喫茶シャトレと『ぼくの藤子スタジオ日記』(たかや健二)

 喫茶シャトレに行ったときの写真が出てきました。

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 藤子スタジオが入っていた西新宿の市川ビル。シャトレは、その市川ビルの1階で営業していた喫茶店です。

 藤子・F・不二雄先生が描いた創作秘話マンガ『ドラえもん誕生』の冒頭シーンの舞台が喫茶シャトレですね。

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 『ドラえもん誕生』を収録したてんとう虫コミックスドラえもん』第0巻の122ページで喫茶シャトレが解説されています。

 

 市川ビルは残念ながら2003年に解体されてしまいました。上の写真は解体の1年ほど前に現地を訪ねたときのものです。

 シャトレで夜遅くまで藤子ファン仲間と語り合ってすごしたのを憶えています。

 

 2人の藤子先生のプロダクションだった藤子スタジオは、1987年12月のコンビ解消にともなって藤子不二雄Ⓐ先生が引き継ぎ、藤子F先生は別の建物に引っ越して新たに藤子プロを設立されました。

 藤子Ⓐ先生のプロダクションとなった藤子スタジオはそのまま市川ビル残りましたが、1989年12月に現在の場所へ転居。そして2003年、悲しいことに市川ビルは解体されてしまったのです。

 

 市川ビルは、藤子スタジオが入っていたばかりではなく、藤子先生がトキワ荘の仲間たちとつくったアニメ制作会社スタジオゼロが入っていたビルでもあります。藤子スタジオと同じフロアに、赤塚不二夫先生やつのだじろう先生のプロダクションが同居していた時代もあります。

 その意味で、マンガとアニメ2つのジャンルにまたがる極めて貴重な歴史的文化遺産だったと言えるでしょう。トキワ荘もそうですが、そんな文化遺産が解体されてしまったのは一ファンとしてただただ残念でなりません。むろん、保存するためには、経済的な事情をはじめ難しい問題がいろいろと横たわるでしょうから、解体したことを無責任に批判するわけにはいきませんが、本音を言えば絶対に残してほしい建造物でした。

 

 先述のとおり、スタジオゼロ時代は藤子不二雄先生、赤塚不二夫先生、つのだじろう先生のプロダクション(漫画家としての仕事場)がひとつのフロアに同居していました。藤子Ⓐ先生は当時を回想して、

 「赤塚氏のフジオ・プロが最も騒々しかった。ある日、赤塚氏がフジオ・プロのスタッフとおもちゃの鉄砲を撃ち合って遊びだすと、いつもは物静かな藤本くんが声を荒げて怒った。藤本くんが帰宅したあと、僕も赤塚氏らとルーレットやおもちゃの競馬レースをして遊んだ。毎晩お祭りのようだった」とおっしゃっていました。

 

 

  市川ビルの話題つなりがりになりますが、藤子先生コンビ解消前の藤子スタジオを舞台とした『ぼくの藤子スタジオ日記 完全版』が、本日(7/6)藤子不二雄FCネオ・ユートピアから届きました!

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 たかや健二先生が藤子スタジオに在籍していた時代(1977~86年)の藤子先生やアシスタントさんたちのエピソードを描いた実録マンガです。藤子先生のファンには非常に興味深いことばかりが描かれています。実際に藤子先生のそばにいらっしゃってお仕事を共にされた人物だからこその秘話が満載です。

 同人本ながら、本格的なコミックスの造りに仕上がっているのもいいですね。

 この作品はネオ・ユートピアの会誌などですでに読んでいるのですが、完全版とあって新たな部分もありますし、前に読んだ内容もだいぶおぼろげなので、これを機にじっくり読みたいです。