「ぼく、ドラえもん」19号


「ぼく、ドラえもん」19号が20日(土)に届いた。
今号の特集「藤子・F・不二雄からのメッセージ」は、予告を読んだ時点から結構期待していて、実際に内容を読んでみても、その期待は裏切られなかった。こうした「藤子・F・不二雄」という作家に焦点をあてた記事には、どうしても心をくすぐられてしまう。


 たとえ既出のものでも藤子・F先生の写真が複数掲載されていればひとつひとつ見とれてしまうし、『ドラえもん』以外の藤子・F作品をカラー図版付きで解説してくれているのも嬉しいし、藤子・F先生が残した珠玉の言葉を多数再録しているところも評価できる。
 そして、こういった類の記事でいつも深い感動や新たな発見をもたらしてくれるのが、ご家族やご友人、関係者の方々のインタビューである。今回も、奥様や娘さんの言葉をはじめ、『ドラえもん』初代編集者の河井常吉氏や、映画『未来の想い出』監督の森田芳光氏、アニメーション作家の鈴木伸一氏、マンガ家のすがやみつる氏、水野英子氏、里中満智子氏と、さまざまな人物が藤子・F先生について語っていて読み応えがある。


 なかでも奥様の「藤本は、のび太くんみたいに頼る人ではなかったですね。誰にも頼らないでやろうとするところはあります。正直、私にも頼っていなかったと感じています。のび太くんと藤本は、そこが違っているかもしれません。実際には頼れるドラえもんがいないですから」というお話はたいへん印象深かった。
「ぼくはのび太」とたびたびおっしゃっていた藤子・F先生だが、実際の先生は、のび太のように他人に頼るタイプであるどころか、近しい存在の奥様にすら頼らない非依存的な性格であった、ということだ。のび太と藤子・F先生、両者の普段の行動を見れば、ドラえもんに頼ってばかりののび太と、奥様にすら頼らなかった藤子・F先生とで、まるで正反対のありかたをしており、奥様のこの発言からは両者の対照性がくっきりと浮かび上がってくる。他人に頼れない藤子・F先生は、平気でドラえもんに頼ってしまうのび太に、思うぞんぶん人に甘えてみたいという自己の願望を託しておられたのかもしれない。
 その一方で藤子・F先生は、ドラえもんに頼ってばかりののび太にたまには反省の機会を与えており、長期的な目で見れば、のび太も目に見えないゆるやかな速度で自立心を育んでいて、それなりに一人前の大人になっていくのである。だから、やはり、そうしたのび太の生きざまにも、藤子・F先生の人生観がさりげなく投影されていると感じるのだ。のび太は、いわゆる「偉い人」や立派な人格者になるわけではないが、社会に出て労働し、結婚して子どもを育てるような普通の大人にはなれるのであり、そうなっても相変わらず失敗したり自信を失ったりしながら、社会人として、夫として、父親として、地に足のついた生活を送っていくのである。


 もうひとつ、次女の日子さんの、〝サンタポスト〟にまつわるお話も私には感涙ものだった。
 サンタポストとは、藤子・F先生が娘さんからクリスマスプレゼントの希望を聞くためのリクエストボックスである。それについて日子さんはこのように語っている。
「年ごろになると、本当は流行のアクセサリーなどが欲しくなってきます。しかし、父がプレゼントを買うことを、楽しんでいることを知っていたので、父が買いやすいもの、そして仕事場のある新宿で購入できるものを選んでいました。そんなちょっとしたお互いの心配りが自然に生まれる雰囲気が温かくて、大好きなやりとりでした」
 自分が本当に欲しい物ではなく、お父さんが無理せず楽しんで買える物を選んでリクエストする、という娘さんの気の使い方は、一見すると、親子の間柄にしては他人行儀に感じられるかもしれない。だが、日子さんも言っているように、そういう気使いは自然な感情から生まれ出たものであり、温かい雰囲気を味わえるものであったのだ。
 相手を愛し大切に思っているからこそ生まれてくる「心配り」、そうした適度な距離感のあるこまやかな思いやりを自然に交感できる間柄というのは、親子関係、いや、すべての人間関係における、ひとつの理想形なのかもしれない。