映画『のび太の新恐竜』感想【その2】「羽毛恐竜キューの生態に思いを馳せる」

 当ブログの前のエントリで、映画『のび太の新恐竜』の感想第1弾として、次のような記事を書きました。

 

 ■映画『のび太の新恐竜』感想【その1】「泣く準備はできていた」

 https://koikesan.hatenablog.com/entry/2020/10/19/204541

 

  私が『のび太の新恐竜』を観て非常に泣けたのはどうしてなのか…という話題でした。

 今回の記事はその続きです。

 

(以下、映画『のび太の新恐竜』の内容に具体的に触れています。ネタバレを避けたい方はご注意を)

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 映画『のび太の新恐竜』に登場したキューへ思い入れが強くて、まだ彼を思い続けたいあまり、今回はキューの生態的な面について考えをめぐらせてみました。

 

 映画『のび太の新恐竜』には、双子の恐竜キューとミューが主要なゲストキャラクターとして登場します。(上の画像の、黄緑色の恐竜がキュー、ピンク色がミューです)

 この映画の魅力の多くは、キューとミューの魅力じゃないか!と言ってしまいたくなるくらい、私はキューとミューに惚れ込んでいます。

 

 『のび太の新恐竜』のストーリーを観れば、「この映画の主人公はのび太とキューだ!」と思えてきます。何人ものキャラクターが登場し、それぞれに存在感を発揮しているなか、とくに中心をつらぬいているのは、のび太とキューの物語だと感じるのです。

 

 そこで、キューというこの恐竜について、私なりに考察というか、感じたこと、考えたことを書こうと思います。

 

 キューは恐竜です。

 では、なんという種類の恐竜なのか?

 

 宇宙完全大百科にも載っていない新種の恐竜でした。

 のび太が発見した新恐竜なのです。

 そんなこともあって、この映画は『のび太の新恐竜』なのです。

 

 のび太はキューとミューに「ノビサウルス」と命名します。

 最終的にどんな学名に決まったのか映画を観るだけではわかりませんが、発見者ののび太を尊重して、ここではキューとミューの種名を「ノビサウルス」と呼びましょう。

 

 ノビサウルスは、後肢で2足歩行し、身体の表面に羽毛がはえています。とくに前肢と尾の羽毛が豊かに見えます。大人になったときの全長は、のび太たちよりは大きそうですが、人間とそんなにサイズが変わらないから大型恐竜ではありません。

 オスであるキューは黄緑色、メスのミューはピンク色をしています。

 

 食性はどうでしょうか。

 ミューはのび太が与えた食べ物を次々と食べていきました。ソーセージ、キャベツ、バナナ、魚の缶詰、みかん、プリン、せんべい……。なんでもパクッと旺盛においしそうに食べるので雑食性のようです。

 ところがキューは、ミューと比べるとかなりの偏食家で、それらの食品のどれも受け付けませんでした。

 のび太が与えてキューが最初に食べたのは、マグロの刺身でした。マグロの刺身は、キューにとってもミューにとっても好物のようです。

 その後、ミューが魚を捕って食べるシーンがありますし、キューも魚を食べていたので、「ノビサウルスは雑食性だが主に魚食である」と解釈できます。

 

 生まれて間もなくして、ミューは飛べるようになります。前肢に豊かな羽毛があるので、それが翼の役割をして滑空できるのです。

 つまり、ノビサウルスは滑空できる羽毛恐竜というわけです。

 「滑空できる」というのは、ノビサウルスの大きな生態的特徴です。

 

 ノビサウルスは本来、白亜紀後期の日本(当時の日本は大陸の一部)に棲息していたようです。映画の後半、白亜紀が舞台となるシークエンスで、キューとミュー以外のノビサウルスが発見されます。野生のノビサウルスです。

 それを見ると、ノビサウルスは群れで生活しています。大陸で暮らしていたようですが、変わり者の弱者として崖のふちまで追いやられ、そこから滑空して島(その正体は巨大化した飼育用ジオラマセット)にわたり、のび太らが発見したときにはその島で巣を形成し、集団で生活していました。

 その島には、たくさんのノビサウルスたちが飛び交っており、ミューはすぐに仲間に入っていきました。

 

 ところが、一方のキューは飛べません。

 のび太の部屋で飼われていたとき、ミューが滑空を始めたのを見てキューも真似して飛ぼうとしました。しかし、すぐにバタンと落下……。

 その後、のび太が滑り台を使ってキューを飛ばす訓練を試みますが、キューはすぐ地面に落下して、一回のトライであきらめてしまいました。

 

 この時点で考えられるのは、

・ノビサウルスは本来飛べない種なのに、ミューだけが飛べる。

 あるいは、

・ノビサウルスは本来飛べる種なのに、キューは飛べない。

 という可能性です。

 

 作中ののび太たちは最初から後者だと思い、その思いを疑いませんでした。そして、この映画内の世界における正解も後者でした。

 ノビサウルスは滑空できる羽毛恐竜なのだけれど、キューだけは、なぜか飛べない個体だったわけです。

 飛べないことが大きなドラマを織りなすことになります。

 

 そして、キューにはミューと比べて顕著な身体的特徴がありました。

 キューは体が小さくて、尾が短いのです。

 キューとミューは同じ種であるどころか、同じ卵から同時に誕生しました。双子です。

 それなのに、はっきりとした差異が見られたのです。

 

 物語が進むと、先述のとおり、白亜紀の世界でノビサウルスの群れが発見されます。ノビサウルスは自在に滑空していました。

 その光景を見たのび太が、仲間のところへ合流するようキューを促すと、キューはノビサウルスの群れへ歩み寄っていきます。

 ところが、ここでショッキングな事件が起きます。

 ノビサウルスのうちの一頭が、近づいてくるキューを睨みつけ、前肢の爪でキューの顔をいきなり引っかいたのです。

 キューは仲間であるはずの群れから、暴力的な形で拒絶されたのです。

 

 キューの「飛べない」という特徴は、ノビサウルスの群れに受け入れられない特徴だったのです。

 成熟した人間社会ならば、「それも一つの個性だよね」「そのままでいいんだよ」とキュー的な存在を包容できるはずですが(差別やいじめの標的になったりするのもまた人間社会ですが…)、ノビサウルスは弱肉強食の野生のなかを生きています。

 飛べないキューは、飛べないままでは仲間に入れてもらえないし、餌を捕るのにも不利だろうし、敵に襲われたとき逃げ遅れるリスクも高い……。そのままではいられない宿命を負っているのです。

 

 ですから、この「キューが引っかかれる」事件を眼前で目撃したのび太は、鬼特訓に走ります。

 特訓するといっても、のび太にはノビサウルスを飛行させるノウハウなどありませんから、その特訓はやみくもなものになりました。

 そんな調子で特訓を続けていると、キューがその場から去ってしまいます。のび太は落ち込み、反省し、その後キューと再会したとき謝罪します。

 のび太は、キューに特訓をほどこすことをやめ、のび太は逆上がり、キューは飛ぶことができるようお互いにがんばろうと約束します。

 これは、結果的に良い方針転換でした。のび太はキューに対して「ミューや他のみんなと腕の動かし方が違う!」などど指導していました。つまり、ミューや他の同種たちをお手本にして滑空せよ!と指導していたのです。

 しかし、キューはその方法では飛べません。キューの身体構造は、羽ばたいて飛ぶのに適しているからです。ミューと同じ飛び方をしていては、いつまでたっても飛べません。のび太の指導を聞いていたら、ずっと飛べないのです。

 

 むろん、のび太はキューがどうしたら飛べるかなんてわかりませんから、他のノビサウルスの飛び方をお手本にしてキューを指導するのはやむをえないことでした。のび太を責められません。のび太は一生懸命だっただけです。

 ですから、のび太がキューを指導するのをやめて、キューと対等の立場で自分は逆上がりができるよう、キューは飛べるよう、お互いにがんばろう!というスタンスに変えたのは、正解だったのです。

 キューは自主的に飛ぶ練習をくりかえし、そのうち腕を上下にバタバタさせる運動を見せるようになって、ついに羽ばたいて飛べるようになります。

 

 そうして、クライマックス!

 キューは自力で羽ばたいて飛べるようになります。

 飛べる寸前のキューのがんばりと、キューが飛んだ瞬間の感動は大きく、私がこの映画で最も泣いたくだりです。

 4回観て、4回とも泣けたのがこのシーンでした。

 

 キュー、ありがとう!