『ミノタウロスの皿』と『猿の惑星』『ガリヴァー旅行記』『猿婿入り』

 先々月の話になるが、映画猿の惑星(1968年公開)と『続・猿の惑星(1970年)のレンタル落ちビデオが、それぞれ100円で売っていたので購入した。


猿の惑星』は何度観ても面白い。相対性理論ウラシマ効果から始まって、未知なる異世界の冒険、人間と猿の立場の逆転、科学と宗教の相克、痛烈な文明批判などなど、SFの魅力が分かりやすいかたちでふんだんに盛り込まれていて、“センス・オブ・ワンダー”の面白さにどっぷりとひたれる。


猿の惑星』を初めて観たのは、子どものころテレビで放送されたときだった。衝撃的な結末と猿のメイクのリアルさに驚嘆した。世界が裏返るかのような意外性のあるどんでん返しの結末を観たときは、本当にショックだった。
 猿のメイクのリアルさも、子ども心に鮮烈に焼きついた。猿を演じている役者さんたちは着ぐるみをかぶっているはずなのに、その着ぐるみの目や鼻や口が本物の生き物のようにリアルに動くのだから驚きだった。世界のどこかに本当にこういう生き物が生息していて、映画の撮影のため連れてこられたんじゃないかと疑いたくなったくらいだ(笑)
猿の惑星』は、2001年にティム・バートン監督がリメイク(監督に言わせれば、リイマジネーション)されているが、これだけオリジナル版の完成度が高いとなるとリメイクは果敢すぎる挑戦だったのかもしれない…と思えてくる。ティム・バートンは好きな監督なのだが……。


猿の惑星』公開の翌年、藤子・F・不二雄先生が異色短編マンガミノタウロスの皿』を「ビッグコミック」誌に発表している。
ミノタウロスの皿』における“人間と牛の立場の逆転”という発想は、おそらく、『猿の惑星』における“人間と猿の立場の逆転”からインスピレーションを得たところもあるだろう。さらにその発想がギリシア神話の牛頭人身の怪物ミノタウロスのイメージと結びつくことで、『ミノタウロスの皿』の牛型知的生物(ズン類)が藤子F先生の頭のなかに生まれたのではないか。
 加えて言えば、藤子F先生が子どものころ読んだガリヴァー旅行記ジョナサン・スウィフト著)の第四篇「フウイヌム国渡航記」のイメージも、『ミノタウロスの皿』発想のベースにあったことだろう。「フウイヌム国渡航記」で主人公ガリヴァーは道徳観念の発達した理性的な馬(の姿をした種族)が暮らす国を訪れる。そんな『ガリヴァー旅行記』に登場した馬人のイメージが、『ミノタウロスの皿』の牛人のアイデアへと移行していったのではなかろうか。
 われわれが読んできた『ガリヴァー旅行記』は、児童向けにリライトされたバージョンである場合が多いが、著者のスウィフトは児童向けにこの作品を書いたわけではない。だから原著どおりに翻訳されたバージョンを読むと、児童向けのものと比べかなり痛烈で皮肉っぽい印象を受ける。
 すべての旅行を終えて帰国したガリヴァーは妻子すら寄せ付けぬ極度の人間嫌いになってしまうし、作者のスウィフトは孤児同然の生い立ちを背負い晩年は発狂して亡くなっていったという。そういうことを知るだけでも、『ガリヴァー旅行記』の印象は大きく変わりそうだ。


 藤子F先生は、『ガリヴァー旅行記』をさまざまなかたちで自作のヒントやネタに使っている。なかでも最もはっきりと大々的に『ガリヴァー旅行記』を下敷きにし、なおかつメジャーな藤子F作品は、大長編ドラえもん のび太の宇宙小戦争』だろう。『ガリヴァー旅行記』の面白さとは何かを分析したうえでその面白さを再現しようと試みたのが『のび太の宇宙小戦争』である、と藤子F先生は証言している。
 SF短編『超兵器ガ壱號』もはっきりと『ガリヴァー旅行記』を下敷きにした作品だ。
 また、藤子F先生は「少年ブック」1966年9月号で発表した『世界めい作全集』でも『ガリヴァー旅行記』のパロディマンガを描いている。このマンガで描かれたオチは、『超兵器ガ壱號』のオチの原型になっている。
ドラえもん』のひみつ道具ガリバートンネルは、藤子F作品のガリヴァーネタのなかでも最高度に有名なものだろう。
ドラえもん』のガリヴァーネタと言えば、てんとう虫コミックスドラえもん』第36巻所収の一編「めいわくガリバー」なども思い出される。

 ちなみに、藤子F先生(というか2人の藤子先生)が初めて観た「カラー」のアニメ映画が『ガリヴァー旅行記』(とディズニーの〝シリー・シンフォニー〟シリーズ)だったという。

岩波文庫ガリヴァ−旅行記
岩波少年文庫ガリヴァー旅行記』1巻・2巻
フライシャー兄弟のアニメ映画『ガリバー旅行記』のビデオ



ミノタウロスの皿』のヒントとなったであろう先行作品として『猿の惑星』や『ガリヴァー旅行記』に言及してきたが、その流れで藤子F先生のこんな発言を思い出した。藤子F先生が『ミノタウロスの皿』を描くに至った経緯を語った発言である。

当時(1969年)の『ビッグコミック』編集長小西さんが、ひょっこり顔を見せて一本書いてみろというのです。「冗談じゃない。書けるわけがない。ぼくの絵を知ってるでしょ。デビュー以来子どもマンガ一筋。骨の髄までお子さまランチなんだから」 いや、それでいいから書いてみろという。とにかく強引な人なのです。話してるうちにだんだんやれそうな気になってきました。「たとえば、こんな話なんかどうです」と小西さんの話してくれたのが民話です。「猿後家」でしたか。はっきり覚えていないけど、民話特有の残酷な小話でした。「面白そうですね。それ、なんとかやってみましょう」と書いたのが「ミノタウロスの皿」でした。元の話とは全く何のつながりもないけれど、触発されて書いたことは事実です。(『愛蔵版 藤子・F・不二雄SF全短篇』第1巻「まえがき」より。中央公論社・1987年発行)

 藤子F先生は『猿後家』という民話に触発されて『ミノタウロスの皿』を描いたと語っている。
 だが、『猿後家』とは落語の演目の一つであり、その内容を確認してみても藤子F先生の「民話特有の残酷な小話でした」という記憶とは合致しない。藤子F先生が「はっきり覚えていないけど」と断っているように、この件については藤子F先生がちょっと記憶違いをしていたようだ。
 このとき小西編集長が藤子F先生に語って聞かせたのは、『猿後家』という落語ではなく、『猿婿入り』という昔話だったと思われる。『猿婿入り』であれば、「民話特有の残酷な小話」という藤子F先生の記憶とぴったり合致するのだ。


『猿婿入り』は、異類婚姻譚という話型に分類される昔話で、父親が猿と交わした口約束に従って猿のもとに嫁いだ少女の物語である。少女の夫となった猿はとても善良だったが、少女はその善良さにつけこんで計画的に猿を殺害してしまう。
 少女は、猿に重い臼を背負わせて歩き、その途中、川へ突き出したところに咲く桜の枝を取ってきてほしいと頼む。やさしい猿は、少女に言われるまま細い枝までのぼっていくが、臼の重みで枝が折れ、川に転落して溺死する。最愛の妻である少女に騙されて死ぬことになった猿は最後まで善良であり続け、死ぬ間際になっても、一人残される妻を思いやって歌を歌うのだった。それを聴いた少女はあくまでも冷ややかで、「臼は上になれ、猿は下になれ」と言って、猿が川で溺れ死ぬことを願ったのである。


 少女の立場からすれば、猿の死によって猿の嫁の身分から解放されるのでめでたしめでたしだろうが、猿がとことん善良でやさしい性格だったため、この少女の仕打ちに一抹の残酷さや不条理さをおぼえざるをえない。
 藤子F先生は、そんな残酷で不条理な民話に触発されて『ミノタウロスの皿』を生み出したのだろう。 


 『ミノタウロスの皿』については、以下のエントリでも書いております。

 ■『ミノタウロスの皿』から感じたこと
https://koikesan.hatenablog.com/entry/20080306



●藤子情報
・「小学二年生」4月号(小学館)に『ドラえもん』の別冊付録がついている。映画『のび太と緑の巨人伝』にちなんで「さらばキー坊」はじめ全部で4話を収録。そのうちの1話「春風うちわ」は単行本未収録作品(初出:「小学一年生」1978年3月号)。


・「ビッグコミックONE」(ビッグコミックオリジナル増刊4月3日号/小学館)の「神様の伴走者-手塚番-外伝」第14回に藤子不二雄A先生が登場。手塚先生の原稿の手伝いをした経験から手塚番編集者の思い出について語っている。インタビューの終盤はテラさんと最後に会ったときの話で、何度聞いても胸が詰まる。


・4日(火)発売の「ジャンプスクエア」4月号(集英社)に『PARマンの情熱的な日々』第5回掲載。