永田竹丸先生講演「『漫画少年』とトキワ荘を語る」

 私が森下文化センターへ『「漫画少年」とトキワ荘の時代 〜マンガが漫画だった頃』を観に行った9月1日には、同展の関連イベントとして以下のような講演が開催されました。
 

「『漫画少年』とトキワ荘を語る」
日時 9月1日(日)14:00〜15:30
講師 永田竹丸(漫画家・トキワ荘通い組)
会場 森下文化センター 第2・3会議室
定員 50名
参加費 無料(先着順)

 永田竹丸先生は「漫画少年」の投稿家であり「漫画少年」でデビューを果たした漫画家ですから、正真正銘「漫画少年」チルドレンと言える人物です。トキワ荘通い組の一人であり、第一次新漫画党の党員でもありました。個人的には、『まんが道』の登場人物であり、中日新聞日曜版に連載されていた『キャラとメル』の作者としても印象深い方です。トキワ荘時代の藤子不二雄A先生の遊び仲間だったことや、昭和40年代に藤子スタジオに在籍されていたことも私には重要な事実です。


 森下文化センターに着いて会場をうろうろしていたら、ネオ・ユートピアのスタッフと遭遇したので行動を共にしました。そのうちの1人とは、先月24日、一緒にナゴヤドームプロ野球観戦したばかりです(笑)
 私が永田先生のお話を聴くのはこれが初めて。講演は、永田先生の隣に座った野呂館長の司会で進行されました。
 
 ・講演中の永田先生と野呂館長


漫画少年」の初期連載陣は、加藤謙一さんが「少年倶楽部」の編集長だった縁から「少年倶楽部」の人気漫画家・作家が多くを占めていました。永田先生のお話は、そうした「少年倶楽部」からの漫画家である田河水泡島田啓三といったお歴々の話題から入っていきました。戦前から活躍する大先生方ですね。
 その後、「漫画少年」の七福神と呼ばれる漫画家、「漫画少年」を支えた漫画家、投稿家といったカテゴリで、さまざまな漫画家のエピソードや人となり、作品などが永田先生の口から語られていきました。もうこの時点で、言及された漫画家の人数は相当なものです。


 そうして、いよいよ私に馴染み深い領域に入っていきます。第一次新漫画党、第二次新漫画党、トキワ荘、といったカテゴリです。もちろん、このカテゴリになると、藤子先生の名前も出てきます。
 永田先生は新漫画党が結成される前、「漫画少年」を介して知り合った寺田ヒロオ山根青鬼・赤鬼、坂本三郎といった面々と合作を行なっていました。しかし途中で山根兄弟が抜けてしまったため、残った3人だけで合作をやったこともあります。そんな折、本格的上京の前の下見でトキワ荘を訪れテラさんの部屋に泊っていた藤子A先生と出会い、テラさんの「既成の漫画家グループにないグループをつくりたい」との思いから、寺田ヒロオ、坂本三郎、永田竹丸森安なおや、そして藤子不二雄という面々で第一次新漫画党が結成され、このメンバーで「漫画少年」の合作が行なわれたのです。
 新漫画党の代表的な合作仕事のひとつが、「漫画少年」に連載された『漫画図鑑』でしょう。「けもの篇」「おもちゃ篇」「スポーツ篇」「クスリ篇」など毎回なんらかのテーマを決め、そのテーマに沿ったアイデアイラストを各メンバーが描いて持ち寄り、それらの作品を見開きで構成して発表するのです。永田先生によると、これはA先生が企画したものなのですが、「文藝春秋」誌が大人マンガでこうしたことをやっていたのでそれの真似になるのかもしれない、とのこと。毎回、その回のタイトルバックのデザインを担当した人が、その回の構成も担当したようです。
 新漫画党では合作だけでなく競作をよくやっていました。その競作のテーマを決めるときは「漫画少年」を発行していた学童社にメンバーが集まり、担当編集者と決めたそうです。昼どきになると編集部がカレーライスを取ってくれるのが楽しみだったとか。


 永田先生は、藤子A先生の遊び仲間でしたから、そのあたりのお話もありました。
 ・当時はうたごえ運動が盛んで、安孫子さんとコーラスグループに参加したりしていた。歌を指導してくれる伴奏者から安孫子さんが「声がオクターブ低い」と言われたのを憶えている。
 ・藤本さんは部屋にこもってひたすら描くのが好きだった。安孫子さんが遊び回っているあいだも一人で描いていた。そんな状況で安孫子さんは遊びに出かけるとき藤本さんに何と言ってたのか気になっていた(笑)


 永田先生は、この講演の2日ほど前に藤子A先生から「もしかしたら、(この講演を)見に行くかもしれない」と電話があったことも明かしてくださいました。結局A先生はおみえにならなかったようですが、その言葉を聴いただけで私は何だかテンションが上がってしまいました(笑)



 今回の講演で永田先生が順々に語られた数々の漫画家とその作品たち……。そうした流れが、戦後日本の児童漫画(現在でいう「マンガ」)のメインストリームだったと、おおまかには言えましょう。その意味で、「漫画少年」が現在のマンガに及ぼしている影響の大きさ、深さは、測り知れないものがあるわけです。いま「漫画少年」の功績や意義、その影響力について見なおすことの大切さを感じました。

 
 
 ・この写真は、講演の終了後、永田先生から展示品についてレクチャーを受けているところ。チェック模様のシャツが私(笑)


  
 ・永田先生と記念撮影!(実際は、もう少し多い人数で撮影したのですが、皆さんの顔にぼかしを入れる作業を短縮するため恐れ入りますがトリミングしました)


 講演後、永田先生の控室に入れていただく光栄に預かりました。なかに入ると、永田先生をはじめ、漫画家のウノ・カマキリ先生、メモリーバンクの綿引勝美さん、藤子・F・不二雄大全集の徳山編集長、野呂館長といった方々がテーブルを囲んで、何やら真剣モードで熱を込めて語り合っておいででした。何か素敵なものがこの語り合いのなかから生まれてきそうな、そんな雰囲気でした。
 
 左から永田竹丸先生と森下文化センターの野呂館長、後ろ姿の人物は左がメモリーバンクの綿引勝美さん、右が藤子・F・不二雄大全集の徳山編集長。
 この皆さんが打ち上げに行かれることになり、ありがたいことに、同行させていただきました。永田先生に質問させていただいたり、愛知県出身のウノ・カマキリ先生とローカルネタで盛り上がったり、綿引さんの編集したガイドブックを見せてもらったりと貴重な時間をすごせました。
 綿引さんは、藤子不二雄ランドコロタン文庫「藤子不二雄まんが全百科」、ビッグ・コロタン「藤子まんがヒーロー全員集合」、「藤子・F・不二雄の異説クラブ」などの編集・執筆を手掛けた人物なので、1980年代〜90年代前半を藤子ファンとしてすごした者には特別な存在です。我々に多大な影響力を及ぼしています。今回は、そうやって10代のころからお世話になっていたことを綿引さんに伝えられてよかったです。


 打ち上げ後は、ネオ・ユートピアのスタッフや森安なおや作品の復刻などで知られる古書店主・高畠裕幸さんともう一度森下文化センターへ戻って「漫画少年」展を見納め。新宿の喫茶店に移って、私の乗る夜行バスの時間が来るまでつきあってもらいました。


 当日お会いした皆様、ありがとうございました!