追悼さいとう・たかを先生

 10月5日(火)の「中日新聞」夕刊に辻真先先生が「さいとう・たかをさんの思い出」を寄稿されています。

f:id:koikesan:20211005171100j:plain

 9月24日に亡くなられたさいとう・たかを先生を追悼する文章です。

 辻先生は、「ぼくの知るさいとうさんの一面をご紹介させていただく」として、こんなことを書いています。

 日本放送作家協会の主宰(今は脚本家連盟が主宰になった)で新人養成のためいくつかの作家教室が開かれ、辻先生はマンガの原作教室を担当してよと依頼されました。そこで、時間に追われる人気マンガ家たちを六本木に連れてきて講師をつとめてもらいました。そのとき最も熱心に協力してくれたのが、さいとう先生だったのだそうです。

(辻先生はこのエピソードを披露したさい「藤子・F・不二雄さんも何度もきてくれた」と()内に記しています)

 

 さいとう・たかを先生、亡くなってしまわれたんですよねえ……。

 私がさいとう先生の訃報に初めて触れたのは、9月29日の昼間でした。

 最初の情報ソースはこちらのサイトでした。

 https://bigcomicbros.net/65270/

 すい臓がんのため、84歳で亡くなられた…ということです。

 

 訃報に触れたときは愕然としました。

 ショックと悲しみにみまわれました。 

 夜になって少し落ち着いてきて、さいとう先生を悼んで献杯を捧げました。

f:id:koikesan:20210929191458j:plain

 この日が水曜日だったので、個人的に水曜日によく飲んでいるビール「水曜日のネコ」を献杯のお酒に選びました。

 

 そして、その夜はさいとう先生の熱烈なファンの方や知人らと言葉を交わして先生を偲びました。

 そんな時間をすごすなかで、こんなことを思い出しました。さいとう・たかを先生を生まれて初めて目の前にしたときのことです。

 さいとう先生は椅子に座っておいででした。先生の目の前に立った私はおそるおそる「あ、握手してください」とお願いしました。先生は「おお」と鷹揚に応じてくださって、そのときの気さくさと御手の感触が忘れられません。

 

 また別の機会には、さいとう先生と藤子不二雄Ⓐ先生の談笑シーンを至近距離で拝見するという僥倖に預かったことがあります。私も軽々と会話に加われるくらいの近さでした。

 それだけに、お二人のオーラをダイレクトを浴びて非常にまぶしかったです。

 この日は藤子Ⓐ先生がその場所に来られることを知らなかったので、Ⓐ先生が突然姿を現され、さいとう先生に近づいてこられたときは大きな驚きと感動をおぼえました。豪華なサプライズでした。

f:id:koikesan:20190707184529j:plain

 さいとう先生と藤子Ⓐ先生の談笑シーン(ピンぼけ気味の写真で恐縮ですが)

 

 こんな思い出もあります。

 藤子不二雄Ⓐ先生に「『まんが道』に出てくる激河大介のモデルはさいとう・たかを先生なのですか?」と質問させていただいたことがあります。藤子Ⓐ先生は「あの時代にさいとう・たかを氏と会っていたわけではないけれど、さいとう・たかを氏をイメージしたキャラクターではある」とお答えくださいました。

 激河大介は架空のキャラクターではあるものの、さいとう・たかを先生をイメージソースにして生み出された存在なのでした。

 激河大介といえば、個人的になかなかのご縁がありました。10年ほど前のことです。私は富山の藤子先生ゆかりの地をめぐるNHKのTV番組に出演したのですが、その番組内で激河大介を演じたのです。

f:id:koikesan:20210929213834j:plain

 いや、演じたというほどのものではなく、ただ仰向けに寝ていただけで何もやっていないのすが、共演したビビる大木さんから「激河大介本人じゃないですか」と反応していただけてたいへん光栄でした。

f:id:koikesan:20210929214029j:plain

 番組の画像は、2011年1月28日(金)にNHK総合放送された『まんが道をゆけ!』より。最初は中部ローカルで放送された番組ですが、その後同年2月になってBS-hiで全国放送され、9月にはNHK総合「ろーかる直送便」という枠でついに地上波全国放送が実現しました。

 

 さいとう先生の訃報が流れた翌日の「中日新聞」朝刊では、一面トップの題字の隣が「おれの背後に立つな」でした。

f:id:koikesan:20211005201500j:plain

 

 この日にはコンビニでスポーツ新聞を3紙購入しました。

f:id:koikesan:20210930143909j:plain

 さいとう先生の訃報が大きく報じられています。

 どの見出しも「死なず」が強調されているのが印象的です。訃報なのに「死なず」が躍動しているのが特異な事態だなと。分業による制作システムのおかげでさいとう先生がいなくなっても『ゴルゴ13』を続けられるわけで、そういう体制を確立した先生の偉大さをあらためて感じるとともに、さいとう先生の存在自体の永遠性みたいなものすら感じてしまいました。

 

 2016年に豊橋市美術博物館で開催された「『描く!』マンガ展〜名作を生む画技に迫る―描線・コマ・キャラ〜」では、さいとう・たかを先生のコーナーが設けられていました。

 撮影OKだったので、こんな写真が残っています。

f:id:koikesan:20160519150804j:plain

f:id:koikesan:20160519151032j:plain

f:id:koikesan:20160519150105j:plain

f:id:koikesan:20160519150058j:plain

f:id:koikesan:20160519150654j:plain

 

 さいとう・たかを先生のご冥福を心よりお祈りします。