コロコロ文庫『みきおとミキオ』発売

koikesan2006-09-15

 小学館コロコロ文庫『みきおとミキオ』が発売された。
みきおとミキオ』の単行本は、これまでてんとう虫コミックス小学館)と藤子不二雄ランド中央公論社)から各1巻ずつで出ていたが、どちらも絶版・品切れ状態となっている。それがこのたびコロコロ文庫となって巷に流通することになり、本作を未読の人に新たに読まれる機会が広がったので、その点で大いに望ましいことだと思う。


 1974年の日本に住むみきおと、2074年の日本に住むミキオは、瓜二つ。2人はタイムトンネルを行き来することで時々入れ替わり、みきおにとっては100年後の未来を、ミキオにとっては100年前の過去を、それぞれに体験する。『みきおとミキオ』は、その100年の歳月のギャップから、様々な面白さを抽出してみせてくれる作品だ。
 100年後の未来を疑似体験する面白さ、100年後から現代(といっても1974年だが)を見る視点の面白さ、瓜二つの人物が入れ替わる面白さ…『みきおはミキオ』はそんな面白さに満ちたSFギャグマンガなのだ。
 作中で描かれた未来は、科学が進歩して人々が便利に暮らす明るい世界だ。しかし、ただ手放しで未来を礼賛するのではなく、便利な世になったことで失われたものへの眼差しも忘れない。現代の人々が100年後の未来に憧れるように、未来の人々が100年前の過去にロマンを抱く様子もバランスよく描写している。100年という時間の経過によって隔たった常識や価値観のズレ具合を、笑いで包みながら示してくれてもいる。
みきおとミキオ』で描かれた未来は、現代社会もそうであるように、利点も欠点も抱えているが、それでも今より少しだけ楽しそうな世界に見える。人類はいろいろ間違えながらも緩やかに少しずつ進歩していってるんだなあと、未来へのほのかな希望がわいてくる。そして、今の世に当たり前にあるものが未来では失われ貴重になっているという場面から、当たり前の今を見直す視点も獲得できる。




みきおとミキオ』をすでに単行本で読んだ者にとって大きな関心事は、やはり未収録作品が収録されるか否かであっただろう。
 既成の単行本であるてんとう虫コミックス藤子不二雄ランドの収録作品はまったく同じ(18話収録)で、これらの単行本に未収録の作品は全部で4話あった。この4話のうちの何話かがコロコロ文庫に収録されるとの情報が事前にあって、いったいどの作品が収録されるのか、というのが今回の注目点だった。



 結果として、単行本未収録4話のうち1話のみが収録された。「ひみつのタイムトンネル」である。「小学四年生」1974年10月号で発表された作品だ。その他3つの未収録作品については、巻末でダイジェスト紹介されている。ポンチが喋れるようになるエピソード(「小学五年生」1974年11月号)は、収録作品を順番に読んでいくうえでの整合性を確保するためにもぜひ収録してほしかったが、なぜか漏れてしまった。
 ダイジェスト版で使われた図版のかすれ具合などを見る限りでは、これらの図版を初出雑誌から復刻しているようなので、いまだ未収録の3話に関しては原稿が紛失しているのかもしれない。たとえそうであっても、初出誌からの復刻であることを断って収録してくれたほうがよかった、と個人的には思う。それもできないほど、初出誌の紙やインクの状態が悪いのだろうか。



 初出時は連載後期に発表された「プレゼントはどちらに」(「小学五年生」1975年2月号)が、既成単行本では前半に収録されており、そのためポンチが喋ったり喋れなかったりの順序に矛盾が生じていたが、コロコロ文庫はこの作品をちゃんと後半に配置することで矛盾を解消している。


みきおとミキオ』初出データ
「小学四年生」1974年5月号〜1975年3月号
「小学五年生」1974年5月号〜1975年3月号