リニューアル『ドラえもん』に向けられた批判の声(2)

 4月19日の当ブログで、リニューアル『ドラえもん』(=『わさドラ』)に向けられた多くの批判に対する私の考えを述べた。それに対して、複数の方から コメント欄にご意見をいただき、それ以外にも予想外の反響があって、私もさらに思うところが増えたので、そこのところを今のうちに書きとめておきたい。


 私は、「今回のリニューアルによってアニメ『ドラえもん』が原作マンガに接近した」と大喜びで評価しているわけだが、〝アニメ『ドラえもん』が原作マンガを重んじる〟という事象は、何もこれが初めてというわけでなく、『大山ドラ』では放送初期の段階から大なり小なり行なわれていたことなのである。
大山ドラ』は実際、1979年の放送開始から、原作マンガにあるエピソードばかりをアニメにしていた。1990年代に入って、アニメオリジナルのエピソードが徐々に増加していったが、それまでの『大山ドラ』は、原作マンガにあるエピソードをアニメ化するのが普通だったのだ。その中には、見事なまでに原作に忠実な話や、原作の行間をうまく補完して原作を超えたと思わせる話、原作に大きなアレンジを加えて独自のおもしろさを獲得した話など多々あったし、逆に、原作を台無しにするような駄作や、原作の筋をただなぞっただけの凡作もあった。最初期の頃は、絵のレベルが著しく低く、登場人物の動きやデザインなどがハチャメチャであった、という印象も強烈に残っている。
 そういうことを把握したうえで私は、作品の質と量という点でも、視聴率や社会現象といった人気の面でも、1980年代が『大山ドラ』の黄金時代であったと考えるのである。*1
 放送開始当時から1980年代を終える頃まで、長期にわたる黄金時代を築きあげた『大山ドラ』は、まさに〝偉大なアニメ〟であり、そのとてつもない存在の足元に及ぶことすら至難の業である。そんな偉大なる『大山ドラ』であったが、1990年代になってアニメオリジナルのエピソードの比率が高まるなか、1996年の藤子・F・不二雄先生逝去後あたりから、原作マンガの魅力とは掛け離れた話が目立ちはじめ、原作から独立したアニメ作品としてみても、かつてよりボルテージが下がりゆくばかりという低落傾向が顕著になってきた。
 私は、そうした傾向はいつか軌道修正すべきだし、そのためには何らかの大胆な変革が必要だと考えるようになった。いや、そう言うとカッコいいのだが、本当は、「アニメの『ドラえもん』は、もうこういうものなんだ」という惰性のような感覚を慢性化させていたのだった。ファンのあいだでは、このままの状態が続くなら打ち切ったほうがマシ、という意見も少なからず出るようになっていた。
 声優さんの高齢化と、アニメ『ドラえもん』をこの先10年20年と続けていくことを考え合わせれば、声優さんの交代についても視野に入れなければならなくなった。大山のぶ代さん自身が、2001年の大病をきっかけに、ドラえもん降板を製作者側に持ちかけた事実もあるし、最近になって大山さんは、〝『サザエさん』のように1人ずつ声優さんが代わっていくのではなく、誰かに何かある前に、皆できれいにドラえもんを引退したかった〟と公の場で発言している。
 そうした状況の中で、昨年、アニメ『ドラえもん』の大幅なリニューアルが打ち出されたのである。


 リニューアルのテーマとして前面に掲げられた「原作回帰」とは、藤子・F・不二雄先生の原作マンガを今一度徹底的に読み直すことで、『ドラえもん』という作品がもつ本来的なおもしろさをアニメ作品へ取り戻し、『大山ドラ』黄金時代に匹敵する輝きをいくらかでも蘇生させようという大志の表明である、と私はとらえている。今回のリニューアルにあたって製作者側は、前声優陣の声にそっくりな人物を選び、絵についてもこれまでのまま続けていく、という比較的安全な方策も選択できたはずだ。しかし、そうしたらそうしたで、「このリニューアルは『大山ドラ』のモノマネにすぎない」「『大山ドラ』の劣化コピーだ」「縮小再生産だ」「これではリニューアルとして中途半端だ」などと批判の声があがったのではないだろうか。
 だからこそ、実際には思い切った大幅なリニューアルが決行されたことで、その変革がお題目だけの小手先の手段ではなかったのだと感じられたし、『大山ドラ』に負けない『わさドラ』ならではの作品世界を作り上げていきたい、という新スタッフの気概も伝わってきたのである。


 黄金時代の『大山ドラ』は、「原作重視」であることを売りにするまでもなく、原作マンガの世界をアニメーションで表現していた。ところが、時が流れ、藤子・F先生が他界し、世紀が変わる頃になって、原作重視の姿勢が明らかに崩れていったのである。そういう今だから、アニメ『ドラえもん』が「原作回帰」を大々的に目指し、それを真剣に成し遂げていくことの意義と効用は、ありすぎるほどあると思うのだ。
 リニューアルの方法や、実際に放送された『わさドラ』に、何の問題もなかったとは言うまい。むしろ、いくつもの解決すべき課題を積みこみながらのスタートであるのだろう。そういった種々の問題を念頭に入れたとしても、今回のリニューアルは、好ましい方向へ何歩か足を踏み出したものだと私には感じられるのである。


 原作マンガにあるエピソードを常時アニメ化していた時代が『大山ドラ』の黄金時代であったとするならば、今回のリニューアルで「原作回帰」を目指すのも、道理にかなった判断である。原作マンガの構造・精神・物語内容を織り込みながらアニメとしての自律性も備えた作品を放送していた時代に、アニメ『ドラえもん』は、最も多くの子ども達を魅了し、(下世話な話だが)高い視聴率を稼いでいたのだから…。


わさドラ』が、『大山ドラ』の黄金時代以上に原作に近づいた点も、明らかにある。それは、登場人物の絵柄である。登場人物の表情や仕種など細部にわたって原作マンガの個性を意識するようなことは、かつての『大山ドラ』ではなかったことである。具体的な事例については4月19日の当ブログの最後で紹介した各ブログを参考にしていただきたい。


 ちなみに、今でこそ〝『ドラえもん』といえば『大山ドラ』〟というほど世間で認知されている『大山ドラ』であるが、放送初期の頃は、マンガ『ドラえもん』の読者や藤子不二雄ファン(の一部)から大バッシングを受けていた。(私は無邪気に楽しんでいたが…) 『ドラえもん』だけでなく、1980年代前半の藤子アニメはおおむねバッシングの対象であった。「シンエイ動画」という言葉は、悪のシンボルのようなものだったのである。
 1980年代前半にどんなバッシングがあったのか、藤子不二雄関連の同人誌からその雰囲気を拾ってみたい。(引用した文章の出所と執筆者の氏名は伏せ、その文章が発表された年だけを記す)

●「僕は、旧作の白黒アニメを見ながら育ったから、今の藤子アニメは見る気が起こらない」(1982年)
●「白黒の旧作の方が今よりも、絵が原作に忠実だったような気がする」(1982年)
●「(もし『モジャ公』をアニメ化するなら)ぜひ藤子先生にある程度つっこんでやってもらいたいんだよね。鈴木伸一さんにも協力してもらって。とにかく今の藤子アニメを見てる限りではシンエイさんにはやってほしくないという気がする」(1982年)
●「最近思うんだけど、『怪物くん』がつまらなくなっちゃったんだよね。原作には沿っていないし、なんかいきあたりバッタリでデッチあげてるみたい」(1982年)
●「『プロゴルファー猿』のアニメ化に反対します。『ドラえもん』や『怪物くん』ならまだしも、最近は『ハットリくん』までアニメ化されてしまい、おまけにコロコロコミックに連載されて、話が低俗になった気がします。藤子先生のマンガは、アニメに向いていない気がします」(1982年)
●「僕は藤子アニメは良いと思いません。絵があまりに独立しているのではないかと思う。(中略)『ハットリくん』は藤子アニメの中で一番出来が悪いと思う。『ドラえもん』はこの頃いくらか良くなった思うが、全体的に幼いと思う。原作と違って妙に子供っぽくされている。(中略) もっと原作を見て研究して欲しい。シンエイさんは、観る人の事を考えて描いて欲しいね。」(1983年)
●「藤子アニメについては今までいろいろな意見が出てきたけれど、僕もはっきり言って今の藤子アニメは好きになれません。その理由は、第一に原作とあまりに絵が掛け離れていること。第二に原作とストーリーが悪く変わることが多い。第三に動きが単純すぎることです。「原作と絵が違うのは当然」という意見もありましたが、藤子先生の絵はアニメに向いていると思うので、そのまま動かすことだって不可能じゃないはずです。」(1983年)

 残念ながら『ドラえもん』放送開始時の資料は見あたらなかったが、初期のシンエイ動画藤子アニメはことごとく批判の対象であった、という雰囲気は、いくらか伝わったのではないか。もっと過激な意見も見られたが、ここに載せる気になれなかった。
 それにしても、藤子マンガや白黒藤子アニメで育ったファンは、シンエイ動画藤子アニメに違和感をおぼえ、『大山ドラ』で育ったファンは、『わさドラ』に違和感をおぼえる…というわけか。 


■参考
MISTTIMES.com Blogさんが、アニメ『ドラえもん』の声が変わったことについて考察を展開している。本日私が、初期シンエイ動画藤子アニメがバッシングされた事実に触れたのも、このMISTTIMES.com Blogさんの記事に呼応してのことである。
〝仮に藤子・F・不二雄先生が生きていらしたとして、水田わさびさんの声を聞いたらどんな言葉をかけるか〟という件は、私もまったく同感である。藤子・F先生なら、本当にそういう言葉をかけそうだ。

*1:「1980年代」という括り方はいささか大ざっぱだが、『大山ドラ』26年間の変遷については、MISTTIMES.com Blogさんがわかりやすくまとめているので参考にしていただきたい。