが、子どもにも大人にもわからない作品になってしまって無念。
 私は相当あたたかい眼差しでこの映画を観たつもりだが、それでも残念ながら否定的にならざるをえない。私にとって映画ドラえもん史上ワースト1の作品になりそうだ。
 毎年、映画鑑賞後は一緒に観た仲間たちと感想を述べ合って賛否両論が起こるのだが、私は映画ドラに対してはたいてい前向き・擁護的な反応をしてきた。そんな私が今回はそうとう否定的な態度だったため、「koikesanがそこまで言うんだからよっぽどだな」とおっしゃる人もいた。


 この映画を観たショックだろうか、その日の夜は嫌な夢を見てしまった(笑) 財布を落としたうえ、たちの悪い人たちにお金をたかられるという夢だった。映画の内容とはまるで関係ないが、精神的に影を落としているような気が…



のび太と緑の巨人伝』で良かったところを挙げるとすれば、映像の美しさと細部の描き込みの緻密さ、キー坊とのび太やママとの交流のあたたかさ、といったところだろうか。あと、前半のギャグシーンは子どもに大ウケだった。
 ストーリーの因果律やキャラクターが抱える背景よりも、その場その場の刹那的な映像の迫力や動きの面白さに重点を置いた作品、と解釈すれば、少しは好意的に観られるかもしれない。ストーリーはよくわからなくて釈然としないけれど、絵的に目を奪われる部分や笑える部分やかわいらしい部分があるな、と。
 他にも具体的な細かいところで良い点はあったのだが、今回は作品の具体的な部分に触れないつもりなので、ここまでとしたい。



 今回は厳しめの言葉を使って感想を述べてしまったが、自分のつらい心情に対してなるべく忠実に書いたので客観性を欠いた表現もあったかもしれない。そうであれば、客観性を欠いてしまうほどショックだったということなのだろう。
 もちろん、この一作だけでわさドラ全体を否定するつもりはないし、この一作だけが突然変異的な作品だったんだと思い込みたい。来年はあの名作のリメイクになるようだが、オリジナルストーリーよりはリメイクのほうがまだ不安が少ないかな。いや、どちらにせよ不安だな… でも期待をしないと前へ進めないので頑張って期待もかけたい。






劇場で買ったキー坊と美夜子さんのマスコットぬいぐるみ。美夜子さんのほうは去年の売れ残りのようだ。こんなかわいいマスコットが売れ残ってたなんて。


・『緑の巨人伝』の主題歌『手をつなごう』のCD。絢香さんが歌っている。
・劇場で入場時にもらえる「トコトコ!キー坊&ドラ」。歩き方がかわいい。



・映画のパンフレット



てんとう虫コミックススペシャル「映画ストーリー ドラえもん のび太と緑の巨人伝」(まんが:岡田康則/シナリオ:大野木寛) 映画だけ観て釈然としなかった疑問点のいくつかが、このコミックス版を読むことで解消される。
・別冊コロコロコミック4月増刊「ドラえもん総集編」2008春号



●藤子関連本情報
ハイパーホビー4月増刊号「HYPER HOBBY PLUS」VOL.2(徳間書店
 96ページ〜101ページに「藤子不二雄Aを巡る旅 高岡・氷見」というオールカラー記事が載っている。高岡と氷見の藤子A先生ゆかりの地を、写真をふんだんに使いながら紹介。A先生の生家・光禅寺の住職へのインタビューもある。私も取材の一部に同行させていただいたので愛着のわく記事だ。


・「空想キッチン! ナレッジエンタ読本5」(柳田理科雄・ケンタロウ著/メディアファクトリー
オバケのQ太郎」「キテレツ大百科」に関するが章があり、小池さんのラーメンやキテレツ大百科のコロッケがとりあげられている。(野球とMSXさんからの情報)


アスペクトムック「封印映像大全」(アスペクト
 28ページで「ジャングル黒べえ」、32ページで「日本テレビドラえもん」を紹介している。(Mさんからの情報)