新生ドラ大晦日SP「竜宮城の八日間」

 今日は、「新生ドラえもん 初の大晦日3時間スペシャル」(昨年12月31日放送)でアニメ化された「竜宮城の八日間」を観て思ったことを記したい。


●「竜宮城の八日間」

単行本:「てんとう虫コミックス」25巻などに収録
初出:「小学四年生」1980年8月号


【原作】
 有名な昔話『浦島太郎』を題材に、竜宮城は実はムー大陸だったというアイデアをまじえ、藤子・F流に物語化した一作。藤子・F先生の〝不思議話好き〟の源流には、グリム童話アラビアンナイト西遊記などの読書体験があるとF先生自身が述べているが、そういう源流のひとつに日本の昔話も含まれるだろう。
『浦島太郎』は日本の昔話のなかでも最もポピュラーなもののひとつで、古くは『丹後国風土記』や『日本書紀』『万葉集』などで原型的記述が見られ、平安時代以降も説話集や和歌などでたびたびとりあげられてきた。『浦島太郎』として今も伝わる話が整ったのは室町時代の『御伽草子』により、1910年、文部省の国定教科書で採用されてからおよそ40年間教育に用いられてきたことでほぼ統一された型の『浦島太郎』が日本全国に浸透していったという。


 藤子・F先生も『浦島太郎』がお好きだったようで、何度も自作の題材に使っている。たとえば『T・Pぼん』の「浦島太郎即日帰郷」では、『浦島太郎』伝説が生まれた裏にはタイムパトロールの並平凡と安川ユミ子の行動が深くかかわっていたという話を描いているし、「小学四年生」1975年12月号で発表された有名童話のパロディ『世界名作童話』では、浦島太郎が助けたのはカメではなくタコで、そのタコは実は宇宙人で、浦島太郎はカメ型宇宙船に乗ってリューグージョーという星へ行った、という珍説を2ページのショートショートで披露している。
 本作「竜宮城の八日間」は、のび太らいつものメンバーが、夏休みのグループ研究で浦島太郎事件の謎を解こうとタイムマシンで過去の日本へ出かけることが発端となる。そこで本物の浦島太郎に出会い、浦島太郎が海のなかへ連れていかれたので付いて行くと、海底に巨大な都市が広がっていた。その都市は何万年も昔、地上で繁栄した国家だったが、世界中で戦争が絶え間なく起こり、平和を好む王が国全体を海底に沈めさせたという。海底に沈んだその国は、我々の世界とは次元が違って時間がゆっくりと流れている。この国で8日間すごせば、地上世界では800年以上が経過するのである。それが「竜宮城の八日間」で描かれた〝竜宮城〟の正体なのだった。



 万葉集では『浦島太郎』に出てくる竜宮城を〝常世〟と呼んでいる。その常世の国が、藤子・F先生の『大長編ドラえもん のび太の創世日記』に登場する。ただし『のび太の創世日記』における常世の国は、海底ではなく地底にあって、そのことに関して藤子・F先生はこんなことを述べている。

『浦島伝説』なんて民話にしても、地方によって少しずつ違う『浦島伝説』が伝わっているんですけど、中には常世の国が地底にあったとする話もあるわけですよ。で、地底に行ったら長者屋敷があって、金持ちになって帰ってくるとか、数えあげればきりがないくらい、世界中に似たような話があると思うんです。
(「藤子・F・不二雄の異説クラブ」小学館、1989年12月1日初版第1刷発行)


『浦島太郎』ネタに限らず、海底国を舞台とした藤子・F作品はいくつもある。そんな作品のひとつである『大長編ドラえもん のび太の海底鬼岩城』は、「竜宮城の八日間」を原型とした作品とみることができるだろう。
「竜宮城の八日間」ではムー大陸、『のび太の海底鬼岩城』ではムー、アトランチスと、どちらの作品も、よく知られた〝失われた大陸の伝説〟を海底国の正体として採用している。ただし、「竜宮城の八日間」ではムー大陸がもともと地上にあったとしているのに対し、『のび太の海底鬼岩城』ではムーもアトランチスも初めから海底にあったと説明している。
 ほかに海底国を舞台にした藤子・F作品といえば、古くは、『海底人間メバル』(「ぼくら」1955年1月号〜4月号連載/3月号は休載)、『海の王子』(「週刊少年サンデー」1959年4月5日号〜1961年4月2日号/そのほか、読切シリーズや学年誌版がある)などが想起される。
『海底人間メバル』は、昭和30年初頭の藤子不二雄原稿大量落とし(締切りに間に合わない)事件の制裁的措置によって、3回で連載が打ち切られた悲運の作品。最終回の最終ページのハシラに「大ひょうばんだった海底人間メバルはめでたくおわりました。藤子不二雄先生、ありがとうございました」と編集者のコメントが見られるが、この連載が終わった経緯を思うと皮肉っぽい言葉に感じられる。主人公の少年・メバルが暮らす海底国の都は〝アトランチス〟という。
海の王子』は、藤子不二雄最初のヒット作として挙げられることが多く、中央公論社が出した全集「藤子不二雄ランド」の第1回配本に選ばれている。主人公の海の王子は、海底都市・カイン王国の王子で、人類の幸福と平和を侵す悪者たちと戦う正義のヒーローだ。『海の王子』にもアトランチスを舞台にしたエピソードがある。


「竜宮城の八日間」の冒頭で、宇宙飛行士が宇宙旅行から1年ぶりに地球へ帰ると地球はすでに50年の月日が流れていた、というSF映画(作中作)のワンシーンが流れる。それを観たスネ夫が、「物体の運動が光の速さに近づくほど、時間のたち方はおそくなるんだ。相対性理論ていうんだ」「つまりだな。ロケットの中ではゆっくり時間が流れるんだ」「アインシュタインというえらい学者がそういってるんだよ」と説明する。
“亜高速で走行する宇宙船の内部は、外部より時間が遅く進む。宇宙船のなかにいる人は、外部より時間の経ち方が遅くなる分、地球上にいる人よりもその生物的な成長(老化)が遅くなる”というこの理論は、SF用語で〝ウラシマ効果〟ともいう。ウラシマ効果の語源はもちろん『浦島太郎』だ。竜宮城で数日間だけすごした浦島太郎が地上へ戻ってみたら数百年経っていたという話が、宇宙を舞台にしたSF作品で使われる相対性理論のアイデアと通じ合うのだ。藤子・F先生の作品では、SF短編『旅人還る』(「漫画アクション」1981年3月増刊号)などでウラシマ効果という言葉が見られる。





わさドラ
 事前の期待を裏切らず、充分に楽しませてくれた。劇場版ドラを彷彿とさせる作品だった。日常から異世界へ旅立ち、そこで異世界の住人と遭遇、生命の危機ともいえるピンチに見舞われるが、最後には問題が解決して日常へ帰ることができるという物語構成は、劇場版ドラに相通ずるものがある。劇場版は、そうした基本的な物語構成を複雑化したり枝葉を伸ばしたりすることで質・量を増しており、「竜宮城の八日間」はそんな劇場版をコンパクトにした印象だ。


 冒頭、いつもの面々がSF映画を観ている場所が、原作と違って野比家のお茶の間になっていた。冬休みのグループ研究のテーマを決める話し合いの最中に、ついついSF映画に観入ってしまったという感じだった。原作ではその映画を観て涙をこぼしていたしずかちゃんだが、アニメになると、映画に夢中になって話し合いに身を入れない男子たちを注意する役回りに。
 グループ研究のテーマが〝浦島太郎事件の謎を解く〟に決まりそうな雰囲気のとき、ドラえもんが無言のまま後頭部に汗を一筋垂らしていた。ドラえもんは、このテーマに決まれば間違いなくみんなが自分を頼ってくるだろう、と予感していたのだ。


 ジャイアンがこの研究テーマに賛同したのは、竜宮城でおしいものをたくさん食べたいから、という理由からだった。ジャイアンのそんな食いしん坊コメントは、物語の最後までところどころで挿入された。1049年の日本に来てすぐにハンバーグを食べたがったし、海底国からの帰り道でも「ごちそうを包んでもらえばよかった」と、あくまでも旺盛な食欲をアピールしていた。


 のび太のママが、しずかちゃんの胸についた赤いブローチを見て「きれいなブローチね」と声をかける。これはのちの場面でそのブローチがストーリー上意味のある役割を果たすことの前振りになっていた。そのうえ、しずかちゃんがママからもらった物という付加価値がついたため、ブローチの存在感が原作よりもぐんと高まった。


 ママにお使いを頼まれたのび太に、ジャイアンが、オレも母ちゃんにこき使われるんだ、と共感を示した。そんなジャイアンが、のちの場面で銃殺刑に処されようというとき、「母ちゃ〜ん!」と叫んだのが心に響いた。普段は恐ろしくて鬱陶しい母ちゃんだが、いざ最期のときとなれば、いちばん会いたくなるのはやっぱり母ちゃんなのだ。銃殺刑の場面はドラえもんたちの命が危機に瀕する緊迫したムードだったが、そんなとき彼(彼女)らの家族・友だちに対する真の愛情が感じられ、心が暖まる面もあった。


 タイムマシンで1049年の日本へ来たドラえもんたち5人は、そこから今度は海底国へ向かうわけで、この物語で5人は二重に異世界を体験することなる。そして我々視聴者も、現代日本に慣れた目から見れば、実に新鮮で不思議な異世界の風景を擬似的に体験できるのだ。
 とくに、深海に潜ってから海底国に到着するあたりでは、別世界的絶景を堪能することができた。闇に支配された深海や光を発する深海魚に見とれているうちに、次元の変わる境界で抽象的な背景に変わり、それから海底国の都市が広がる。
 海底国の都市は、原作では無機的で近未来的な風景として描かれていたが、アニメではアジアンテイスト溢れる城下町風景になっていて、私が漠然と抱く竜宮城のイメージを、もっと具体的な都市計画に基づいてデザインしたような景観だった。海底国の風景描写は原作を超えていたと思う。


 海底国の門前で海底人の兵士が海底国の存在を地上で公表することを拒んだとき、ジャイアンが「自由と民主主義の時代だぞ」とジャイアンらしからぬ反論をしたのが印象的だった。


 ドラえもんら5人が海底国で捕われてからの話がうまく膨らまされ、海底人が浦島太郎をもてなすショーや、5人の刑を決める会議の様子、5人が写った写真を現像する場面などがきっちり描かれた。5人が頭脳作戦で脱獄に成功し、浦島太郎が地上に帰る場面に遭遇したのもよかった。


 オットー姫が海底国の歴史を語る場面で、姫は、過去にこの国が地上にあったとき世界中で戦争が起こり、争いを好まない王が国全体を海の底に沈めた、と説明するが、そのくだりで「戦いで生まれた憎しみは新たな憎しみを生み…」というセリフが発せられた。これは、現代世界で頻発するテロの構造を思い出させる重い言葉だった。


 現代の日本へ帰りついた5人が、そこが現代の日本だと気づくところで、自動車が走っていくカットを入れたのは気が利いていた。警察官の制服や遊園地の遊具がすでに現代の日本であることを示していたが、さりげなく自動車が走りすぎていくことで、ここが現代だということが駄目押し的に強く印象付けられたのだ。




※「新生ドラえもん 初の大晦日3時間スペシャル」で放送された他の新作アニメ「雪山のロマンス」「ラジコン大海戦」については、1月3日のエントリで書きました。
 http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20060103