9月9日(金)、『わさドラ』第21回放送。
●「ペコペコバッタ」
原作データ
初出「小学四年生」1970年10月号
単行本「てんとう虫コミックス」1巻などに収録
原作について。
悪いことをしたのに反省のない友達に謝ってもらおうと出した「ペコペコバッタ」が町中に広がって、誰も彼もが自分の悪事を競い合うように謝罪しはじめる。そんな状況がだんだんとエスカレートし、ばかばかしいほど大げさになっていく展開がおかしいギャグ作品だ。
人は誰でも程度の差こそあれ数々の悪事をしでかしていて、心のどこかで「悪いことをしてしまった」と罪の意識を持っている… そんな人間の本性を衝いた作品でもあると思う。自分の悪事を反省し謝罪するのは道徳的によいことだし、そうすることが人間関係を円滑に進めることにもなるのだが、すべての人が自分の行なった些細な悪事を過大に反省し謝罪しはじめたら、人間の社会生活は立ち行かなくなってしまう、ということをシュミレーション的に描いた一編としても楽しめそうだ。
そんな原作を、『わさドラ』はどう表現してくれただろうか。
ジャイアンやスネ夫ら4人の友達が道路でサッカーをしていて、スネ夫の蹴ったボールがのび太の顔面に当たる。メガネが割れて怒るのび太に対して、友達4人は責任をなすりつけあい、しまいにはすべてをのび太のせいにしてしまう。この場面を子どものころ読んだ私は、「この4人はなんて卑劣なんだ」と憤り、のび太から事情を聞いたドラえもんが激怒する姿を見て気持ちがすっとした、という記憶がある。
『わさドラ』でも原作と同じように、4人が次々と責任を転嫁していって最後にはのび太のせいにする展開がテンポよく描かれていた。今回は憤りを感じることなく、よくできた場面だと思いながら観ることができた。
「ぼくは学校のグラウンドでやろうと…」と言い訳をする、ぽっちゃりして唇の突き出た少年が、原作のままの姿で登場したのには目を奪われた。これはいい!
鼻の穴に入ったペコペコバッタを外へ出すためコショウをふりかけてくしゃみをさせる、というのは、ばかばかしくて楽しい。『わさドラ』ではドラえもんがわざわざ「普通のコショウ」と宣言してコショウを取り出したので、それがコショウであることを言葉で説明することにもなったし、「普通のコショウ」という言い方がちょっとしたユーモアに感じられた。
ペコペコバッタの力で、スネ夫がおおげさに謝罪しはじめる。『わさドラ』のスネ夫は、「美少年に生まれただけでも罪なのに、おまけにウチはお金持ちだし」などと、自分の恵まれた境遇に罪の意識を感じるのだった。「イヤな反省の仕方だなぁ」とつぶやくのび太に私も共感。
ペコペコバッタが町中にばらまかれ、誰も彼もが「自分が悪い」と謝罪しはじめ、町は一種のパニック状態に。
原作では、おとなしくまじめな優等生のタダシくんが、自分の罪の重さに悩んで首吊り自殺をはかろうとするが、さすがに首吊りの部分はカットされた。同様に、強盗が自分の腹を包丁で切ろうとする場面もカット。
スネ夫の「あと183人にあやまらなくっちゃ」というセリフは、『わさドラ』でも原作どおり「183人」だった。「183人」とは実にたいへんな人数だが、スネ夫ならこのくらいの人に悪さをしているかも、と思わせる絶妙な数字で、そこはかとなくおかしみを感じる。
原作に出てこないしずかちゃんが登場。このしずかちゃんの場面は結構よかった。のび太にあげたクッキーはほとんどママが作ったものだと告白。さらに、形の崩れたクッキーをのび太に渡し、うまくできたものは出木杉にあげたという。のび太にはつらすぎる謝罪となった。のび太にしてみれば、謝罪なんかしてくれなくていいから、事実を隠しておいてもらいたかったところだろう。
そのあとしずかちゃんはタダシくんに「謝ることなくてごめんなさい」と頭を下げる。何も悪いことをしていないということすら謝罪の理由になってしまうところが、事態のエスカレートぶりを物語っている。
原作では、交番の警官が自ら檻に入り、「ベトナム戦争も、光化学スモッグも、物価の値上がりも、みんなぼくの責任です」と懺悔するが、『わさドラ』では、檻に入る描写はなく、「不景気もオゾンホールも」と現在の社会問題を語っている。檻の描写をなくしたのは、交番に檻があるのはおかしい、という理由からだろうか。警官が檻に入るのはよろしくない、という教育的配慮だろうか。原作どおり警官が檻に入ったほうが、このシーンはおもしろくなったと思うのだが。
『わさドラ』オリジナルの、贈収賄をした当事者が罪を告白するシーンは、11日の衆議院選挙を目前にして、いいタイミングのネタだった。
この作品は全体的におもしろく観ることができた。再び観返しても楽しめた。
原作データ
初出「小学六年生」1980年2月号
単行本「てんとう虫コミックス」22巻などに収録
ジャイアンの妹想いな面がたっぷりと描かれた作品。「妹を泣かせる男がいたら、おれが殺してやる!!」なんて、少し怖いけれど、ジャイアンの妹を想う気持ちの深さが集約されたカッコいいセリフだと思う。『わさドラ』では、「おれが殺してやる」が「メッタメタにしてやるからな」に改変されて、カッコよさが半減。
のび太が、「ここんとこ誰かがぼくをつけまわしているんだ。女の子みたい」と告げると、ドラえもんは「ギャハハハ」と爆笑し「きみが女の子につけまわされるなんて、天地がひっくり返ってもありっこない」と断言する。
のび太をつけまわしていたのはジャイ子だと判明し、のび太が「まさかぼくを好きになったとか」と言うと、ドラえもんは「それはない! たとえジャイ子でも絶対にない」ときっぱり。
このように、ドラえもんは2回続けて、のび太が女の子にモテる可能性を徹底的に否定している。ドラえもんはのび太の友達なのに、のび太が女の子にモテる可能性はゼロだと信じて疑わず、そんな身も蓋もない残酷な真実をのび太本人に向かって無遠慮に口にしているのだ。
そんなドラえもんの口振りが妙におもしろく、原作で何度も読んだシーンだが、『わさドラ』でも楽しんで観られた。
この話の最大の見せ場は、ジャイアンがのび太に女心をつかむコーチをする場面だ。ジャイアンがジャイ子になりきり、のび太と寄り添いあって、のび太に愛の告白をさせるシーンには、声を出して笑ってしまった。とくに、ジャイアンがいつのまにかかわいらしいピンク色の花束を手に持っているところがツボだった。
ジャイ子がのび太をつけまわした訳を語る場面は、『わさドラ』オリジナルだ。この場面で、ジャイ子が描いたマンガ『運の悪い男』の原稿が映し出された。そのマンガのタイトルが、最後のドラえもんのセリフ「どこまで運の悪い男なんだろう」にかかっていて、少しハッとした。