瀬名秀明さんが語る106年後

koikesan2006-10-03

 5日前の9月28日(木)、NHK教育の「視点・論点」という10分程度の番組で、作家の瀬名秀明さんが「100年後の人とロボットの共存社会」をテーマに持論を展開していた。瀬名さんはエッセイやインタビューなどで藤子マンガに言及することがしばしばあるので、その言行が気になる著名人の一人となっている。
 近ごろは、瀬名さんの著作にロボットをテーマにした小説やノンフィクションが目立つ。理系出身の学者でもある瀬名さんは、ロボットの専門家といってよいレベルに達しているようだ。



 同番組で瀬名さんは、鉄腕アトムの誕生日が2003年4月7日、ドラえもんの誕生日が2112年9月3日であることを話の入口にし、これから100年のあいだに人とロボットの共存社会がどのような段階で実現していくのか、そうした共存社会がどのような在り方をすればよいのか、といったことを短い時間で簡潔に語っていった。
 瀬名さんは、人とロボットの共存社会に対しておおむね肯定的・希望的な見解を示していたが、その肯定や希望が、個人的な思惑や情緒によってのみ語られるのではなく、科学者としての深い知見や冷徹なものの見方、作家としての想像力や表現力に裏打ちされた言葉で語られたところに聞き応えを感じた。
 現在のロボットをめぐる状況と106年後のドラえもん誕生にあいだに横たわる深い断絶を乗り越えていくヒントが、そんな瀬名さんの言葉にちりばめられていたような気がする。



 瀬名さんは、こんなふうなことを言っていた。(瀬名さんの発言は全て私の要約です)


「100年後の世界の話といえば、多くの人は自分には無関係のことのように感じるでしょう。でも、今年生まれた赤ちゃんは、高度な医療の発達の恩恵で、普通に100歳を超えて生きられるようになるでしょう。驚くかもしれませんが、今年生まれた子は、106年後のドラえもん誕生に間に合うんです!」
 いま私と同時代に生きている人のなかに、ドラえもん誕生まで生き続けられる人がいる、という視点は、単純だけれど力強い説得力をともなって現在と106年後の未来を地続きに感じさせてくれる。


「人とロボットが共存していくは、人にとって心地よい社会であるとともに、ロボットにとっても心地よい社会でなければなりません。そのためには健常者が障害者と付き合っていくときのように、人の側から、ロボットにとっての普通、ロボットにとっての常識とは何かに心を配り、新たな普通・新たな常識を創っていくことが大切でしょう。そんな普通への気付きが人とロボットの共存社会を実現させていくのです」
 同じ人間同士であっても、肌の色の違いや、思想信条の違い、民族や出自の違い、能力や財力の違いなど、様々な差異を克服できずにいて、“新たな普通”“新たな常識”を創出できる次元ではない現状を思えば、人間ではないのに人間的な知性や意志を有したロボットなる存在と心地よく共存できる社会など、そう簡単に実現するものではないだろう。
 そんなことを言うと、私が瀬名さんより悲観的で懐疑的な立場にあるようだが、べつに未来に絶望しているわけでも人間を信じていないわけでもなく、瀬名さんほどには未来について深く思索していないし真摯に勉強していないので、肯定的な未来を確信できるまでの知的根拠を持てないだけなのだ。しかし、瀬名さんが思い描く未来は、私がそうあってほしいと願う未来と重なり合う部分が多く、ベクトルとしては同じ方向を向いていると感じるのである。
 今より少しマシな明日を信じる心を忘れたくはないし、そういう方向へわずかながらでも歩んでいけるよう意識していきたいとは思っている。


アンドロイドサイボーグ技術は、人間の肉体の不足した部分を補佐し、人間の能力を拡張させるものです。脳とコンピュータを直結させてしまったら… アンドロイドサイボーグは、超人思想にもつながっていくものです。アンドロイドサイボーグ技術に否定的な人は、頭で思っただけでミサイルのボタンを押してしまえる恐怖、体を動かせない人でも世界を破滅させることができてしまう恐怖、を訴えます。でも、私はこう返答したいのです。なるほど、しかし、体を動かせない人でも世界を救うことができるようになるのだ、と」
「軍事ロボットの開発を抑えることは、残念ながらできないかもしれません。しかし、人間には気遣ったりためらったりする心があります」

 こうした発言を聞くと、瀬名さんは、長期的なスパンで人間の理性や良心を信じているんだなあ、と感じる。そうした前向きな人間観や未来観が、素朴な楽天性や空疎な理想論ではなく、藤子作品に親しんだ少年時代の原体験と、現在に至るまでに得た膨大な知識、そして丁寧かつ継続的に重ねられた深い思索から導き出されたものであることに、私は適度な信頼を置いている。私も、最終的には人間の叡智を信じる側でいたいのである。


“100年”という尺度で物事を考えたり洞察したりする瀬名さんのパースペクティブは、藤子マンガ(この場合は特にF作品)を少年時代から読み込んだことによって育まれたものではないかなあと、藤子ファンである私の我田引水だと自覚しながらも、そう思ったりするのだった。



 ちなみに、瀬名さんの小説のうち、「人とロボット」を題材にした作品としては、こんなものがある。

●『ハル』(2005年/文春文庫/『あしたのロボット』を改題)
現在からそう遠くない近未来を舞台に、ロボットと人間のかかわりを書いている。『ハル』『夏のロボット』『見護るものたち』『亜希への扉』『アトムの子』を収録。


●『デカルトの密室』(2005年/新潮社)
歯ごたえのある長編です。人工生命や自由意志をテーマに、デカルトの哲学を探究しつつ、ロボットに心はあるのか、人間でないものと人間とを分ける人間らしさとは何かに迫っている。


●『第九の日』(2006年/光文社)
デカルトの密室』のサブストーリー的な中編小説を4編収録。『メンチェルのチェスプレイヤー』『モノー博士の島』『第九の日』『決闘』。「恋愛科学小説」と銘打たれている。




※瀬名さんの藤子ファン歴については、当ブログでとりあげたことがあるので、お時間があるかたはご覧ください。
●「瀬名秀明さんは藤子ファン」
 http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20041005

※瀬名さんの3作目の長編小説『八月の博物館』に出てくる藤子ネタを紹介したこともあります。
●「瀬名秀明『八月の博物館』と藤子不二雄
 http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20051108

『八月の博物館』は、角川文庫から出ていたが、それが絶版となり、つい最近、新潮文庫から新版が出た。多少内容に修正が入っているようだ。