「懐かしの漫劇倶楽部」製本の集いに参加

 きのう28日(日)、「懐かしの漫劇倶楽部」製本の集いに参加した。場所は愛知県岡崎市六ツ美西部学区市民ホーム。同倶楽部の会誌「劇眼漫歩」26号の製本と袋詰の作業を、この日集まったメンバー9人で分担して行なった。
 本の体裁を成していない紙を本のかたちにしていく作業は、やっていて気持ちのよいものであったし、会誌作りに参加できているのだなあ、という充足感も味わえた。


 製本作業が終わると、テーブルを囲んでの歓談の時間と相成った。TさんやKさんが持参した懐かしの漫画雑誌を皆で眺め、その内容のおもしろさやプレミア価格の高さなどに感嘆しつつ、「この表紙に載っている少女タレントは誰だろう」とか「この雑誌にはこんな漫画家の作品が載っている」とか「この当時で100円の少女雑誌というのは結構高価ではないか」といった話で大いに盛り上がった。
 できあがった会誌を見ながら、簡単な感想を述べ合ったりもした。


 しばらくするとそうした歓談の場が、先日岡崎女子短大で開催した漫画展*1の反省会に変貌してきた。今回の漫画展の良かった点・不足していた点などを指摘し合いながら率直に意見を交わし、それらの意見を来年の漫画展に建設的に生かしていこう、ということになった。


 反省会が収束したあとはまた、皆が思い思いに話しを弾ませ、和気あいあいとすごしたのだった。
 そんななかで私が最高に興奮したのは、新入会員のaさんから伺ったお話である。aさんは、現在は愛知県にお住まいだが、ご出身地は富山県下新川郡朝日町で、映画『少年時代』の学校場面のロケ地であった「大家庄小学校」の近くにご実家があるというのだ。私はそれを聞いただけで、aさんと藤子不二雄A先生との縁を感じて興奮してしまったのだが、そのうえ、『少年時代』のロケ地を見学にきた藤子A先生の案内役を、aさんのお兄様が担当されたことがあると聞くに及び、ますます心が奮い立ったのである。


 さらに、aさんのご家族(aさんとの関係を失念。お父様?)が戦時中に下新川郡山崎村(現・朝日町)の「山崎小学校(山崎国民学校)」で校長をつとめておられたと伺い、私の気持ちは高揚するばかり。山崎小学校は、藤子A先生が昭和19年夏から終戦にかけて山崎村に縁故疎開されていたとき通っておられた学校であり、マンガ『少年時代』に登場する泉山小学校(泉山国民学校)のモデルにもなっている。
 そんな事実から私は、藤子A先生が山崎小学校へ通っていた時期とaさんのご家族が校長であった時期がもしかすると重なっているのでは、と勝手に想像を膨らませ、藤子ファンの血をぞんぶんにたぎらせたのであった。
 大家庄小学校と山崎小学校は、残念ながら平成11年3月に廃校となり、その両校を統合した「あさひ野小学校」が同年4月から別の場所で開校している。私は両校の跡地を実際に訪ねたことがあるので、その点でもaさんのお話に深く感情移入できた。


 製本の集いのあとは、今月7日にも訪れたTさんのお宅へ、Kさんとともに再訪した。今回もTさんのコレクションを多数見せていただいた。明治時代の少年少女雑誌から「週刊少年サンデー」創刊号まで、実際に手にとって中身まで読めるというのは感激的な体験だ。



藤子不二雄A先生情報●

★GAKKEN MOOK「まいっちんぐマチコ先生伝説」(学習研究社・2005年1月1日発行・定価980円)に藤子不二雄A先生のインタビューが掲載されている(64〜65ページ)。先生はそのなかで、「マチコ先生」の作者えびはら武司さんの人柄や、「マチコ先生」の感想などを語っている。(えびはら武司さんは、かつて藤子スタジオのスタッフだった)
 102ページには、かつて藤子スタジオが出していた同人誌、藤子スタジオ漫画マガジン「Q」が写真付きで紹介されている。


27日の日記で、韓国家庭料理「山村」が藤子A先生絶賛の店…といったことを書いたが、藤子ファン仲間がさっそくその「山村」へ行ってきたそうだ。店内には著名人のサイン色紙がたくさん飾ってあり、藤子A先生が描いた喪黒福造の色紙もあったとのこと。

*1:岡崎女子短大の学園祭「岡短祭」の中で「懐かしの漫劇倶楽部」が携わった展示会。テーマは「少女漫画の歴史」