2002年 マグリット展記念講演会

 3月29日の日記で触れたとおり、2002年9月7日、名古屋市美術館にてマグリット展記念講演会「マグリットの石」が開催され、藤子不二雄A先生が講師をつとめた。もう3年半ほども前の出来事になるが、当時のメモ書きなどを参考にこの講演会の模様をレポートしてみたい。



 この講演会が私にとって特別なものに感じられたのは、藤子A先生が私の住む愛知県にやってくるという事実だった。A先生関連の大きなイベントが愛知県で行なわれることなどほとんどないなか、A先生が実際に愛知県へやってきて講演をやってくださるというのは、とてつもなく感激的な出来事だ。これは絶対に行かねばなるまいと異常に気合が入ったことは言うまでもない。しかし、講演会を聴講するにあたって、ひとつ大きな障害が横たわっていた。


 この講演会を聴講するには事前申込が必要で、定員以上の申込が集まれば抽選になるというのだ。せっかく地元にA先生がやってきて講演をするというのに、抽選で外れて参加資格を得られなかったら、こんなに惨めなことはない。抽選結果を聞くまで、もし落選したらどうしよう、と不安でならなかった。
 幸い、ハガキに印刷された「入場整理券」が届き、ホッと一安心。



 当日は各地からやってきた藤子ファン仲間と落ち合い、A先生の講演会が始まる前に「マグリット展」本体を観覧しておこうという話になった。会場はなかなかの混雑ぶり。ひとつの絵を鑑賞し次の絵に進みたくても前が詰まっていて足止めをくらう、なんてこともしばしばだった。
 90枚を超えるマグリットの絵画が展示されていたが、気になるのはやはりA先生のマンガに登場する作品だ。A先生のマンガでマグリットとくれば、まずは『マグリットの石』が頭に浮かぶ。この『マグリットの石』の直接的なモチーフとなった絵画『ピレネーの城』(大きな岩石が空中に浮かんでいて、バックが青空、下方が海、岩石の上に城が建っている絵)がこの展覧会で見られなかったのは少々残念だが、それとそっくりな構図で描かれた『現実の感覚』を鑑賞することができたのでずいぶん救われた。
『現実の感覚』は、『ピレネーの城』と比べると、巨大な岩石が空中に浮かんでいてバックが青空であるところは同じだが、岩石の下方の風景が「海」ではなく「山並みと平野」である点や、「岩石の上に城が建っていない」点などが目立った相違点といえよう。私は『現実の感覚』の前で立ち止まり、鞄からA先生の単行本「ブラックユーモア短篇集」を取り出して『マグリットの石』のページを開いた。そして、A先生の描いた『マグリットの石』と、マグリットの描いた『現実の感覚』を比較しながら鑑賞した。



『現実の感覚』のほかに印象的だったのは、山頂が猛禽の頭に似た岩山が左右に壮大な広がりをみせる『アルンハイムの領地』、絵に描かれた貴婦人と作品のタイトルがあまりにもミスマッチな『世界大戦』、部屋を埋め尽くさんばかりに置かれた一個の巨大な青リンゴが目を奪う『リスニング・ルーム』など。A先生の『マボロシ太夫』に出てくるマボロシ山は、『アルンハイムの領地』をモデルにしたとみて間違いないだろう。『魔太郎がくる!!』の「空中に浮かぶ魔法の岩よ」では、『リスニング・ルーム』とほぼ同じ構図の絵が「部屋いっぱいのこんな青リンゴ……こんなリンゴがいっぱいなってる木はいったいどれだけ大きな木だろう?」という解説の言葉とともに紹介されている。



 そしていよいよ午後2時。2階講堂で、待ちに待ったA先生の講演会がスタートした。
 我々はよい席を確保しようと早くから講堂前に駆けつけ最前列に並び、開場後、いちばん前・中央の席に座った。A先生の姿を真正面で見ようという目論見だったが、運悪く当てが外れ、A先生は正面の壇上に立たず、我々から見て左側の床上で話を始めた。それでも、いちばん前の席だけあって、A先生の姿をけっこう近くで見ることができた。2002年は、7月に大垣、8月に氷見、そして9月にはこの名古屋と、3ヵ月連続で生身のA先生の姿を拝見したことになる。


 
 A先生は講演の冒頭で、マグリットの絵の最大の特徴として、「観る人の想像力をかき立てる」と語った。
 マグリットの絵画には、「絵に描かれたものと、それとは無関係のタイトル」「シュールとリアル」「抽象と具象」といった、さまざまなミスマッチがみられる、それは見る人を惑わそうとするマグリットの「いたずら心」のあらわれだろう、マグリットは少年のころの憧れを絵にしているのではないか、という話を経て、マグリットとA先生の少年時代を重ね合わせるくだりへ至った。
 そこでA先生が、ぼくは富山県氷見市の光禅寺というお寺で生まれた、本来ならばそのお寺で大僧正になっていたんですが… とジョークを入れると、場内は大爆笑。美術館というお堅い場所での講演会にもかかわらず、笑いを忘れないA先生のユーモア精神が素敵だった。



 その後A先生は、お気に入りのマグリット作品をスクリーンに映しながら、その作品に解説を加えていった。『世界大戦』という作品を解説したおりには、貴婦人の顔がスミレの花束によって覆い隠されているという匿名性がこの作品の特徴であると指摘、その特徴をご自分の作品『仮面太郎』と結びつけて話を展開した。
 スクリーンを用いた講演はなおも続き、A先生のブラック短編『マグリットの石』をA先生ご自身が1ページずつ解説していくという、ファンなら涎ものの時間が到来。冒頭でA先生が主人公の陰間鏡二のことを「オタクっぽい青年」と紹介したり、最後のコマを指して「よくわからないラストになっちゃいました」と語ったり、ユーモアたっぷりの解説だった。



 講演会のクライマックスは、A先生がこのために制作した4枚の絵だった。これは、マグリットの『ピレネーの城』や『現実の感覚』と同じ構図を使った、A先生の遊び心あふれるパロディ作品で、その4枚が順々にスクリーンに映し出されていった。巨大な岩石が空中に浮かび、その下に風景が広がっている、という基本的な構図は4枚とも同じだが、下に広がる風景がそれぞれ違っていておもしろいのだ。
「富士山」「新宿の高層ビル群」「トキワ荘」ときて、4枚めは「名古屋城とナナちゃん人形」だった。この4枚めの作品は、講演会の開催地である名古屋に向けた、A先生の特別サービス。ナナちゃん人形とは、名古屋駅周辺の待ち合わせスポットとして有名なノッポ人形で、身長6メートル10センチ、ふだんは真っ白な裸体だが、夏は水着、クリスマスにはサンタクロース、といった感じで衣装を変えていく。
 愛知県民からすれば、名古屋城の前にナナちゃん人形が立っている位置関係だけでも充分にシュールだが、その上にマグリットの巨大な石が堂々と浮かんでいて、名古屋が超現実的な都市に変貌したような不思議な感覚がもたらされた。
 A先生は、この4枚の絵について「せっかくだから美術館の片隅にでも展示してほしい」と冗談で語っていた。



 講演の最後は、「マグリットの絵はやさしくて音がなく、その作品世界にスッと引き込まれ、よい気分にさせてくれる」とまとめ、盛大な拍手でもって終幕。短すぎる1時間だった。
 私は講演後、美術館の売店で、図録のほか、『ピレネーの城』のアドレス帳、『アルンハイムの領地』『リスニング・ルーム』の絵はがきなどを購入した。



 この記念講演会の模様は、同日夕方の東海テレビニュース、翌朝の中日新聞朝刊で報じられた。また翌日のテレビ番組「新日曜美術館」(NHK教育)でもマグリットがテーマとなり、A先生が出演してマグリットへの想いを語った。さらに、中日新聞朝刊で9月16日から21日にかけて「笑ゥ魔法絵師 マグリット藤子不二雄A」という記事が連載された。全5回。





●書籍情報
「漫画家誕生 169人の漫画道」(中野渡淳一・著/新潮社/2006年3月発行/2,100円税込)
1999年から2003年にかけて信濃毎日新聞に連載された、169人のマンガ家へのインタビュー集。その169人の中に、藤子不二雄A先生も含まれている。
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4103013516/qid=1144310213/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-0843645-8379406