藤子先生にとっての『来るべき世界』

 先月16日(日)江東区の森下文化センターで開催された講座【SFマンガの魅力 第1回「手塚治虫のSF作品」】で、私は川口貴弘さんとともに司会・質問役をつとめさせていただきました。
 この講座で中心的に取り上げた手塚SFは、初期の傑作『来るべき世界』(1951年発表)でした。
 
 ・小学館クリエティブから刊行された『来るべき世界』の復刻本


『来るべき世界』は、構想段階の原題が『ノア』でした。最終的な題は『来るべき世界』になったものの、この作品の劇中では聖書の「ノアの箱舟」を彷彿とさせるエピソードがしっかり描かれています。人類を超えた進化生物フウムーンが地球上のいろいろな動物たち(選ばれた地球人たちを含む)を空飛ぶ円盤に乗せて、もうじき滅亡を迎えそうな地球から宇宙へ飛び立っていくのです。(最終的には、地球は滅亡を免れるのですが…)

 
 ノアの箱舟といえば、藤子・F・不二雄先生のSFギャグマンガモジャ公』の一編「地球最後の日」も、ノアの箱舟伝説がモチーフになっています。そのうえこの話は、手塚先生の『来るべき世界』の一節「地球最后の日」のオマージュでもあるように思えます。地球外から接近してくる恐ろしい天体現象の影響で人類に滅亡の危機が迫るなか、脱出用の宇宙船に乗って助かりたい人々の心理につけこんだ悪人が金儲けを企てるところなんて、とくに『モジャ公』「地球最後の日」と『来るべき世界』「地球最后の日」の共通性を感じます。
『来るべき世界』の「地球最后の日」に登場する悪人アセチレン・ランプは、銭ゲバ的な性格でありながらも、お金を払った人をとりあえず宇宙船に乗せてやるつもりでした。それに対し、『モジャ公』の「地球最後の日」に出てくるノア教教祖は、そんなつもりなどさらさらないどころか、地球が滅亡の危機に瀕しているという情報自体がそもそもペテンであって、壮大かつ巧妙なカラクリで詐欺的金儲けを企てます。その意味で、アセチレン・ランプとノア教教祖では、悪の質が異なっています。



『来るべき世界』は、デビュー前の二人の藤子先生に多大な影響をおよぼした作品です。藤子不二雄Ⓐ先生の自伝的マンガ『まんが道』立志編の冒頭エピソードは、主人公の満賀道雄才野茂が宝塚の手塚治虫邸を訪問するというものですが、その手塚邸で二人が見せてもらった作品が、ほかならぬ『来るべき世界』の生原稿でした。
『来るべき世界』は前後編合わせても400ページのはずなのに、そこで二人が手にした生原稿は全部で1000ページもありました。手塚先生は、400ページの作品のために1000ページも原稿を描いて、600ページをバッサリと削っていたのです。人気絶頂の手塚先生が作品に賭ける恐るべき執念に衝撃と感動をおぼえた二人は、手塚先生とゆっくりお話をする前に手塚邸を出ました。カッカと興奮してきて、少しでも早く高岡へ帰ってマンガを描いて描いて描きまくりたい、と思ったのです。
(『まんが道』の作中で『来るべき世界』は前後編合わせて400ページとありますが、現実の『来るべき世界』はおよそ300ページの作品です)


 手塚先生は、『来るべき世界』の構想段階でそのアイデアの一部を当時高校生だった藤子先生に手紙で伝えているようです。その手紙の下書きが残っていて、公開されています。

“ノア”はオリジナルなものですが、この程話題に上っている水爆や、原子力管理問題、Cold warなどをちょっとひねくらせた
 それに私流のオポチュニズムを加えた奇奇怪怪の作品です。
(米国を“Morpho共和国”ソ連を“Urania連邦”と仮に名づけましたが、Morphoの方は矢張物質万能、キャピタリズムの総本山、Uraniaの方はマルキシズム(?)の元締で この二大国の対立から端を発します。)

 手塚先生からこのような手紙をもらってしまった藤子先生の興奮は、いかばかりだったことでしょう!尋常でないくらいすさまじいものだったにちがいありません。
 手塚先生が仮に「Morpho共和国/Urania連邦」と名付けた国は、じっさいの『来るべき世界』においては「スター国/ウラン連邦」という国名になっています。

 そうして1951年、『来るべき世界』が刊行。それを読んだ藤子先生は深く感銘し、絶大な影響を受けることになります。
『来るべき世界』が藤子先生に与えた影響の大きさがうかがえる事例として、こんなものがあります。「SFファンタジア6」(学習研究社、1979年)の「昭和20年代の手塚作品に今なお執着」という記事で、F先生がこう書いておられるのです。

この『来るべき世界』が私(正確には私達)にとって、マンガ道にのめりこませる決定打となった。『新宝島』以来、徐じょに姿勢を傾けつつあった私の背中を、いわばドーンと突き飛ばしたようなものだ。

 手塚マンガの影響で次第に漫画家への道へ傾斜していった藤子先生の背中を最終的に強く押してくれたのが『来るべき世界』だった、というわけです。

 他の資料によれば、『来るべき世界』を読んだ高校時代の藤子先生はその一場面をミニチュアセットで立体再現し、それを写真に撮って手塚先生に送ったことがあるそうです。
 
 そして、藤子先生が足塚不二雄のペンネームで発表した描きおろし作品『UTOPIA 最後の世界大戦』(1953年)は、『来るべき世界』の影響が非常に色濃く出ています。あるTV番組で『UTOPIA…』執筆のさい触発されたり刺激を受けたものは?と質問されたF先生は、まず『来るべき世界』を挙げておられました。破滅テーマを初めて読んで非常に刺激を受けた…とのことです。(ハックスリーの小説『すばらしい新世界』やドイツ映画『メトロポリス』をヒントにした、ともおっしゃいました)
『来るべき世界』の初版単行本は不二書房から「前編」「宇宙大暗黒編」の2冊にわけて刊行されました。1冊目の「前編」は1951年1月20日発行、2冊目の「宇宙大暗黒編」は1951年2月10日発行ですから、藤子先生が『来るべき世界』を読んだのもそのころだった…と推測できます。
 1951年の初頭ごろに読んだと思われる『来るべき世界』に刺激されて描かれた『UTOPIA…』。その初版単行本(鶴書房)は1953年8月10日発行ですから、『UTOPIA…』は藤子先生が『来るべき世界』を読んでからおよそ2年半後に世に出たことになります。
 そうではあるのですが、藤子先生が『UTOPIA…』を構想しだしたのは『来るべき世界』を読んだ感動がまさに熱している只中のことでした。Ⓐ先生が書いた当時の日記にこういう記述があるのです。

F氏は昨日読んだ「世界名作縮刷全集」の中に面白いのがあったという。F氏の読んだのは縮刷だから、わずか二ページのものだが、これをふくらますとユニークな未来漫画が描けそう。二人とも俄然意欲がわいてきて、今までの五本は没にして、この『UTOPIA』をやることに決定。その草案をそれぞれ書いてみることにする。

『UTOPIA…』の構想が誕生した瞬間がそこに書きとめられています。
 この日記の日付が1951年4月18日なのです。
 先述のとおり、手塚先生の『来るべき世界』は「前編」が1951年1月20日発行、2冊目が「宇宙大暗黒編」は1951年2月10日発行ですから、藤子先生が『来るべき世界』を初めて読んでから程なくして『UTOPIA…』の構想が誕生していることがうかがえます。『来るべき世界』を読んで受けた感動や衝撃をすぐにでも自分らの創作に注ぎ込みたい!という、当時の藤子先生のパッションが伝わってきます。