『謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影』

『謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影』という本が出版された。著者の中野晴行さんがこの本を執筆中だと知って以来、発売されるのを心待ちにしていた。それが先週末くらいに、ついに発売になったのだ。私は、26日(月)に書店で購入し、その翌日27日までに読み終えた。

謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影

謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影

 この本は、酒井七馬という人物の評伝である。
 酒井七馬… 私がこの人物の名を初めて知ったのは、小学生時代、藤子A先生の『まんが道』を読んだときである。満賀道雄才野茂が1ページめを開いて激しい衝撃を受けた『新宝島』(正しくは『新寶島』)。その単行本の表紙に「酒井七馬」の名が記されていたのだ。『新宝島』の作者というと、どうしても「手塚治虫」の印象が強いのだが、この作品は、原作・構成が酒井七馬で、作画が手塚治虫なのであった。

 藤子A先生は『新宝島』に出会ったときの衝撃をこのように書いている。

この本を手にしたことによって、僕の運命は決まったのだ。本文のページをめくって、僕は目のくらむような衝撃を感じた。(略)そうだ、これは映画だ。紙に描かれた映画だ。いや! まてよ。やっぱりこれは映画じゃない。それじゃ、いったいこれはナンダ!?
藤子不二雄著『二人で少年漫画ばかり描いてきた』1977年・毎日新聞社

そして、藤子・F先生はこう書いている。

孫子くんが興奮気味に、ぼくの家へかけこんできました。間借り先のいとこの小学生が買って来た漫画が、あまり面白いので早速見せに来たというのです。(略)改めてページをめくります。(略)要するにその時からぼくらは手塚中毒になったのです。
手塚治虫著『地帝国の怪人』の解説・平成6年・角川書店

新宝島』は、藤子不二雄だけでなく、石ノ森章太郎赤塚不二夫楳図かずお永島慎二などなど、のちに漫画家となる多くの少年達に鮮烈な衝撃を与えたのだった。



 さらにまた『新宝島』は「マンガに初めて映画的手法を導入した革新的な作品」「戦後ストーリーマンガの起源」といった「神話」で語り継がれ、日本マンガ史を画期する革命的な作品として位置づけられてきた。近年の研究・検証によって、そうした様々な『新宝島』神話の脱神話化が進んでいて、それは日本のマンガ史を正しく把握しマンガ研究を深化・進展させることに寄与しているが、それでいて『新宝島』をめぐる神話は根強い力でもって信仰され続けてもいる。


 いずれにせよ、日本マンガの歴史において極めて重要な作品であり、様々な伝説で語られてきたのが『新宝島』という作品なのである。
 そんな『新宝島』の原作者でありながら、酒井七馬という人物には謎に包まれた部分が多く、謎に包まれているだけに誤解も多く、私もこの人物については多くを知らなかった。
『謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影』は、膨大な資料と根気強い取材で酒井七馬の実像に迫った渾身の評伝で、この本で初めて知ることのできる事実がたくさんある。とくに、酒井七馬の甥にあたる酒井隆道氏への取材をとおして、様々な新証言が浮かび上がっている。
 藤子関連では、酒井七馬がモノクロ時代のアニメ『オバケのQ太郎』で絵コンテを担当していた、という話が出てくる。


 私がとりわけ興奮しながら読み進めたのは、『新宝島』執筆時の酒井七馬手塚治虫の役割関係をめぐる記述である。手塚は酒井という指導者を得たことで、それまでの習作から各段に絵を進化させたとか、単なる師弟関係ではない二人の間の緊張関係がそれぞれの力を超えた作品を生み出した、というくだりでハッとさせられたし、 『オヤヂの宝島』と『新宝島』の相関関係についての考察も興味深かった。
 いま『新宝島』を読みたいと思っても、手塚先生が全面的に描き改めた手塚治虫漫画全集講談社)版しかなく、これは藤子先生らが衝撃を受けた『新宝島』とは別物といってよい。『酒井七馬伝』でもとりあげられた、昭和43年刊行の『ジュンマンガ』(文進堂)でトレース復刻されたのが、『新宝島』の全体を拝める最後の機会だったのではないか。
 オリジナルの『新宝島』復刻は今後ないのだろうか。これほど重要な作品が読めないというのは問題だろう。



※『謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影』の出版が、いかに重大事であるかは、漫画史研究者の宮本大人さんがブログで書かれています。
http://d.hatena.ne.jp/hrhtm1970/20070224