米沢嘉博さん死去

koikesan2006-10-01

 マンガ評論家の米沢嘉博さんが亡くなった。
 米沢さんは、マンガ評論や蒐集、コミックマーケットなどマンガ文化の発展に多大な貢献をしてきた人物だが、藤子ファン目線で見れば、二人で一人の藤子不二雄を本格的に論じた『藤子不二雄論 FとAの方程式』(2002年/河出書房新社)の著者として重要な人物であり、様々な機会に藤子マンガについて言及してくれた貴重な評論家だった。ブームとか子どもの人気者といった観点でしか論じられなかった藤子不二雄を“作家”として見据え、その藤子不二雄が生み出した藤子マンガを“作品”としてとらえ、世間に向かってきちんと語ってくれた数少ない人だっただけに、米沢さんの早すぎる死は、藤子研究のこれまでとこれからにおいて大きな損失になるだろう。



 2002年10月、横浜で開催された第5回アジアMANGAサミットの会場で米沢さんの姿をお見かけし、声をかけたさいは、気さくに会話をしてくださった。私が自分の年齢を伝えると、「ドラえもん直撃世代だねえ」と反応された。米沢さんは、『海の王子』をリアルタイムで読んだ世代なのである。このときは『藤子不二雄論 FとAの方程式』が第26回日本児童文学学会賞をとったという話もなさっていた。米沢さんが編者を務めた本にサインまでしていただいた。



 53歳という若さを思うと残念でならない。
 ご冥福をお祈りします。


マンガ評論家の米沢嘉博さん死去 コミケ代表長く務める 2006年10月01日


 マンガ評論家でコミックマーケットコミケ)準備会代表を長く務めた米沢嘉博(よねざわ・よしひろ)さんが1日午前4時40分、肺がんのため死去した。53歳だった。通夜は6日午後6時、葬儀は7日午後1時30分から東京都港区元麻布1の6の21の麻布山善福寺で。喪主は妻英子(えいこ)さん。連絡先は東京都世田谷区代沢5の8の11の102のコミケット


 熊本生まれ。明治大在学中に評論活動を始め、80年から同人誌の展示即売会コミケ準備会代表。手塚治虫文化賞の選考委員も務めた。著書に「戦後少女マンガ史」「戦後SFマンガ史」など。「阿島俊」の筆名でも著書多数。7月に入院、9月30日にコミケ代表の退任が発表されたばかりだった。


 http://www.asahi.com/obituaries/update/1001/001.html