「懐かしの漫劇倶楽部」の集会に出席

 縁あって、本日、愛知県岡崎市で開催された「懐かしの漫劇倶楽部」の小集会に参加した。同会の会員さん数名が、岡崎在住の会員・Tさんのお宅に集まって漫画談義に花を咲かせながら親睦を深める、というのがこの集会の趣旨であった。
 藤子イベントでよくお会いするKさんがこの会の以前からの会員で、今回の小集会にも参加されたので、完全に初対面の方ばかりというわけではなかったが、やはりそれなりに緊張した気持ちで岡崎へおもむいた。だが実際に現場へ行ってみれば、Kさん以外の会員さんも気さくに話しかけてきてくださり、私の得意分野である「藤子不二雄」についてもいろいろと訊いてきてくださったため、すぐに打ち解けることができた。そして気づいてみれば、私も大いに喋りまくっていた。


 Kさん以外の会員さんは私よりも上の世代の方ばかりで、しかも私がこの世に生を受ける以前から漫画や劇画、少年小説などをずっと愛好し続けておられるツワモノぞろいである。私などは完全に若輩者の部類なのだ。
 そういう方々からうかがうお話の数々は、非常に豊潤で興味深く含蓄に富んでいて勉強になり、ひととき昭和20年代や30年代にタイムスリップしたかのような、心躍る錯覚を体感することができた。
 とりわけ今回ご自宅を訪問させていただいたTさんは、昔懐かしの漫画雑誌や単行本、絵物語、少年小説などのハイレベルなコレクターで、Tさんのお部屋には、書棚におさまりきらない無数の漫画本が天井に届くような勢いでうずたかく積まれている。これ一冊いくらするんだろう、というようなお宝本が、大量に空間を支配しているのである。その圧倒的な光景を眺めているだけも、この小集会に参加した意義を充分に感じた。
 Tさんのことを紹介した新聞記事(2004年5月24日付)には、〝「一万冊以上はあるでしょうか」と(Tさんは)照れくさそうに言うが、そんな数ではあるまい。その数倍はあるのではないか〟と記述されている。その記事の表現は決して大げさではない。


 Tさんのお話をうかがっていて、藤子ファンとして最大の興奮を感じたのは、手塚治虫先生の『新宝島』をリアルタイムで読んで衝撃を受けた、というくだりだ。これは、すごいことである。
 二人の藤子不二雄先生も『新宝島』に出会うことで、雷にうたれたような感動をおぼえ、漫画表現の可能性に目覚めるとともに人生の方向を決定付けたのだ。藤子先生ばかりでなく、この時代の多くの少年たちに目のくらむような衝撃を与え、現代マンガ隆盛の歴史がここから始まったと言うべき革命的な作品が、この『新宝島』なのである。
 藤子先生が『新宝島』に出会ったまさにその時代に、同じようにこの作品に出会って漫画に魅入られた人物から直接お話を聞けるというのは、私にはあまりに素敵すぎる体験であった。


 Tさん以外の方からも、「ぼくが初めて藤子不二雄という作者を意識したのは『コルト45』*1だった」とか「『シルバークロス』*2や『ビッグ・1』*3を連載当時に読んでいた」といったお話を聞けて、強烈にして新鮮な刺激を与えてもらえた。

*1:「たのしい四年生」昭和35年4月号〜36年3月号・「たのしい五年生」昭和36年4月〜5月号連載

*2:「少年」昭和35年6月号〜38年8月号連載

*3:週刊少年サンデー」昭和37年3月18日号〜7月22日号連載