芥川龍之介没後80年と藤子不二雄

 この7月24日で、芥川龍之介が亡くなってから80年になる。
 芥川は、1927年、35歳のとき、「ぼんやりした不安」を理由に服毒自殺した。2年ほどのあいだ自分の死について考え続け、美的見地から自殺の手段に薬品を選んだという。


 芥川龍之介は言わずと知れた短編小説の名手で、短い生涯のなかで数々の名編を残した。なかでも私は、『トロッコ』という作品が好きだ。推敲魔で凝り性の芥川には珍しく、一晩で書き上げた作品らしい。
 芥川の『トロッコ』と藤子F先生の『ドラえもん』「家がだんだん遠くなる」の2作品から共通の感情が読みとれるといったことを、以前このブログで書いたことがあるが、芥川没後80年のこの機会に、改めてそのことを記しておきたいと思う。


『トロッコ』の主人公の良平(8歳)は、思いがけず自分の家から遠い土地へ来てしまい、ひとりで歩いて帰るはめになる。そのときの良平の不安な心情を、芥川は次のように描写している。

良平は一瞬間呆気にとられた。もうかれこれ暗くなる事、去年の暮母と岩村まで来たが、今日の途はその三四倍ある事、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならない事、――そう云う事が一時にわかったのである。良平は殆ど泣きそうになった。が、泣いても仕方がないと思った。

竹藪の側を駈け抜けると、夕焼けのした日金山(ひがねやま)の空も、もう火照りが消えかかっていた。良平は、愈(いよいよ)気が気でなかった。往きと返りと変るせいか、景色の違うのも不安だった。

「命さえ助かれば――」良平はそう思いながら、辷ってもつまずいても走って行った。やっと遠い夕闇の中に、村外れの工事場が見えた時、良平は一思いに泣きたくなった。しかしその時もべそはかいたが、とうとう泣かずに駈け続けた。

彼の家の門口へ駈けこんだ時、良平はとうとう大声に、わっと泣き出さずにはいられなかった。(中略) 彼は何と云われても泣き立てるより外に仕方がなかった。あの遠い路を駈け通して来た、今までの心細さをふり返ると、いくら大声に泣き続けても、足りない気もちに迫られながら、…………

 小学生やそれ以下の子どもたちは、大人と比べれば日常の生活域・行動範囲が圧倒的に限られている。だから、慣れ親しんだ生活圏からひとりで離れ、見知らぬ土地へ行き着いてしまう事態は、子どもの内面に大きな不安を生むことになる。
 その見知らぬ土地が、大人から見ればたかだか隣町くらいの近い場所だったとしても、子どもは、はるか遠い異世界へ来てしまったかのような特殊な感覚にとらわれる。未知の景色に取り巻かれる不安、自分の知っている両親や友人が近くにいない不安、帰るべき家へ帰れなくなるかもしれない不安… そういった諸々の不安は、自分の存在を根幹からおびやかすくらい深甚な恐怖になりうるだろう。


 それでもまだ良平は、歩いたら歩いた分だけ自分の家に近づいていけたからよかったのだが、「家がだんだん遠くなる」ですて犬ダンゴを食べたのび太は、家へ帰ろうと歩けば歩くほど家から遠ざかってしまい、空腹のあまり犬が食べていた生ゴミまで口にすることになるのだから、良平以上に深刻で過酷な経験をしたことになるだろう。



 あと、芥川の小説では、小学校の道徳の教科書で初めて読んだ『蜘蛛の糸』が思い出深い。この作品の影響で、不意に虫を踏み殺しそうになったとき思いとどまることが多くなったような気がする。「今この虫を助けておけば、お釈迦様に救ってもらえるかも」と打算的な気持ちで虫を救ったこともあったような…(笑)
 芥川が自分の死を覚悟し予感しながら書いたという晩年の作品も強い印象を残す。『河童』『蜃気楼』『或阿呆の一生』『歯車』など、晩年の芥川の作品からは、狂気への不安や病んだ精神がにじみ出ている。
『歯車』は、絶えず回転する半透明の歯車の幻覚が見えてしまう男が主人公で、この男には芥川自身が色濃く投影されているようだ。実際に芥川は歯車が見えることがあったらしい。
 主人公が幻覚にとりつかれるという意味で、藤子A先生のブラックユーモア短編『マグリットの石』や『わが分裂の花咲ける時』との共通性を感じないでもない。芥川作品との直接的な影響関係はないだろうが。



 芥川龍之介藤子不二雄といって他に思いつくのは、少年時代の藤子F先生が父親の書棚をあさって『芥川龍之介集』を読んでいたという事実だ。藤子F先生は、戦中戦後の書物に飢えていた時代、父親の書棚に並んだ本を片っ端から読んでいったという。そのなかで子どもなりに楽しめた本のうちの一冊が、『芥川龍之介集』だったのだ。(参考文献:「週刊文春」1992年1月16日号)
 藤子F先生が芥川の影響をどれほど受けていたか定かではないが、小説とマンガの違いこそあれ、芥川も藤子F先生も短編の名手である。



 藤子先生はプロデビュー前の1950年に、習作として『三人兄弟』という26頁のマンガを描いていたようで、これは芥川の童話にもとづいた作品ということだ。(『三人兄弟』は、『まんが道』「春雷編」で紹介されている。虚実入り混じった『まんが道』という作品の性質上、本当に『三人兄弟』が描かれたのかどうか確証は得られない。『まんが道』で記された『三人兄弟』のあらすじを読む限りでは、藤子先生が1952年に発表した『三人きょうだいとにんげん砲弾』のプロトタイプになった作品と考えられる)



 それから、藤子F先生の『エスパー魔美』「リアリズム殺人事件の巻」で、竜王寺監督が撮影する映画の原作が芥川龍之介の『地獄変』だった。竜王寺監督は、『地獄変』の主人公である絵師・良秀がたどった道と同じように、芸術のリアリズムのため生身の女性を焼き殺そうとする。
 良秀(や竜王寺監督)の芸術至上主義的な姿勢は、芥川にとって理想の芸術家像だったようだが、現実の芥川自身は、芸術のために道徳と決別することはしなかった。