本日(9/11)は公衆電話の日

 本日(9月11日)は「公衆電話の日」です。

1900年(明治33年)のこの日、東京の新橋駅と上野駅の駅構内に日本初の自動公衆電話が設置されたことに由来しています。

https://prtimes.jp/magazine/today/payphone_day/

 

 公衆電話といえば、トキワ荘玄関の正面にあった落合電話局の電話ボックスがとても印象深いです。なぜそんなに印象深いかといえば、藤子不二雄Ⓐ先生の自伝的マンガ『まんが道』に登場したからです。特に、この電話ボックスから才野茂が出版社へ原稿大量落としの謝罪電話を入れるシーン(「とるべき道」)の印象が強いです。

(ちなみに、ドラマ『まんが道青春編』ではトキワ荘に電話機があるという設定で、トキワ荘前の電話ボックスは出てきませんでした)

 

 トキワ荘マンガミュージアムの敷地に設置された電話ボックスは、まさに『まんが道』に登場したトキワ荘玄関正面の電話ボックスを原寸大で再現したものです。

 『まんが道』の舞台のひとつであった電話ボックスがこうして忠実に再現されて、一ファンとしてじつに感慨深いです。よくぞこれを造ってくださった!と快哉をおくりたいです。

 

 

 このモノクロ画像は、一作めのアニメ『オバケのQ太郎』の「コレクションの巻」(1965年11月14日放送)より引用したものです。

 このシーンでQちゃんが使う電話ボックスは、トキワ荘マンガミュージアムにある電話ボックスと同じデザインですね。昭和29年に登場した“丹頂型”と呼ばれるタイプです。クリーム色のボディと赤い屋根からそう呼ばれたとか。

 昭和43年生まれの私が物心ついた時分には、街でこのタイプの電話ボックスを見かけることはほとんどなかった気がします。時代的に、幼い頃にどこかで見かけていたのかもしれませんが、記憶にはないのです。

 私は、丹頂型が現役で稼働している風景を知らない(というか憶えていない)世代なのです。

 

 丹頂型の次に、四方がガラス張りの電話ボックスが登場します。私が子どもの頃~大人になる頃は、そのタイプの電話ボックスをよく見かけました。個人的に、電話ボックスというとそれのイメージが強いです。

 四方がガラス張りの電話ボックスは、当初は東京オリンピック(昭和39年)会場付近に設置され、全国に設置されだしたのが昭和44年からなので、モノクロアニメ『オバケのQ太郎』の時代(昭和40~42年)はまだまだ丹頂型が一般的だったのでしょう。

 

 

 ドラえもんひみつ道具のなかでも知名度が高い“もしもボックス”は、四方がガラス張りではなく扉の一部分に窓のあるデザインですから、丹頂型をモデルとしているようです。

 藤子F先生のSF短編『ヒョンヒョロ』のヒョロヒョロ引き渡し場所にあった電話ボックスも丹頂型ですね。このシーンの直後、うさぎ型宇宙人がド迫力の表情でブチ切れることになります。

 藤子F先生のSF短編には、電話ボックスではないタイプの公衆電話で通話するシーンもいくつか見られます。私の印象に残っているのは、たとえば『カイケツ小池さん』『コロリころげた木の根っ子』『オヤジ・ロック』の公衆電話シーンです。

 

 藤子絡みの公衆電話ネタとしては、藤子不二雄Ⓐ先生が21世紀になっても公衆電話のヘビーユーザーであったことも思い出されます。

 藤子Ⓐ先生はある講演会でこんなことをおっしゃっていました。(発言内容は要約です)

“外から電話をかけるときはもっぱら公衆電話を使う。最近は公衆電話が少なくて困る(笑)でも、友達のあいだで「公衆電話からの電話は安孫子だ」ということが浸透していて、みんなすぐに電話に出てくれるので助かる(笑)”

 また、藤子Ⓐ先生が「笑っていいとも!」テレフォンショッキングに出演されたときも公衆電話の話になりました。

“ずいぶん前に携帯電話を購入したものの、家に置きっぱなしで使うことがなく、外にいるときの連絡はもっぱら公衆電話。最近は駅などに公衆電話があまりなくて不便で、隣にいる人から公衆電話を借りることが多くて嫌がられている(笑)”

 このとき藤子Ⓐ先生がおっしゃった「隣にいる人から“公衆電話”を借りることが多くて」というのは、「隣にいる人から“携帯電話”を借りることが多くて」の言い間違いですが、こういう言い間違いがチャーミングなのも藤子Ⓐ先生の人間的魅力です。

 

 藤子Ⓐ先生の発言のとおり、今となっては、携帯電話の普及によって公衆電話を見かけることがめっきり減りました。今後もますます減っていくのでしょう。

 それでも必要とする人、必要とされる局面はありますから、失われるべきではない通信インフラとして設置され続けるのではないでしょうか。