「ぞうとおじさん」放送

koikesan2007-08-13

 10日(金)のアニメ『ドラえもん』で夏休み特別企画として「ぞうとおじさん」が放送された。


 原作では、のび郎おじさんが語ったハナ夫の回想話。今回のアニメでは、その話をする役割を、のび太らがたまたま動物園で出会った見知らぬおじさんが担当した。
 普段のび太らが生活している時代を戦後62年経った平成19年現在と見なした場合、戦時中に小学生くらいの年齢だったのび郎おじさんとその兄であるのび太のパパはいったい何歳なんだ?という素朴な疑問がわいてくる。そんな疑問を避けるため、何歳であろうとどうでもよい見知らぬおじさんを登場させたのだろうか。
 ちなみに、原作の「ぞうとおじさん」が発表されたのは「小学三年生」昭和48年8月号においてだった。仮に戦時中ののび郎おじさんとのび太のパパが10歳前後だったとしたら、昭和48年時点での二人の年齢は38歳前後、ということになり、のび太の叔父あるいは父として妥当な年齢となる。
(2005年8月5日に放送された「白ゆりのような女の子」では、原作のとおり“のび太のパパが戦時中に子どもだった”という設定でアニメ化された。その伝でいけば、今回も原作どおりでよかった…、つまり、のび郎おじさんやパパって何歳?というツッコミなど気にすることはなかった、と言えるのだが…)



「ぞうとおじさん」については、以前当ブログでとりあげたことがあるが、このたびテレビで放送されたのを記念して、あらためて言及したいと思う。以前書いたことの繰り返しになる部分も多いけれど、広島原爆忌、長崎原爆忌終戦記念日と続くこの時期に「ぞうとおじさん」について語ることは(たとえ同じことの繰り返しになっても)無意味ではないだろう。


 ご承知のとおり、「ぞうとおじさん」は土家由岐雄氏の童話『かわそうなぞう』の内容をベースに創作されている。
かわいそうなぞう』は、おおよそこんなストーリーだ。

アメリカとの戦争が激化し、東京に爆弾が落とされる状況下、上野動物園で飼育中の猛獣たちが殺害されることになった。空襲で檻が破壊され猛獣が街へ逃げ出したらたいへんなことになる、という理由からだった。ライオン、トラ、ヒョウ、クマなどが次々と毒殺され、ゾウのジョン、トンキー、ワンリーもついに殺されることになった。


飼育員は毒の入った餌を与えるが、ゾウはその餌を鼻で口まで持っていくものの、すぐに拒絶して投げ返してしまう。そのため、なかなか殺すことができない。毒を注射しようにも針が折れてしまって駄目だ。そこで餌や水を与えるのをやめて、ゾウたちが餓死するのを待つことにした。


ゾウたちは人間から餌をもらうため、けなげに芸を披露するが、それも虚しく、ジョン、ワンリー、トンキーの順に餓死していくのだった。

 この童話は、現実に起こった出来事が元になっている。
 上野動物園では実際に昭和18年8月から9月にかけてライオン、トラ、ヒョウ、ホッキョクグマ、インドゾウなど14種27頭の動物が、薬殺、絞殺、撲殺、絶食などの方法で処分されていった。童話で書かれたように、空襲で檻が破壊され動物たちが街へ逃げ出して人を襲うのを防止するためというのが最大の理由だ。食糧事情の悪化も要因のひとつだったらしい。
 名古屋の東山動物園も空襲の危険にさらされており、昭和18年11月、こちらにも軍部から猛獣処分の命令が下される。ヒグマやライオンをはじめ、多くの動物たちが殺されていった。そんななか、4頭いるゾウの命は何とか守りたいという関係者の尽力のおかげで、終戦を迎えた時点で2頭のゾウが生き残った。日本の動物園にいるゾウは、この2頭だけとなった。戦後、名古屋のゾウを全国の子ども達が見に来られるようにと、国鉄が特別に「ぞうれっしゃ」を走らせたという。
 その東山動物園のエピソードも絵本になっている。小出隆司・作/箕田源二郎・絵『ぞうれっしゃがやってきた』(岩崎書店)である。



かわいそうなぞう』は昭和26年に創られた作品なので、藤子F先生はこの話を若い頃に読んでいたのかもしれない。
 この悲劇的な話を読んだ藤子F先生は、同じ題材を使って少しでも救いのある物語に創り変えたいと思ったのではないか。そうした動機で執筆されたのが「ぞうとおじさん」だったと思うのだ。
かわいそうなぞう』では動物園のゾウが3匹とも死んでしまうが、「ぞうとおじさん」では殺される運命にあったゾウの命が救われる。そのうえで、命を救われたゾウが現在もジャングルで生き残っているという新たなエピソードが加えられる。
 ゾウの命を救った…というところで「めでたしめでたし」と話を終わらせず、“おじさんが語る不思議話”というかたちで現在もゾウが元気でいることを教えてくれるのだから、じつに心憎い演出ではないか。
 

 タイムマシンで戦時中の動物園へ行ったのび太ドラえもんは、軍人に向かって「戦争ならだいじょうぶ。もうすぐ終わります」「日本が負けるの」と気軽に言ってのける。このセリフは、のび太ドラえもんが戦争が終わったあとの平和な時代からやってきたからこそ言えるものだろう。
 太平洋戦争の結果がとっくに出ていてそのことを皆が常識として知っている時代、とりあえず平和が維持され言論の自由が確保された時代に生きる二人が、その感覚のまま戦時中に来て不用意な言葉を発してしまった…。そのくだりからは、時間SFならではの面白さが感じられる。
 のび太ドラえもんが発したそのセリフは、戦時中には公然と口にすることがタブーだった類の言葉だろう。のび太ドラえもんは、戦時中の空気感を知らないからこんなセリフを無邪気に発してしまえたわけで、それを思うと、こんなセリフすら公然と発することができない窮屈な時代が再び訪れてほしくない、とあらためて願いたくなる。


「たとえ動物でもお国のためならよろこんで死んでくれるはずだ」と軍人が言う場面でも、立ち止まって考えさせられる。動物園の動物たちの多くは外国産の種なので、日本国のために死ぬ義理はないだろう。(そもそも、動物が人間のために自分の命を犠牲にする義理もない)
 ところが、この時代は「お国のために」というお題目によって、人間や動物の命が犠牲になる事態が正当化されていた。戦後民主主義の空気のなかで生きてきた私がこの軍人のセリフに触れると、「お国のために」という語法に条件反射的な違和感をおぼえる。「お国のために」という言葉が圧倒的かつ絶対的な力を持って人々を呪縛していた時代に抵抗を感じる。
 一方、現在に目を向けると、戦前・戦中とは逆に国を愛する心、滅私奉公の精神、公共心があまりにも失われていることを嘆く声をよく聞く。自分が属する国家・国土へ思いを馳せる気持ちや、公に奉仕しようとする心はあったほうがよいに違いないと私も思う。
 だが、国家や共同体が決めた価値が強圧的に個人に押し付けられる状態、あるいは、共同体が示した価値に個人が過度に依拠せねばならない状態よりは、他者の尊厳や実生活を侵害しない範囲で、個人が自ら価値を選択できたり放棄できたりする状態、共同体の決めた価値に個人が無理に同化する必要のない状態のほうが望ましい、と私は考える。だから、戦後の日本は(様々な問題や矛盾を抱えつつも)大局的に見ればよりマシな方向へ進んでいると感じる。このあたりの考えを精密に書こうとすると長くなるので控えておくが、魔美の言葉を援用すれば、「他人のカニ缶(価値観)を尊重」*1しながら同時に自分の価値観を侵害されない社会を、私はより望ましいものと考えている。



「ぞうとおじさん」は、過去の日本で現実に起こったリアルで悲しい物語に、すこしふしぎな藤子Fテイストをブレンドすることで、エンターテインメントとしての面白味や読後感のよさを獲得している。そうやって面白味を獲得しながらも、“罪のない動物たちを殺さねばならなかった戦争の理不尽さや人間の身勝手さを寓意する”という、元の物語が持っていた本質的な機能は失っていない。

*1:エスパー魔美』「問題はカニ缶!?」より