【コロナ禍の読書】リチャード・マシスン『アイ・アム・レジェンド』

 今日の話題は、リチャード・マシスンの小説『アイ・アム・レジェンド』です。この作品も、私がコロナ禍のなかで読んだ“感染症を題材とするフィクション”の一作です。 

(以下、『アイ・アム・レジェンド』の内容に触れていきます)

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 細菌の感染によって世界中の人々が続々と吸血鬼に変貌していった。たった1人の人類となった主人公ロバート・ネヴィル(36歳)は、極限までに孤独な生活を送りながら、夜な夜な自宅を襲撃してくる吸血鬼たちとひたすら空しい戦いを強いられる……。

アイ・アム・レジェンド』は、簡単に言えばそんな物語です。

 架空の疫病ではありますが、世界的な細菌感染を描いた小説ということで、このコロナ禍のなか読んでみたのです。

 

 吸血菌に感染していない人間は世界に自分だけ…という、主人公ネヴィルにとってあまりにも孤独な生活、孤独な戦いが続きます。ネヴィルはアルコールに依存し、いつ果てるともしれない戦いに絶望し、その戦いに意味があるのだろうかと自問自答する瞬間もありました。

 それでも彼は、生き続け、戦い続けるしかなかったのです。

 

 ネヴィルは、吸血鬼と戦う日々のなかで、なぜ人間が吸血鬼化するのか、なぜ吸血鬼はニンニクや日光や十字架や鏡を恐れるのか、なぜ杭を打つと吸血鬼を退治できるのか、といった数々の謎を科学的に解明しようと専門書を読んだり実験したりします。とても研究熱心で知的な素養がある人物ですね。そうして、しだいに吸血鬼のメカニズムを突きとめていくのです。

 たとえば、杭を心臓に刺したら吸血鬼が死ぬのは、吸血鬼の体内が酸素にさらされて環境が変化し、菌が宿主を滅ぼしにかかるからである…ということが判明します。杭は吸血鬼の体内を酸素にさらす効果があったわけで、心臓に杭を刺さなくとも、たとえば手首を切り裂いて酸素にさらされ続けるようにするだけでも同じ効果を得られ、吸血鬼は分解するのです。

 ニンニクや十字架などが効くわけも解明されます。十字架が効くのは細菌学的なものではなく、宿主に対する心理的な効果でした。

 

 ネヴィルが顕微鏡を使って発見した吸血鬼病の病原体。それはウイルスではなく細菌でした。円筒形で、細胞の嚢から出た何本もの鞭毛で血中を動きまわる、小さく細長い原形質「バチルス」だったのです。

 ネヴィルはこの細菌を「吸血病菌(ヴァンパイリス)」と呼ぶことにしました。

 

 そのように、謎だった吸血鬼の秘密・実態・メカニズムが明らかになっていく過程も、本作の読みどころのひとつです。

 

 人間も動物もみんな吸血病菌に感染してしまったかに見えた世界で、ネヴィルは一匹の犬と遭遇します。ネヴィルは興奮します。太陽の出ている昼間に外を出歩いているので、その犬は感染者ではない可能性が高いのです。

 この遭遇によって、ネヴィルは犬と仲良くなれるよう熱意ある努力を始めます。毎日毎日遭遇するのは吸血鬼ばかり…という日々が長く続いたなか、健常な犬と出会えるなんて奇跡であり、ネヴィルにとっては久々に訪れた交流できる相手です。心の飢えを満たそうとするかのごとく犬と接近を試みるネヴィルの切実な熱意、懸命な努力に私は引き込まれました。

 

 そして終盤、物語を大きく動かす新たな出会いがあります。日光の下で活動できる人間の女性と遭遇するのです。

 彼女は非感染者なのか感染者なのか……?

 

 この『アイ・アム・レジェンド』を換骨奪胎して、藤子・F・不二雄先生はSF短編『流血鬼』を描いています。

『流血鬼』の原案的な作品が『アイ・アム・レジェンド』なのです。

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・『流血鬼』の初出雑誌「週刊少年サンデー」1978年52号

 

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・『流血鬼』を収録したコミックスのひとつ、てんとう虫コミックス藤子不二雄SF短編集第2巻 ポストの中の明日』(初版1984年発行、小学館

 

 私が今回『アイ・アム・レジェンド』を読み返した理由には、少し前に『流血鬼』を再読したから、ということもありました。

 

アイ・アム・レジェンド』では、人間を吸血鬼に変える病原体は「細菌」でしたが、藤子F先生は『流血鬼』でそれを「ウイルス」に変更しています。

 そのウイルスの名は「マチスン・ウイルス」。ウイルスの発見者は「リチャード・マチスン博士」といいます。そうしたネーミングに、『アイ・アム・レジェンド』の作者リチャード・マシスンへの感謝と敬意が表されています。

 

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アイ・アム・レジェンド』は、邦題が何度か変わっています。最初の邦題が『吸血鬼』、それから『地球最後の男〈人類SOS〉』→『地球最後の男』→『アイ・アム・レジェンド』と変遷していきます。藤子F先生は最初の邦題『吸血鬼』をもじって『流血鬼』と題名をつけたのでしょう。

 

アイ・アム・レジェンド』も『流血鬼』も、ラストで描かれる価値観の逆転が非常に鮮烈です。衝撃的です。

 ただし、価値観の逆転といっても、マシスンと藤子F先生は異なる方向へ価値転換を行なっています。この2作品を読み比べると、それぞれに独自の驚きがあってじつに興味深いです。

 

(以下、『アイ・アム・レジェンド』と『流血鬼』の結末に触れています。ネタバレを気にされる方はご注意ください)

 

 

 

 

アイ・アム・レジェンド』は、まさに最後の一行でタイトルの意味が明らかになります。その仕掛けに「おおっ!」と感嘆させられました。

 人間の生き血を吸う伝説の恐ろしき怪物“吸血鬼”と戦って退治してまわっていたはずのネヴィル自身が、じつは、新人類を殺戮してまわって恐怖を撒き散らしていた伝説の怪物だったのだ……という衝撃のラストです。

 ネヴィルはその真実を悟りつつ、死を迎えます。

 それに対し『流血鬼』では、最後に一人残った人間である主人公がラストで吸血鬼になり、そうなってみれば吸血鬼の世界のほうが素晴らしいものだった……というラストを迎えます。元の人間(旧人類)のころは暗く不気味に見えていた夜空が明るく美しく見える、という象徴的な感覚変化を描きながら話が終わるのです。

 主人公視点で見れば、『流血鬼』のほうがハッピーエンドと言えそうですね。主人公に感情移入して読んでいたら、『アイ・アム・レジェンド』と『流血鬼』の読後感は真逆のものになるかもしれません…。

 

 最後に、『アイ・アム・レジェンド』と『流血鬼』の、印象的な共通点と相違点をざっと挙げて今回のエントリを終えようと思います。

 

■共通点

・感染して吸血鬼になった人を退治するため胸に杭を打つ。

・感染者は十字架を見せると嫌がる。

・感染者は一度死んだようになり、その後吸血鬼となってよみがえる。

・感染者は細胞再生力が発達する。(細胞再生力については『アイ・アム・レジェンド』でこう説明されている。菌が細胞結合物質の分泌を促進するため、身体に銃弾を撃ち込まれても細胞結合物質が銃弾を包み込み、傷口が塞がっていくのだのと…)

 ・女性が、一人だけ生き残った旧人類のアジトに入り、二人のやりとりがある。

・終盤になってタイトルの意味が判明する。

 

■相違点

・物語が始まった時点で生き残っている人類が、『アイ・アム・レジェンド』は一人、『流血鬼』は二人。(『流血鬼』では途中で一人になる)

・主人公が吸血鬼と戦うための拠点が、『アイ・アム・レジェンド』は自宅、『流血鬼』は洞穴。

・感染者のタイプが『アイ・アム・レジェンド』では二種類存在する。「感染して死んで、精神錯乱した吸血鬼となって再活動する者」と「感染しても死なず、感染前の理性や性格を保っている者」の二種類である。後者のタイプが新人類となって新しい社会を形成する。

 一方、『流血鬼』では、いったん死んでからよみがえった吸血鬼が新しい社会を形成する。そして、「いったん死んだ」ように見える現象が、本当は死んだわけではないことも明らかになる。

・主人公のアジトに入った女性が、『アイ・アム・レジェンド』では新人類側のスパイだったが、『流血鬼』ではガールフレンドが説得に来た。

・どちらの主人公も、新人類(吸血鬼)の立場から見たら自分たちの一族を殺戮してまわる敵だったが、『アイ・アム・レジェンド』の主人公は新人類の敵のまま死ぬことになり、『流血鬼』の主人公は新人類側に所属することになる。(『アイ・アム・レジェンド』の主人公は、新人類が新たな社会を形成したことによって自分のほうがマイノリティになったことを思い知る。新人類を怪物だと思って殺してまわっていた自分こそがじつは伝説の怪物だったのだ…という真実を突きつけられ、死を迎える。それに対し『流血鬼』の主人公は、最終的には新人類側に引き入れられ、新人類になってみれば元の人類よりも素晴らしい種族であることを実感する)

 

 

 ※以下は、これまでにアップしたコロナ禍読書のエントリです。

 

 ●2020-03-30「パンデミックとたたかう」
 https://koikesan.hatenablog.com/entry/2020/03/30/204138

 

 ●2020-04-30「マスクが日常化した世界の中で」
 https://koikesan.hatenablog.com/entry/2020/04/30/214317

 

 ●2020-05-13「人間うつしはおそろしい」
 https://koikesan.hatenablog.com/entry/2020/05/13/214802

 

 ●2020-06-24「瀬名秀明『ウイルスVS人類』」
 https://koikesan.hatenablog.com/entry/2020/06/24/193827

 

 ●2020-12-29「【コロナ禍の読書】小松左京の『復活の日』」
 https://koikesan.hatenablog.com/entry/2020/12/29/225226

 

 ●2020-12-30「【コロナ禍の読書】『漂流教室』『コレラ』『陽だまりの樹』『白疫病』など」
 https://koikesan.hatenablog.com/archive/2020/12/30