画家・梶田達二氏ご逝去

 画家の梶田達二氏がお亡くなりになりました。

梶田達二氏(かじた・たつじ=画家)8日、胃がんのため死去、75歳。自宅は東京都練馬区富士見台2の41の2。通夜は12日午後6時、葬儀・告別式は13日午前10時半、練馬区高野台3の10の3、東高野会館で。喪主は妻、久世(ひさよ)さん。
少年雑誌の挿絵やプラモデルの箱絵などを多数描いた。


MSN産経ニュース 2011.10.9 19:56
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111009/art11100919590002-n1.htm

 梶田達二氏は、主に1960年代の少年雑誌に口絵や表紙絵、挿絵などを描き、その後はプラモデルの箱絵やソノシートのジャケット絵などでも活躍され、近年は洋画を中心に活動されていました。
 藤子先生との関連でいえば、梶田氏と藤子先生は隣同士の部屋に住んでいた時期があります。二人の藤子先生は、1961年にトキワ荘を退出したあと、1963年ごろから下北沢の地に仕事場としてアパートの一室を借りていました。その部屋の隣に、梶田氏が住んでいたのです。
 隣同士とあって、梶田氏と藤子先生は交流もお持ちでした。草野球のチームで試合をしたこともあり、梶田氏の所属するドンキースと、藤子A先生の所属するポロリーズが何度か対戦したそうです。


 私は、2006年に梶田氏にお会いしたことがあり、上記のような事実は、このとき梶田氏ご本人からうかがったものです。
 あのとき気さくにお話をしてくださった梶田氏がお亡くなりになったと思うと、ますます悲しい気持ちが込み上げてきます。

 梶田氏にいただいたサイン色紙は、梶田氏とお話した思い出とともに、これからもずっと大切にさせていただきます。
 
 梶田達二氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。