大山のぶ代さんサイン会へ行ってきた

 11日(日)、リブロ池袋本店・地下1階児童書売場前で、大山のぶ代さんのサイン会が開催された。大山さんの自伝エッセイ『ぼく、ドラえもんでした。 涙と笑いの26年うちあけ話』(小学館)出版を記念したもので、この本を同書店で購入し整理券を入手した人がサイン会参加の権利を得られるのだった。


 先月このサイン会の情報を知って、「これは行ってみたな〜」と思っていたところ、ネット上で知り合った「ひろべえ万画夜話」のひろべえさんから、「6月10日、東京でオフ会を開きます」という旨のメールをいただいた。そのオフ会は、ひろべえさんのネット上の友人が集まるもので、私にも誘いの声をかけてくださったのだ。そこで私は、10日はひろべえさんオフ会、11日は大山のぶ代さんサイン会を主目的として、3泊2日(夜行バス内で2泊、東京で1泊)の東京旅行に出かけることにした。
 サイン会の整理券は電話予約で確保。5月30日の日記で書いたように、『ぼく、ドラえもんでした。』は、すでに地元の書店で買って読んでいたので、サイン会のためにもう1冊購入することになった。



 9日(金)深夜、夜行バスで愛知県を出発し、10日午前6時ごろ新宿に到着。新宿から、ひろべえさんオフ会の集合場所である上野の国立科学博物館へ足を運んだ。集合時間は午前10時だったけれど、私は7時に上野に着いたので、上野公園を中心にその近辺を散策。上野といえば、『まんが道』で満賀道雄才野茂富山県高岡市から上京するさい、一番初めに降り立つ土地だ。西郷隆盛銅像の前で、見知らぬおじさんにカメラを盗まれそうになるシーンが印象的だったので、私もさっそく西郷隆盛銅像のある場所へ行ってみた。すると、銅像の前で何人もの観光客が写真を撮っていた。私もカメラをとりだし、銅像を撮影。妙なおじさんに「わしが写真を撮ってやるよ」と声をかけられることはなかった。
 上野には、藤子・F・不二雄先生の通夜・告別式が行なわれた寛永寺があるので、その前の道も通ってみた。私は、F先生の葬儀に参列できなかったのだが、寛永寺の門の前を歩きながらあの日のことを思い出すと、神妙な気持ちになってくる。



 午前10時、国立科学博物館前でひろべえさんと合流。リアルな状況では初めてお会いするのだが、ひろべえさんご本人の写真をネットで見たことがあったので、こちらからひろべえさんらしき人を見つけて声をかけた。その場には、もうお一人、Nさんがいらした。ひろべえさんは、Nさんや、昼すぎに別の場所で合流したDさんとは、ゲームマニアつながりとのこと。しかもNさんとDさんは愛好するゲームの種類に違いがあるという。ひろべえさんと私は藤子ファンつながりなので、ひろべえさんを媒介にして異なった趣味の者が一つの場に集うことになったわけである。
 ひろべえさんは当初、上野公園界隈の博物館なり動物園なりを巡って遊ぶ予定だったそうだが、オフ会に欠席者が出て上野で遊ぶ必然性を失ったこともあって急遽予定を変更。Nさんのガイドで秋葉原を探訪することになった。私は、何度となく東京を訪れているが、秋葉原に足を踏み入れたことはなく、予期せぬ展開で秋葉原を初めて体験することになった。



 秋葉原に着くと、まずヨドバシカメラへ向かった。ヨドバシカメラといえば、藤子・F先生の『タイムカメラ』『夢カメラ』『懐古の客』『四海鏡』などカメラシリーズに登場する、未来からきたカメラのセールスマン〝ヨドバ氏〟の名前の元ネタになったところだ。私は、「おお、ヨドバ氏だ〜」と思いつつ、店内に入った。ここでウィンドウショッピングでもするつもりだったが、会話に熱中してそれどころではなくなったため、落ち着いて会話のできる場所へ移動しよう、そして、せっかく秋葉原にいるのだからメイドカフェへ行こう、ということになった。
 私は、秋葉原に来るのも初めてなら、メイドカフェに入るのも初めてで、こういうことでもなければ一生メイドカフェを訪れることはなかっただろう。Nさんが案内してくれたメイドカフェは、入店のさい普通に「いらしゃいませ」と客を出迎えるところで、よく話に聞く「お帰りなさいませ、ご主人様」というような挨拶はなかった。店内のつくりもシンプルで、何かのオプションがあるようでもなく、ウェイトレスがメイドの扮装をしているほかは、ノーマルな喫茶店とあまり変わらない印象だった。どうであるにせよ、我々は、自分らの会話に夢中で、メイドさんがいようといまいとあまり関係のない状況だった。



 メイドカフェを出て、秋葉原の駅でDさんと落ち合い、昼食をとったのち、Nさんのガイドでゲームソフトの専門店を数箇所めぐった。海外のソフトを売る店や、中古ソフトを扱う店だった。私は、中古ソフトの店でドラえもん関係のゲーム攻略本を4冊購入。ゲームをやらない私は、それらのソフト自体は持っていないのだが、ドラえもんグッズという括りで攻略本をコレクションに加えようと思ったのだ。
 その後、ゲームセンターに寄ってから、居酒屋で飲み会となった。リアルな場では初対面の者どうし、基本的な趣味も異なる4人が集まって、はたしてオフ会がうまくいくのだろうかと、ひろべえさんは心配された面もあったようだが、結果として居酒屋を出るのが名残惜しいくらい話が盛り上がり、会は成功といってよいレベルで幕を閉じたのだった。
 NさんやDさんと再会できるのは、次回のひろべえさんオフ会になるだろうか。


 ひろべえさんとは、翌日も行動をともにすることになっており、予約しておいた上野のビジネスホテルへ2人して移動した。今年できたばかりの新しいホテルで1泊ひとり4200円はお値打ちだった。しかも朝食のパン(だけの)バイキングが無料とあって、お値打ち気分は増幅する。ひろべえさんとは同じ部屋で、夜中の2時ごろまで会話をして、眠りについた。



 11日、朝10時ごろホテルをチェックアウト。地下鉄を乗り継いでトキワ荘跡地を訪れた。上野から1時間ばかりかかった。トキワ荘跡地についてはこのブログで何度も触れているが、跡地といっても、そこに看板なり痕跡なりシンボルなりがあるわけでなく、どこかの会社のビルや民家が何気なく建っているだけである。道路を挟んだ向かい側にNTTの建物(今は使われていない)や電話ボックスがあることで、『まんが道』『愛…しりそめし頃に…』で描かれたトキワ荘前の電話局の名残を、かろうじて感じられるくらいである。それでも、そこにマンガの聖地・トキワ荘があったことを思えば、その地の空気感にひたることで頭のなかに昭和30年代のトキワ荘が復元されて、感慨深い気持ちになれるのだった。
 その近くには、トキワ荘のメンバーがよく利用した中華食堂「松葉」もある。「松葉」は、下町の商店街にある地味なラーメン屋さんといった風情だが、店の入口あたりに、『まんが道』で「松葉」のラーメンが登場するシーンをコピーしたものが何枚も貼ってあり、並みのラーメン屋とは違う顔を見せている。店内には、藤子A先生が2002年にこの店を訪れたさい残していかれた、喪黒福造の直筆色紙や、先生たちの写った写真、藤子Aキャラのフィギュアが飾ってある。 我々は、ここでラーメンを食べて腹ごしらえをした。



 リブロ池袋本店に到着したのは、午後1時をすぎたころだったろうか。サイン会の会場となる場所は、まだそれらしい状態になっていなかった。我々は、予約してあった『ぼく、ドラえもんでした。』をレジで購入し、整理券を入手。サイン会の始まる3時までまだたっぷり時間があったので、西武百貨店地下のお土産物売場で、ひろべえさんの買い物にお付き合いした。
 児童書売場前に戻ってみると、会場の設営が始まっていた。テレビカメラが何台も並びだし、何事が起こるのかと思ったら、サイン会の前に大山のぶ代さんのマスコミ向けインタビュー会見が行なわれるらしかった。そうこうすうるちに、サイン会の参加者や通りがかりの人が大勢集まりだし、見知った藤子ファン仲間の姿もちらほらと見かけたので、挨拶したり会話したりしてすごした。
 大山さんインタビュー会見の中身については、居並ぶテレビカメラと人だかりが壁となってよく見えなかったし、音声もほとんど聞きとれなかった。大山さんが時おり「ぼく、ドラえもんです」などとドラえもんの声を出したときのみ音がはっきり聞こえてきて、それはそれで「生のドラ声を聞けた!」という感動があった。この模様は、テレビのワイドショーやスポーツ新聞などで報道されたようだ。



 午後3時、サイン会がスタート。サイン会の列は会場のワンフロア下までのびる長さで、我々は比較的列の後方に並んだため、1時間以上(2時間近くだったか)待つことになった。しかし、ひろべえさんや藤子ファン仲間と会話するうちにあっというまに時間が過ぎ去り、待つことによる退屈さは微塵も感じなかった。サインをもらうおりには、自分の姓か下の名前どちらかを入れていただけるというので、下の名前を書いてもらうことにした。
 ついに私の順番が巡ってきた。小学生のころからずっと親しみ愛し続けてきたドラえもんの声の主が目の前にいる! そんな感慨がじわじわと胸のうちにこみ上げてきた。私は、その気持ちのままに、「ドラえもんのアニメがスタートしたときからすっと観てました。いま感激してます」と大山さんに伝えた。すると大山さんは、にっこりと頷きながら「ドラえもん 大山のぶ代」とサインを書いてくださった。為書き用に前もってメモ用紙に記しておいた私の下の名前を見た大山さんは、その名が今年亡くなったある俳優さんと同じであることに気づき、「あら、●●●●さんと同じお名前ね」と言って、その俳優さんの逝去を惜しむ言葉を続けられた。サインを書き終えると握手してくださり、その姿を書店スタッフのかたに写真におさめてもらえた。私のカメラは古いコンパクトカメラで、大山さんとのツーショットがどんなふうに写っているのかまだ確認できていない。写真の出来上がりが楽しみだ。


 私のふたつ前の順番だったSさん(大のドラえもんファン、女性)は、「ドラえもんの声で私の名前を呼んでください」と思い切って頼んでみたという。大山さんは快諾。あのドラえもんの声で「●●ちゃ〜ん」と呼ばれたSさんは、「一生の思い出になった」と大感激だった。



 サイン会のあとは、その場に集まった藤子ファン仲間と連れ立って居酒屋へ。私は2日連続の居酒屋行きとなった。京都在住のひろべえさんは、残念ながらこの時点でお別れとなった。
 大山さんのサイン会に来られず飲み会だけに参加した藤子ファン仲間のNさんは、翌日、自作のマンガ原稿を出版社に見せに行く(いわゆる持込み)予定ということで、その持込み用作品を我々に読ませてくれた。シュールでナンセンスな笑いを基調とした独特の作風で、笑いの内にどこかしら狂気が宿っているような印象のマンガであった。みんなでワイワイ感想を述べたり、その場にプロのイラストレーターさんがいらしたのでその人から的確なアドバイスがあったりして、Nさんは大きな勇気を得たようだ。Nさんが持込みをするのは、集英社週刊少年ジャンプ」編集部と、小学館「月刊IKKI」編集部。Nさんが編集者からどんな言葉をもらったのか気になるところだ。
 居酒屋を出、皆と別れた私は、夜11時50分新宿発の夜行バスで帰途についた。


 東京旅行でお会いした皆さん、どうもお世話になりました。またお会いしましょう!



大山のぶ代さんサイン会の会場で行なわれたインタビュー会見の模様を報じる記事
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060612-00000088-nks-ent (日刊スポーツ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060612-00000047-sph-ent (スポーツ報知)