お盆に読んだマンガ(その1)

 お盆とその前後は、単行本を購入したまま未読状態だったマンガや、途中までしか読めていなかったマンガ、再読してみたいと思っていたマンガをできるだけ読んですごしました。(ふだんからいろいろなマンガを読むのですが、このお盆には、いつもより集中的に多く読めました)
 当ブログのテーマである“藤子不二雄”の話題からちょっと外れる感も強いのですが、ここ10日間ほどで私がどんなマンガを読んだのか備忘の意味も含めて挙げてみます。そのさい、読んだマンガ作品と藤子不二雄とを強引に関連付けるコメントを加えることでお茶を濁したいと思います(笑) 
 今日はその企画?の第1弾です(第2弾まで予定)。


ヤマザキマリテルマエ・ロマエ』現在1巻まで 
 
 マンガ大賞2010などを受賞した『テルマエ・ロマエ』。受賞して話題にならなければ私はたぶん手に取らなかっただろうから、賞がこの作品に出会わせてくれたわけだ。作品が賞を取るということは、作品との出会いを促してくれるということでもあるのだな、ということを改めて実感。
 本作は、古代ローマ現代日本の“風呂”を題材にしたユニークなマンガだが、内容はわかりやすくて面白い。主人公は古代ローマ人の浴場設計技師。彼の大真面目な反応が可笑しい。そして作中で披歴される入浴に関するウンチクが興味深い。古代ローマ人現代日本人が“入浴を喜びとする民”という共通項で時空間を超えて通じ合える面白さを感じた。読後は風呂に入ることがさらに楽しくなりそう。入浴が快楽であることを教えてくれる作品だ。
 作者は、つげ義春のマンガを猛烈に愛読していた頃があって、つげ義春が訪れた鄙びた温泉に羨望を抱いていたそうなので、そういう読書体験がこのユニークな入浴マンガとして結実したのかもしれない。
 私の知人で「きゅーっときた!!」という主人公のセリフが家庭内の流行語になっているという人がいる。私も風呂上がりにビールを飲んで「きゅーっときた!!」と叫んでみたくなった。
 第2巻は9月25日発売予定。連載誌を読んでないので、主人公と妻の関係がどうなるのかも気になる^^


テルマエ・ロマエ』を藤子作品と結び付けて語るなら、私は『ドラえもん』の「ホラふき御先祖」を挙げたい。『テルマエ・ロマエ』は、古代ローマの男が現代日本にタイムスリップして、現代の文化・文明の発達ぶりに驚愕する話であり、「ホラ吹き御先祖」は江戸時代の男が現代日本へ連れてこられ、その発達した文明に驚く話なので、そのへんの構造が共通しているといえそうだ。
ドラえもん』の「二十世紀のおとのさま」も江戸時代の殿様が現代日本に迷い込んでしまう話で、それだけ見ると似た感じだが、この話は殿様が現代文明の発達ぶりに驚くことが主眼ではなく、現代日本では殿様の権力や威光が全く通用しないという状況に眼目を置いている。



沙村広明『シスタージェネレーター』全1巻 
 
無限の住人』の沙村広明の短編集。作品を集めてみたら女の子が主人公のマンガばかりになったので、このタイトルにしたという。
 冒頭に収録された『久誓院家最大のショウ』と最後の『エメラルド』がとくに力作で面白かった。『久誓院家…』は、谷崎潤一郎の小説が好きだという作者が描いたマゾワールド。ラストの一コマの絵が鮮烈だった。『エメラルド』は構成力巧みな西部劇。こうなってこうなってこうなるのかー!と感嘆。
 全8話が収録された『制服は脱げない』は、時事ネタ・社会派ネタを女子高生の会話レベルに落とし込んで漫才風に展開したコメディで、これもなかなかよかった。女子高生が自分らのバンド名を決めるさい、長い名前を!ということで「ピカソのフルネーム」を提案した女の子がいたのだが、それに対し、別の女の子が「ピカソと略されるのがオチ」とツッコミを入れるところなどが私のツボだった。
 沙村広明が描く女性の髪と目と唇の美しさに魅了される。画力が高い。


 沙村広明は、「Quick Japan」vol.38(2001年)のインタビューで、自分のマンガの原体験として手塚治虫高橋留美子とともに藤子不二雄の名を挙げたことがある。
『シスタージェネレーター』に収録された一編『下層戦略 鏡打ち』は、麻雀シーンが数ページにわたって続くという点のみにおいてA先生のブラックユーモア短編『転べばベッタリ◎の上…』や『一本道の男』の印象と重ならないでもない(笑)



楳図かずお『14歳』全20巻(現在入手しやすい文庫版だと全13巻)(再読)
 
 いやあ、この作品はほんとうにパワフルだ。何度読んでも、その壮大なスケールとどこまでも持続するハイテンションと無数の人間・世界が錯綜するカオスに激しく圧倒される。長大なストーリーのなかに、楳図かずお先生の思想と妄想が濃厚に詰まっている。こってりおいしい作品だ。
 現時点では楳図先生最後の連載マンガであり、内容的にも楳図マンガの集大成的な色彩が濃い。楳図先生の代表作の一つ『漂流教室』が人類が滅亡したあとの世界を描いた作品だとすれば、『14歳』は人類が滅亡に至る過程を描いた作品といえる。
 

 頭が鶏で体が人間という外見のチキン・ジョージ博士の造形に改めて感嘆した。決まった主人公のいない群集劇である『14歳』のなかで主人公的な位置づけの一人であり、その存在感は作中で最大級のインパクトを誇っている。
“鶏の頭で人間の体”というビジュアルは、藤子マンガでいうと『ドラえもん』の「変身ビスケット」に出てきた野比家のお客さんを思い出させる。このお客さんは、動物変身ビスケットを食べて顔がいくつかの動物に変身してしまうのだが、その過程で鶏の顔にも変身するのである。「頭にくる!」と言って怒るべきところを「トサカにくる!」と言ってしまうところが好き^^
『14歳』には物語の終盤で知性を持ったゴキブリが登場するが、知性を持ったゴキブリといえば私はF先生の少年SF短編『うちの石炭紀』を想起する。


カサハラテツローRIDEBACK』(ライドバック)』全10巻
 
 近未来、日本では反政府を訴える学生運動が再活発化していた。国連は解体され、世界統治軍が各国の統治を進めるなか、それに反抗する国境なき軍事同盟も暗躍する。世界統治軍から見れば、国境なき軍事同盟はテロ集団だ。いくつもの勢力が対立したり手を組んだり裏でつながったりしながら事態は動いていた。
 学生運動の拠点的な大学の一つに入学した尾形琳は、舞踏の才能を持つ美少女。彼女はたまたま学内でライドバックというロボット型の2輪の乗り物に遭遇し、それに惹かれていく。琳は学生運動に巻き込まれ、彼女がライドバックを操る姿の美しさから“イコン”として崇められていく…
 繊細な描線で表現されたロボットアクションだ。大きな情勢に巻き込まれていく琳やその周囲の人々の姿をこまやかに描いている。読んでいくうちに、琳の運命がどうなっていくのか目が離せなくなる。


 尾形琳は、学生のデモ運動の騒ぎのなかでライドバックを華麗に操り、その姿がメディアに映し出されることで謎のライドバック少女として巷の話題になる。そんなところが、『エスパー魔美』の「未確認飛行物体!?」の最終コマを思い出させる。「未確認飛行物体!?」の最終コマでは、「先日のUFO騒ぎのおり、たまたま「空飛ぶ少女」の姿が撮影されました」と魔美が謎の少女扱いでテレビ報道されている。琳は謎のライドバック少女、魔美は謎の空飛ぶ少女として、正体不明のまま巷で騒がれることになったのである。(この結び付けは、ちょっと強引すぎるかな^^)



いましろたかしデメキング 完結版』全1巻(再読)
 
デメキング』は異色の怪獣マンガ。浦沢直樹は『20世紀少年』を怪獣モノにしようという構想を持っていたのだが、『デメキング』を見て、自分が考えていたことをすでにいましろたかしがやっていたので怪獣モノにしなくてよかった、と思ったという。
 本書は、1999年に刊行された最初の『デメキング』の単行本に、ラスト2ページだけ新たに描き加えて「完結版」としたもの。未完の怪作と言われ続けてきたこの作品に、作者のいましろたかしがようやく片をつけた格好だが、描き加えられたラストよりも、巻末のインタビューのほうが抜群に面白い。いましろが『デメキング』をどんな思いで描いていたかが赤裸々に伝わってくる。
 

 この作品を藤子と結びつけるのは非常に無理があるが、巨大な怪獣(恐竜)の足跡シーンが印象的という意味では、『パーマン』の「怪獣さがし」がちょっとばかり思い出される(笑) それから、『デメキング』では子どもたちが紙に書かれた暗号を解読しながら宝探し的行動をする場面が念入りに描かれており、こういう場面に触れると、『ドラえもん』の「宝さがしごっこセット」や「大ピンチ!スネ夫の答案」などなど種々の宝探しエピソードが思い浮かぶのだった。