【コロナ禍の読書】小松左京の『復活の日』

 今年も残りわずかとなりました。コロナ禍に支配されたような一年でしたね…。

 コロナ禍は私の藤子ファン活動にも甚大な影響をおよぼし、思うように出かけられなかったり、毎年恒例の催しが中止・延期されたりと、さまざまに制約を受けました。

 良くない意味で、ずっと忘れられない年になりそうです。

 

 そんなありがたくないコロナ禍のなか、私は感染症パンデミックを題材にした本(マンガや文学など)を意識的に読んですごしました。

 コロナ禍は今後の世界史の教科書に刻まれるであろう重大な感染症流行現象です。その渦中で感染症を題材にした作品に触れれば、平常時よりはるかに生々しく差し迫った臨場感を得られそうだし、ある意味掛け替えのない読書体験にもなりそうだ、と思ったのです。カミュの『ペスト』がベストセラーになっている、とのニュースに感化された面もあります。

 

 そうやって感染症を題材にした本を読んですごした体験については、すでに当ブログで何度か記しています。

 

 ●2020-03-30「パンデミックとたたかう」

 https://koikesan.hatenablog.com/entry/2020/03/30/204138

 

 ●2020-04-30「マスクが日常化した世界の中で」

 https://koikesan.hatenablog.com/entry/2020/04/30/214317

  

 ●2020-05-13「人間うつしはおそろしい」

 https://koikesan.hatenablog.com/entry/2020/05/13/214802

 

 ●2020-06-24「瀬名秀明『ウイルスVS人類』」

 https://koikesan.hatenablog.com/entry/2020/06/24/193827

 

  この4つのエントリで挙げた作品以外にもいくつか読んでいるので、そうした作品たちについて、来年を迎えるまでにここで書いていこうと思います。

 

  本日紹介するのは、小松左京氏の小説『復活の日』(1964年発表)です。細菌・ウイルスをはじめ科学的な知識がふんだんに盛り込まれた、壮大なスケールの人類滅亡SFです。

(以下、『復活の日』の内容に具体的に触れています。ネタバレがイヤな方はお気をつけを)

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・ハルキ文庫『復活の日』(角川春樹事務所)

 

 生物兵器として開発されたMM-八八菌が外部へ流出して爆発的に世界へ広がり、おびただしい感染者が出ていくさまは、今年見てきたコロナ禍の様相と重なるものがあります。フィクションと現実のリンクをまざまざと見せつけられるようです。

 とはいえ、MM菌の感染力・致死率は新型コロナウイルスよりはるかに高く、『復活の日』においては、人類はなすすべもなく滅亡へ向かっていくのでした…。

 

 この小説では、南極観測基地、WHO事務局、アメリカ国防総省アメリカ陸軍細菌戦研究所、ホワイトハウス、イギリス陸軍省など、さまざまな国・さまざまな場所が舞台になりますが、やはり東京のシーンに最も感情移入することになりました。プロ野球・大相撲・劇場公演の中止、病院につめかける患者、非常事態宣言を検討する政府……。現実のコロナ禍で見られた日本社会の状況と(事情の異なるところは多々ありますが)ダブって感じられました。

 

 世界各国を舞台に話が展開する…というだけでも極めてスケールの大きな小説ですが、150億年前の宇宙誕生から地球の歴史を回顧する神視点のシーンまであって、尋常ならざるスケールの超大さに圧倒されました。

 人類の99%以上が滅びたであろうなかで、文明史の教授による最後の講義がなされます。その講義内容と教授の様子から、人類レベルの悔恨が伝わってきて心がふるえました。

「誰しも、この災厄が、いつかは終わるものと考えていた。人類にとって、災厄というものは、常に一過性のものにすぎない、と」というくだりが心に刺さります。現在のコロナ禍も「いつかは終わるもの」と考えてわれわれは日々を過ごしているわけですが、しかしこの小説では………。

 

  ハルキ文庫版の解説で分子生物学者の渡辺格氏がこんなことを書いています。

研究室で、二、三人の人が風邪をひいている。私もクシャミをし、とうとうMM菌にうつったかとゾッとした。(略)小松左京さんの『復活の日』の読みすぎで、MM菌の存在の可能性を頭のどこかの隅で信じている自分がおかしくなった。それと同時に、これは単に空想小説上のことではなく、本当に起こり得ることで、それがまだ起こっていないことにむしろ感謝すべきではないかなどとも思った。実際にその危険性を一番感じているのは、われわれ分子生物学者なのではなかろうか。

(ハルキ文庫『復活の日角川春樹事務所、1998年)

 『復活の日』の読みすぎでクシャミをするだけでMM菌にうつったかとゾッとした…だなんて、私もコロナ禍の報道や情報に触れすぎて、ちょっと咳をしたり喉がイガイガするだけでそのたびに「うわっ、コロナか…」とヒヤヒヤしたので、渡辺氏の気持ちに共感します。

 

(以下、藤子・F・不二雄先生の『みどりの守り神』の内容に触れています。ネタバレがイヤな方はご注意を)

 強力すぎる細菌兵器の外部流出によって人類が滅亡へ!?

 という『復活の日』で書かれた事態を読んでいて、藤子・F・不二雄先生のSF短編マンガ『みどりの守り神』(1976年)を思い出しました。『みどりの守り神』でもそんな事態が別の切り口で描かれているのです。

 わずかに生き残った人々の力で人間の文明を復興させていこう、という絶望のなかにも希望の感じられる終わり方にも、両作品の共通性を感じます。

 それから、廃墟化した首都(ワシントンD.C./東京)がシンボリックな建造物を残したまま緑に覆われてしまった光景や、建物は破壊せず人や動物だけを殺す中性子爆弾の話題が出てくるところも、この2作品の共通点でしょう。

 

 人類を絶滅寸前に追いやるほど恐ろしい細菌にも、弱点があります。弱点があるがゆえに細菌がやられてくれたおかげで、生き残った数少ない人類に希望が残されました。『復活の日』では高速中性子が、『みどりの守り神』では低温が細菌の弱点として描かれており、弱点の種類は異なるものの、細菌に弱点があって人類の希望につながる…という意味では両作に通じ合うものがあります。

 

 そのように、いくつもの共通性を見て取れる『復活の日』と『みどりの守り神』ですが、『復活の日』は壮大な長編小説であり『みどりの守り神』は短編マンガであって、話の内容や趣向、読んだ印象はかなり別ものです。

 

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・『みどりの守り神』の初出誌「マンガ少年」創刊号(1976年9月号、朝日ソノラマ

 

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・愛蔵版『藤子不二雄 全短篇 第2巻 みどりの守り神』(1987年、中央公論社

 

 『みどりの守り神』を読んで最もスペクタクルを感じるのが、東京がジャングルになってる!シーンです。このシーン、初出では1ページでしたが、単行本収録時に加筆されて見開きになっています。そこに描きこまれた細密な風景は、初出時には藤子先生のアシスタントだった高峰至(青木則幸)先生が手がけたと聞きました。単行本収録時の加筆作業については、おそらく別のアシスタントさんが行なったと思います。

 

 『復活の日』を読んで思い出した藤子Fマンガがもうひとつあります。

復活の日』のなかに「無人となったアメリカで大地震が起きて基地が破壊されると、全自動報復システムが作動して核ミサイルが世界に放たれる!?」というくだりがあります。そこは、藤子ファン的に『のび太の海底鬼岩城』のポセイドンを思い出すところでした。海底火山の噴火を敵の攻撃と認識して鬼角弾(核ミサイル的な兵器)を放とうとするポセイドンを……。

 

 藤子作品ではありませんが、別の日に読み返したさいとう・たかを先生の『ゴルゴ13』にも細菌研究所やウイルス兵器が出てきました。「真のベルリン市民」というエピソードです。

 東西に分断されたドイツをめぐる陰謀とW病原体というおそろしい生物兵器の話で、読み応えがありました。