2月28日はオバQの誕生日

 きのう、2月28日は『オバケのQ太郎』のQちゃんの誕生日でした。

 

 一日遅れとなってしまいましたが、

 Qちゃんおめでとう!

 

 “オバQ”の誕生日に“プラQ”を飲んでお祝いしました😆

 

 

 Qちゃんが生まれた日は、「Qちゃんの七五三」(初出:「週刊少年サンデー」1966年47号)という話のなかでQちゃん自身の口から明らかにされています。

 

 昭和39年2月28日

 

 これがQちゃんの生年月日です。

 昭和39年生まれですから、今年の2月28日は記念すべき60回目の誕生日だったことになります。

 人間の年齢でいえば“還暦”ということになりましょうか。

 

 そんなわけで、今年のQちゃんの誕生日は、じつに大きな節目、じつにおめでたい誕生日だったのです!

 

 

 Qちゃんの誕生日である2月28日は、明日(3月1日)から公開される映画『のび太の地球交響楽』のゲスト声優・芳根京子さん(歌姫ミーナ役)の誕生日でもあるようです。

 芳根さんおめでとうございます!

 

 そして、これまた同じ日に誕生日を迎えた上白石萌音さんがご自分のSNSでこんなことを書いていました。

「ちなみにオバケのQ太郎さまも同じお誕生日だそうで、光栄です。これからわたしのことはモカQと呼んでください(❔)」

 

 モカQ!😆

 お誕生日おめでとうございます!

 

 

 さて、先程もそう呼びましたが、『オバケのQ太郎』は“オバQ”という略称で呼ばれることが非常に多いです。

 “オバQ”は、正式タイトルである『オバケのQ太郎』に準ずる呼び方と言ってもよいでしょう。それほど定着した略称であり愛称です。

 

 この“オバQ”のルーツに関わる話をします。

 『オバケのQ太郎』連載第9回(「週刊少年サンデー」1964年14号)の欄外を見ると、次のような読者の投書コメントが載っています。東京都世田谷区の四年生Kさんによるものです。



オバケのQ太郎』の大ファンだ!! ぼくらの仲間では、“オバQ”とよんで、クラスの人気者だ。

 

 このコメントを読んだ私は、

もしかするとこれが略称“オバQ”の初出の瞬間ではないか!?  “オバQ”表記初の活字化ではないか!?

 と興奮ぎみにそう感じました。

 

 もしそうだとしたら、この投書コメントはある意味歴史的な一行だったと言えなくもありません。

 当時の「週刊少年サンデー」を厳密に調べたわけじゃないので、それ以前に“オバQ”表記が存在しなかったと言い切ることはできませんが、少なくとも“オバQ”が活字化された最初期のサンプルとして貴重だと思うのです。

 

 ちなみに、『オバケのQ太郎』はこの回(連載第9回)でいったん連載を終えるのですが、それから2ヶ月あまり経って「週刊少年サンデー」1964年24号で再スタートし、国民的大ヒット作への道を歩んでいくことになります。

・連載第9回の最終ページ(「週刊少年サンデー」1964年14号より)

 このページの欄外の編集者コメントは「今週から、しばらく、Qちゃんとは、お別れ!! また、あう日までバイバイ!!」となっています。完全な連載終了ではなくまた会えそうなニュアンスが示されています。

 マンガ作品の連載終了にあたって“また会える日まで”的な書き方をするのは一種の常套句でもあるので、ここで完全に連載を終える予定だったのか、それともしばらくして連載を再開する心づもりが少しでもあったのか、どちらとも受け取れそうです。

 

 そうして、現実の歴史では、『オバケのQ太郎』にまた会えることになったのでした。

・連載第10回(連載再開の回)の最初のページ(「週刊少年サンデー」1964年24号より)

 連載の再スタートではありますが、扉には「新連載」と記されていますね。

 再スタートとか復活とかより、新たな連載であるという新鮮さを印象付けようとしている感じでしょうか。

 

 連載がいったん終わってしばらくして再スタートするという、このへんの経緯を『二人で少年漫画ばかり描いてきた』(毎日新聞社、1977年4月5日発行)で藤子不二雄Ⓐ先生がこう記述しています。

 

 予想どおり(?)『オバケのQ太郎』はまったくといっていいほど反響がなかった。七回の予定が一三回にのびたものの、それで打止めになった。

(略)オバQのことは、わるいけどすっかり忘れてしまっていた。

 連載が終って一ヵ月ほどたった頃だろうか、少年サンデーのT編集長がとんできた。

オバQが終ったトタン、読者からハガキが殺到しましてね。〈どうしてオバQを止めたのか! 又はじめてください〉というのばかり。だから、又はじめてください。それにしてもこんなケースははじめて。連載中はなんの反響もなくて、終ったらこんなにドッと反響があるなんて……」

 僕たちは感動した。連載中に反響がなかったのは、あらためてそんな意志表示をする必要がないほどオバQはこどもたちと連帯していたためではないだろうか、と善意に過大解釈して。『オバケのQ太郎』はこうして復活した。

 

 「七回の予定が一三回にのびたものの」との記述がありますが、実際に『オバケのQ太郎』が打ち止めになったのは13回目ではなく9回目のことなので、ここは藤子Ⓐ先生のご記憶違いでしょう。

 そして、藤子Ⓐ先生のこの記述や他のご発言を読む限り、『オバケのQ太郎』の連載が9回で終了した時点では再開の予定や期待はまるでなかったように受け取れます。「オバQのことは、わるいけどすっかり忘れてしまっていた」というくらいですからね。

 藤子先生は『オバケのQ太郎』の連載はここで完全に終わった、と認識していた模様です。

 ところが、前掲のとおり、連載終了回である第9回の最終ページの欄外には「今週から、しばらく、Qちゃんとは、お別れ!! また、あう日までバイバイ!!」との編集者コメントがあり、いったんここで連載終了するもののそのうち再開の可能性があるようなニュアンスが読み取れるのです。

 はたして、実際のところはどちらだったのでしょう。

 

 

 とりあえず、ここでは藤子Ⓐ先生のご発言を尊重しようと思います。

 『オバケのQ太郎』の最初の連載で反響がなかったのは、読者の子どもたちにとって『オバケのQ太郎』がわざわざ「好きだ」「面白い」と伝えるまでもないほど「少年サンデー」に載っていて当たり前の親しみ深い作品だったからだろう、という藤子Ⓐ先生の前向きな解釈は、おそらく本当にそうだったんだろうなと思えます。

 連載が打ち止めになったとたん読者からラブコールの手紙が殺到した、というエピソードは、なんど聞いても感動的です。このラブコールがなければ『オバケのQ太郎』は9回で終わって復活することはなく、したがってその後のオバQブームもなく、『オバケのQ太郎』は知る人ぞ知るだけのマイナーな作品になってしまっていたのです……。

 それを思うと、好きな作品や好きな人物のことを自分の外側に向けて「好きだ」と発信する意志表示行為は、本当に大切だよなと痛感します。

 

 

 と、そんなことを思いながら、Qちゃんの誕生日をすごしたのでした。