「映画秘宝」に日テレドラ封印の真相に迫る記事が掲載

 雑誌「映画秘宝」9月号(洋泉社)に、安藤健二さんによる隔月連載記事「封印作品の憂鬱」の第2回が掲載されている。前回(7月号)に引き続き、日本テレビ版『ドラえもん』封印の真相に迫ったルポルタージュだ。


 前回の記事で、日テレ版『ドラえもん』のネガフィルムの一部が見つかったという朗報が記されていたが、今回は、いくらフィルムが見つかろうと日テレ版『ドラえもん』が公の場に姿を現すことは当分ないだろうと落胆させられる話が紹介されていた。
 日テレ版『ドラえもん』が封印された背景には、原作者である藤子・F・不二雄先生の意志が強く働いていたいうのだ。そのことを証言したのは、小学館の元専務らしい。


 昭和54年7月、テレ朝版『ドラえもん』の放送がすでに始まっている時代に、富山テレビで日テレ版『ドラえもん』の再放送が行なわれた。その事実を知った藤子F先生は非常に怒って「私が作った原作のイメージとは全然違うし、放送してほしくない」との意向を示し、藤子スタジオ小学館の連名で富山テレビに対し放送差し止めの警告状を送ったという。そのため、富山テレビでの日テレ版『ドラえもん』再放送は、9回という中途半端な回数で打ち切られたのだった。(詳しい経緯は、「映画秘宝」の記事本文でご確認を)



 日テレ版『ドラえもん』は、原作者である藤子F先生の明確な意志で封印されてしまったというわけだ。これでは、たとえフィルムが完全に見つかっても、そう簡単には公の場で放送したり商品化したりすることはできないだろう。フィルムが見つからないから再放送やソフト化ができないというだけなら、フィルムが発見された時点で陽の目を見る可能性もあろうが、原作者がその作品を気に入ってなくて、しかも自らの意志で再放送を止めさせたという事実があるとなれば、再放送やソフト化までの道のりはとてつもなく険しそうだ。しかも、「もうそろそろ日テレドラを表に出してもいいよ」と許可してくれるかもしれない藤子F先生は、もうこの世にいない。「日テレドラを封印したい」という藤子F先生の意志は、先生の死によって永遠に揺るがないものとして固定化されてしまったのだ。
 藤子F先生が日テレ版『ドラえもん』を気に入っていなかったという話は以前からちらほらと聞いていたが、それにしてもF先生がここまで日テレ版『ドラえもん』を苦々しく思っていて、そのうえ再放送差し止めという行動に出たなんて、ちょっと衝撃的と言うか何と言うか、私の心をざわつかせずにはおかない。


 今回の「封印作品の憂鬱」は、なぜ藤子F先生がそこまで日テレ版『ドラえもん』を嫌っていたのか、日テレ版『ドラえもん』はどんな経緯で日本テレビ動画が製作し日本テレビで放送されるに至ったのか、そもそも日本テレビ動画とはいったいどんな会社だったのか、といった事柄についても粘り強く取材し適正な見解を示している。


 記事の最後には、これまでの取材を根底からひっくり返しかねない日テレ版『ドラえもん』にまつわる重大な秘密を知ってしまった、と書かれていて、次回への引きが強い締め方になっている。どうしたってその秘密を知りたくなってくるではないか。



※関連記事:「映画秘宝」7月号に日テレドラ封印の真相を探る記事掲載
http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20070521