東京で忘年会

 27日(月)、東京へ行ってきた。香港の新聞社に勤務する藤子ファンのEさんが東京の実家に帰省したので、忘年会も兼ねて、Eさんの帰国を祝う飲み会を開こうということになったのである。
 Eさんは私よりもひとつ年上の男性で、20年ほど前からの知り合いだ。といっても、初めてじかに顔を合わせたのは昨年末のことで、今回が二度めの対面となる。〝20年ほど前からの知り合い〟というのは、実際に会うことはなかったけれど、20年ほど前から互いの存在を認識し合っていた、という意味である。


 昭和54年から58年までの4年間、「UTOPIA」という名の藤子不二雄公認ファンクラブが存在していた。あとにも先にも、藤子不二雄先生「公認」のファンクラブはこの「UTOPIA」のみである。私も「UTOPIA」の会員だった。
 その「UTOPIA」が活動末期に差しかかった頃から、熱心な藤子ファンが個人的に(あるいは仲間と組んで)主催する小規模な藤子ファンサークルがぼちぼち誕生しはじめた。昭和58年の「UTOPIA」解散を機に、そうした小規模サークルはさらに数を増し、動きを活発化していった。私が実際に入会して投稿を繰り返していたところだけでも、藤子不二雄研究会「アスナロ」、藤子不二雄ファンクラブ「Q」藤子不二雄研究会「UB」、藤子不二雄研究会「ユメカゲロウ」、藤子不二雄ファンクラブ「22世紀」などがある。
 Eさんと私は、こうしたファンサークルに参加することで、互いの存在を認識し合うに至ったわけである。ちなみに、Eさんは藤子不二雄ファンクラブ「22世紀」の代表であったし、この日朝から行動を共にしたOさんは、藤子不二雄研究会「アスナロ」の代表であり、「22世紀」発足の準備段階から深くかかわった人物でもあった。
 昭和61年になると、これらの小規模ファンサークルで活躍していた面々が結集して藤子不二雄ファンサークル「Neo Utopia」を設立し、小規模サークル群雄割拠の時代が終わりを告げることになる。「Neo Utopia」は、現在活動が認められる藤子不二雄ファンサークルの中で最大の規模を誇っており、非公認サークルでありながら公認サークル並みの内実を有している。


 さて、話を27日の件に戻そう。
 私は、26日深夜11時半ごろ夜行バスで地元を発ち、27日朝6時に新宿駅新南口に到着した。そこで待ち合わせの約束をしていた藤子ファン仲間のOさん(埼玉在住)・Kさん(神奈川在住)と合流。主役のEさんとは午後3時に新宿の喫茶店ルノワール」で落ち合うことになっていたので、それまで3人で時間を潰さねばならなかった。
 とりあえずマクドナルドに入って朝食をとりつつ、藤子不二雄に関する事柄を中心に様々な話をしてすごした。昼になると電車でいったん中野へ移動し、ラーメン屋で昼食をとってから「まんだらけ」のある中野ブロードウェイへ。そこで絶版本やフィギュアなどを見物しつつ、一般書店で「ぴっかぴかコミックス」の新刊や、『ドラえもん』の記事が載った「Yomiuri Weekly」を購入した。


 再び新宿へ戻り、「ルノワール」でEさんを待った。
 予定より少し遅れてEさんがやってくると、テーブルの上はたちまちEさんが持参した品物で埋め尽くされた。Eさんは、香港で売られている『ドラえもん』の玩具や本などを、我々にプレゼントしてくれるというのだ。ひとつひとつの品物についてEさんに解説してもらいながら、それを皆で山分けした。私は、中国語版「大長編ドラえもん」の単行本や、ドラえもんグッズを紹介する小冊子、ドラえもんのイラストが施された正月飾り、ステッカー、ビニル製の手提げ袋、そしてプラスティックのドラえもん立体人形などをいただいた。
 大長編ドラの単行本は、海外にありがちな海賊版ではなく、中国でよく流通している正規のもので、てんとう虫コミックスに準じた装丁になっている。
 ドラグッズを紹介する小冊子は、全65ページ・オールカラーのカタログ風で、日本でもおなじみのドラグッズを中心に、藤子・F・不二雄先生のプロフィール、秘密道具の解説、最終回の紹介、雑誌「ぼく、ドラえもん」の情報などなど、『ドラえもん』に関することなら何でもありといった感じで記事を載せている。秘密道具を解説するページは、秘密道具の中国名を見ているだけでも興味深く、たとえば、どこでもドアは「随意門」、通り抜けフープは「通過環」、もしもボックスは「假如電話亭」、アンキパンは「記憶麺包」と名づけられている。最終回紹介のスペースでは、原作マンガで描かれた3種のエピソードとともに、都市伝説として広まった噂話にも言及している。
 本以外のドラグッズでは、とぼけた味わいのステッカーが気に入った。その絵柄は明らかにドラえもんなのだが、鼻が黒く四次元ポケットは黄色に塗られており、全体の輪郭も微妙に崩れ気味。ロゴも「ドラえもん」ではなく「トラえもん」になっていて、そこかしこからパチもん感をかもし出している。


 土産品を分け終えると、新宿西口の居酒屋に場所を移し、体にお酒を注入しながら、よりテンションの高い会話を楽しんだ。やはり、Eさんによる香港(あるいは中国)の話が場のメインとなり、〝藤子不二雄〟に関連する話題ではこんなものが飛び出した。
●ドラ声優交代のニュースは、香港のマスコミでは報道されていない。それもそのはずで、香港で放映されている『ドラえもん』は、最初から大山のぶ代さんたちの声ではないのだから、日本で声優が代わったところで香港の視聴者には関係ないのである。それに、インターネットで情報を得られる時代だから、香港のマスコミで報道されなくても、声優交代の件を知っている人は結構いる。
●この夏に映画『NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE』が公開されたことは香港でも報道されたが、それは『忍者ハットリくん』という作品が映画化されたからではなく、香港でも人気のあるSMAP香取慎吾さんが主演を務めたからである。
●今の日本で無版権のドラグッズを見かけることはめったにないが、香港ではまだまだ海賊版の商品が出回っている。
●中国ではアニメ・マンガは国家の保護産業になっていて、日本のアニメーターや漫画家にも進出するチャンスがある。
●中国では、日本語に訳せば「青い猫」というタイトルのアニメが放映されている。これは明らかに『ドラえもん』から影響を受けた作品で、青い色の猫が科学的な知識を啓蒙する内容である。


 Eさんのお仕事の話にもなった。今年は、香港で本業の新聞記者をしながら、中国情勢に詳しいジャーナリストとして、日本の経済誌に記事を書いたり、ラジオ番組でインタビューを受けたりしたとのこと。ゆくゆくは、中国と日本を行き来する中国専門のフリージャーナリストになりたくて、その足場作りとして、28日には仕事上のコネクションがある毎日新聞社などを営業して回るのだそうだ。
 中国情勢にまつわる話題も持ち上がった。私は、自分の関心事である、一国二制度のありようや、チベット新疆ウイグル自治区の問題、地域格差の実状、漢民族の意識などについて質問した。
 昔話にも花が咲き、十代の頃のファンサークル活動を思い出して熱い気持ちを呼び起こしたのだった。