「驚音波発振機」「オールマイティパス」放送

 4月29日『わさドラ』第3回放送の視聴率は、12.6%だった。リニューアル前と同程度の数字であり、まあまあといったところか。
 http://www.videor.co.jp/data/ratedata/top10.htm#comic



 さて、本日6日(金)の『わさドラ』は、「驚音波発振機*1と「オールマイティパス」*2の2本が放送された。ミニシアターはなく、代わりに、ドラえもんニュースとして女子十二楽坊が「ドラえもんのうた」を演奏している映像が流された。



●「驚音波発振機
 原作ではもともと「狂音波発振機」というサブタイトルだったが、「狂」という語を自主規制する風潮の中で、単行本のどの版からか、「狂」が「驚」に変更されてしまった。今回のアニメで再び「狂」の字を使ってくれたら私も狂喜するところだが、現状ではそんなことはありえないのだった。


 原作では話の序盤に、ドラえもんがネズミに対する極度の恐怖のあまり爆弾をとりだすシーンがあるが、それがアニメでどう表現されるか注目していた。とくに、ドラえもんの狂気じみた目が狂気じみたまま描写されるのか、爆弾が他の道具に変えられたりはしないか、といった点が気がかりだった。
 たとえ大幅な改変はなくとも、少し抑えた表現になるかもしれないな、と思っていたが、実際は抑えるどころか原作よりやや解放ぎみの表現になっていて、実に愉快だった。ドラえもんの度を超えたネズミ嫌いがよく伝わってくる表現になっていたと思う。


 注目のジャイアンの歌声は、ジャイアンの音痴っぷりを無難に表現していて、それなりによかった。木村昴さんの普段の演技だと、激しい表情をするジャイアンに声が追いついていないとか、その他なんだかんだと気にかかる点があるのだが、歌に関してはあまり難を感じなかった。
 今回ジャイアンが歌った歌は、原作の「ハッピーバースデイ・ジャイアン*3ジャイアンが歌った「おいらの〜胸の心のせつなさよ〜♪ 雨がふれば〜胸の心の頭もぬれるよ〜♪」という歌詞がベースになっているように聞き取れた。
 現実問題として、視聴者が本当に苦しむような歌声をテレビで流すわけにいかず、ジャイアンの凄絶な音痴っぶりを読者の想像力に委ねられるマンガとは条件が違いすぎるため、原作と比べてどうこう言うつもりはないが、とにかく、ジャイアンの歌は『ドラえもん』の名物シーンなので、『わさドラ』は『わさドラ』なりにこのシーンを極めていってほしい。


 ジャイアンの殺人的な歌声からママを守るため、タケコプターで無理やり空へ飛ばすシーンは、原作を読んでいて予期できる内容だったのに、思わず笑ってしまった。そして、ビデオでもう一度観たら、さらに笑えた。あれでは、ジャイアンの歌声からママの命を守ることができても、別の意味でママの生命を危険にさらすことになるではないか(笑)


 驚音波発振機ジャイアンの歌を利用して害虫・ネズミの駆除に成功したのび太は、その後、いかにものび太らしく調子に乗って、同じ方法でお金儲けを企てる。
 原作にもあるのび太のセリフで、ジャイアンを電話で呼び出すときの「またきみの芸術にひたりたくなったんだけど」というフレーズは、実に巧妙な誘い文句だと思う。学校の勉強はできないのび太だが、こういうときは抜群の言語感覚を発揮する。この優れた言語感覚は、そのまま藤子・F・不二雄先生の言語感覚でもあるわけで、こうした優れたセンスの言葉を、『わさドラ』では原作のとおりに発話してくれることが多く、非常に嬉しい。


 原作のオチは、逃げようのない危機的な状況に追い込まれ、頭から冷や汗を流すうしろ姿ののび太と、真実を知らずまだ機嫌のいいジャイアンの向かい合いで終わっている。そんな、のび太の表情を見せず次の展開を描かないところで止めておく演出がとても絶妙で効果的なのだが、『わさドラ』では、そこから話を少しだけ進め、のび太の表情をアップで見せたうえ、のび太が気を失って倒れるところまでを描いている。
 原作の最後のコマは、のび太はどんな表情をしているのだろう、この先どんな惨劇が待っているのだろう、と読者の想像力を駆り立てる効力があるが、アニメで同じようにやっても、その独特のおかしさや緊迫感が視聴者に伝わりにくく物足りない印象で終わってしまう気もするので、今回の処置は妥当な策だったと思う。だが、原作の、あのたった1コマから感じる心理的な迫力を、アニメで充分に感じることはできなかった。



●「オールマイティパス」
5月4日の記事でも書いたとおり、星野スミレに強い思い入れのある私は、星野スミレの登場シーンが、この作品の最大の見どころだった。
ドラえもん』の登場人物の目は、白丸に黒い点だとか黒丸に白い点だとか、そういった単純な線と点と黒ベタで描かれている場合が多いのだが、それと比べ、『ドラえもん』に出てくる星野スミレは、描き込みの密な美しい目をしている。そんな目の特徴も含め、星野スミレの美しさがアニメでどう表現されるか注目していたところ、目をはじめとした顔や髪型、スタイル、声の調子、全体の雰囲気など、おおむね原作の魅力を損なわず描いてくれていて好感がもてた。と同時に、星野スミレはこんなレベルではないぞ、という気持ちもわいてきたが、それは私の思い入れが過剰なための欲張りな感想だろう。


 のび太としずかちゃんがオールマイティパスを使って喫茶店やパチンコ店へ入るシーンは、のび太・しずかちゃんに比して周囲の大人や空間、小道具を大きく描いていて、その場所が本来子どもが来るべきでない異界であることを視覚的に示しているようだった。とくに、パチンコ店に入った二人の両側に並ぶ大人の背中は、巨大さを感じさせた。
こういう視覚的な効果に触れると、藤子・F・不二雄先生の異色短編『やすらぎの館』*4を思い出す。
 やすらぎの館という会員制の施設では、イスやテーブルなどの家具が普通よりもはるかに大きく作られている。それは、この館へ安らぎを求めてやってくる大人が幼児に退行しやすくなるためのからくりで、大人が幼児だったころにはその割合で家具が大きく見えていたはずだ、という根拠で設計されている。
 こうした作品を鑑賞すると、我々の前に日常的に広がっている光景が、子どもの目には大人が思う以上に大きく映っているのだと、改めて気づかされるのだった。

*1:「小学六年生」1978年4月号/てんとう虫コミックス17巻などに収録

*2:「小学五年生」1977年4月号/てんとう虫コミックス15巻などに収録

*3:「小学三年生」1980年6月号/てんとう虫コミックス23巻などに収録

*4:ビッグコミック」1974年12月10日号/小学館文庫『藤子・F・不二雄異色短篇集2 気楽に殺ろうよ』、『藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版2 定年退食』などに収録