ドラマ『まんが道』感想(1話〜10話)

 今月、CSのチャンネルNECOで、NHK銀河テレビ小説まんが道』全15話が放送された。放送日は以下のとおり。

1月2日(1〜15話一挙放送)
1月8日(1〜5話)
1月15日(6〜10話)
1月22日(11〜15話)
1月28日(1〜15話一挙放送) 


 このドラマは、言うまでもなく藤子不二雄A先生の自伝的マンガ『まんが道』を原作としたもので、主人公の満賀道雄(藤子A先生の分身)を竹本孝之が、才野茂(藤子・F先生の分身)を長江健次が演じている。もともと1986年11月17日から12月5日にかけて、NHK銀河テレビ小説の枠で放送され、今回がCS初登場。CS以外では、1998年10月21・22日、NHK衛星BS2で総集編が放送されたことがある。
 主演の2人を見てまず気になるのは、2人のルックスが原作と逆になっている点だ。2人のうち、背が低くて眼鏡をかけているのは、原作では満賀道雄のほうなのに、ドラマでは才野茂になっているのだ。テレビ的に、一番の主人公である満賀のルックスをカッコよくしたかったのは分かるが、原作ファン・藤子ファンとしては、このルックスの入れ替えに少なからず違和感をおぼえる。
 そんな点があるものの、藤子マンガを原作とする実写ドラマのなかでは最高峰の出来といってよいほど、『まんが道』が良質のドラマだったことは確かだ。1986年、NHKで放送された当時は、私の年齢が主人公の2人と近かったこともあって、毎回どっぷりと感情移入しながら観ていた記憶がある。


 このたびチャンネルNECOでドラマ『まんが道』が全話放送されるということで、さっそくチャンネルNECOに加入し、視聴した。私は1月8日・15日・22日の放送で5話ずつ観たので、その単位で感想を記していきたい。



●1話〜5話
竹本孝之が歌うオープニング主題歌『ホールド・ユア・ラスト・チャンス』(作詞・作曲 長渕剛)は、漫画家という大きな夢に向かって情熱的に青春を送る若者を描いたこのドラマにふさわしいもので、これを聴いているだけで気持ちが鼓舞されてくる。
 第1話のプロローグで、主人公2人が初めて出会ったときのエピソードが描かれている。彼らが小学5年生のときのことだ。このプロローグに限っては、主人公の名前が満賀道雄才野茂ではなく、安孫子素雄藤本弘と本名で呼ばれ、2人の役を演じた少年も、本物の藤子先生の少年時代を想像させる容貌だった。とくに、藤本少年役・保利治芳くんの内向的かつ繊細そうな顔つきと痩躯は、実際に藤本先生はこんな少年だったんじゃないかと思わせる説得力があった。


満賀道雄は、「漫画少年」の投稿欄に才野だけが採用されて落ち込んだり、霧野涼子に一方的に憧れて漫画の執筆に身が入らなくなったり、母親に性格が似てしまったことを嘆き母親に当たったりする。そんな、大人と子どもの狭間に置かれた満賀の葛藤や弱さ、未成熟さを、竹本孝之は熱をこめてよく演じていたと思う。こうした、満賀の内面を照射するシーンには、感情的に強く引き込まれる。
 満賀の霧野涼子へのうぶな片想いは、2人の青年が夢に向かってひたむきに歩んでいくストイックなメインストーリーに、ほんのりとロマンスの香を添えてくれた。霧野涼子は、原作ではちょっと不良っぽい姉御肌タイプだが、ドラマでは、お姉さん的落ち着きを備えた清純タイプに見えた。


・原作では絵で描かれていた高岡大仏や高岡古城公園を、実写映像で観られるのが嬉しい。私は、今でこそ高岡を数度訪れた経験があるが、1986年当時はまだ高校生で、今の感覚と比べれば富山県ははるかに遠い土地だった。だから、藤子先生のふるさと・高岡の風景を実写映像で観られたときは、大いに感激したものだ。現実に高岡へ何度か足を運んだ今では、テレビの画面に自分が行ったことのある場所が映し出されることにも喜びを感じる。


・手塚先生から届いたハガキや、満賀・才野・手塚先生が執筆する描きかけの漫画原稿など、漫画関係の小道具がなかなかしっかり作りこまれていて、藤子ファン・まんが道ファンとしては、そういう細部にも魅了された。
 手塚先生の『来るべき世界』の単行本がキラキラ輝くシーンでは、満賀と才野の目には本当にそう映っていたのだろうなあ、としみじみ思えた。単行本を読み終えた2人の茫然自失とした表情も、『来るべき世界』という作品の輝かしさを物語っている。私も、手塚先生の初期作品では、この『来るべき世界』が最高に好きなので、ずいぶん感情移入できた。


イッセー尾形が、立山新聞社図案部の満賀の上司・西森光男(原作では変木さん)を演じている。イッセー尾形の演技は、原作の変木さんの一風変わった挙動や、分厚い瓶底めがねが似合いすぎる風貌、仕事への尋常でない集中ぶりなどを見事なまでに実写化していて、惚れ惚れとする。このドラマで原作のイメージを最も忠実に再現していたのは、イッセー尾形だったとさえ思う。
 あと、満賀の母も才野の母も、原作どおりのあたたかみや優しさを出していてよかった。冨士真奈美演じる満賀の母は、肝っ玉母ちゃん風のキャラになっていて、ドラマを盛り上げてくれた。
 私にはいじめられキャラの印象が強い俳優・酒井敏也が、満賀をいびる日上健一の役をやっていたのも興味深かった。



●6話〜10話
・満賀が、新聞社の先輩社員に「手塚先生は僕の神様です」と夢中になって語るくだりは、満賀の手塚信者ぶりがホットに伝わってきて好感がもてた。
 いつも生意気な口をきく弟の鉄郎が、自分は高校へ行かず働くから兄ちゃんは絶対漫画家になってくれ、と話す場面には、ほろりとさせられた。満賀と才野が、自分らはいつも2人で1人だ、と友情を確認しあう場面でもジーンときた。


・才野がさんざんもったいぶって満賀に見せた『UTOPIA 最後の世界大戦』の単行本。満賀の驚きようも凄かったが、私は別の意味でちょっと面食らった。ここで小道具として使われた単行本は、昭和28年に発行された鶴書房版『UTOPIA 最後の世界大戦』を模したものではなく、昭和56年発行の名著刊行会による復刻版そのものだったのだ。もちろん、この場面で本来使われるべきは鶴書房版のほうだ。鶴書房版と復刻版の外観がパッと見同じなら、この場面でどちらが使われようと気にならないが、この2冊の表紙イラストは完全に別物なので、一目で「あっ、これは復刻版だ」と分かってしまう。鶴書房版の表紙を漫画家の大城のぼる氏が描いているのに対し、復刻版の表紙は藤本先生がそれ用に描き下ろしているのである。ドラマの舞台は昭和20年代後半なのに、その時代に昭和50年代の藤本先生の絵柄が闖入してしまうという、妙な事態が生じてしまったわけだ。まあ、そんなこと、たいていの視聴者は気にかけないだろうから、大してドラマの瑕にならないし、私は私でそういう点を見つけて楽しんでいるので害はない。
 昭和50年代の藤本先生の絵柄といえば、才野が母に「いつか、ネコが主役のマンガ描いてみようかなあ」と語るシーンがあって、そこで藤本先生画のドラえもんのイラストが5点映された。才野のこのセリフはドラマのオリジナルだが、「ああ、この青年が将来、国民的大人気マンガ『ドラえもん』を生み出すことになるのだなあ」と改めて感慨にひたれたので、悪くなかった。


蟹江敬三が演じる虎口部長は、厳しさと優しさの両面で満賀を受けとめていて、人格の深みを感じさせた。


・6話から10話のあいだで、〝霧野涼子の心中〟〝ラジオ欄のミス〟という、満賀にとっては実に衝撃的でつらい出来事が2つも起こる。そのたびにひどく落ち込んでしまった満賀は、才野の励ましによって元気を得、立ち直っていくのだった。これは、2人の友情がストレートに描かれた、ともするとクサくなりがちなシーンだが、『まんが道』のなかで観ると、あざとさや押しつけがましさが感じられず、素直に感動できた。



 11話から15話の感想は 明日